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コモンズ思考をマッピングする 第1章

研究室で輪読を行なっている『コモンズ思考をマッピングする ——ポスト資本主義的ガバナンスへ』の第1章「E・オストロムのコモンズ研究」について、全体のサマリ、ゼミでの議論内容、読んだ感想をまとめていきたいと思います。(文責 M1 石井)

サマリー

E・オストロムは、ノーベル経済学賞受賞経験のあるアメリカの政治学者・経済学者です。彼女の主な功績として、前回の記事であったように、G・ハーディンの『コモンズの悲劇』の偏見を打破したことが挙げられます。

ハーディンは『コモンズの悲劇』のなかで、利用者は相互不信から資源利用をほどほどに抑制できず、最終的に資源を食いつぶしてしまうと主張しています。

こうしたハーディンの主張は、主流派の経済学者たちの以下のような考えとも合致しています。

  •  資源分配の方法として、市場機能に委ねるか政府が管理するかという二者択一を迫る

  • 市場に適さない財のうちには、利用者どうしが協議して管理方法を作り出すのに適したものがあるといったことには目を向けない

  • 分権的な市場と集権的な政府という組み合わせをよしとし、固執する傾向が強い

そのような背景から、『コモンズの悲劇』はコモンズに関する重要文献と位置づけられてきたのではないかと著者は語ります。

そして、著者は主流派たちの理論モデルを、以下のように批判しています。主流派の理論モデルでは、「孤立した利己的な個人」を想定するが、その背後には、庶民の自治能力への低い評価があると考えられる。つまり、庶民は直面する問題について協議し、互いの利益にかなうようなルールを作り出していく能力を欠いているという偏見がある。

p.36

しかし、オストロムは、研究を通じて、コモンズ的資源の管理に失敗する場合もあれば、長期間にわたって資源が良好な形で維持される場合もあるとし、庶民はかなり高い自治的能力をもつことを明らかにしたのです。

オストロムのコモンズ研究では、

  • ある人が利用権を独占しにくく

  • ある人の利用と他の人の利用が競合する財

をコモンズ的資源(Common Pool Resources)、「共用資源(CPR)」と定義しています。

そして、良好な管理の事例から、長期持続型の共用資源(CPR)制度を可能にする以下8つの原理を明らかにしました。特に、第3と第8の原理が重要であると著者は考えています。

  1. 共用資源(CPR)の境界が明確であること

  2. 共用資源(CPR)の利用ルールが地理的条件と調和していること

  3. 共用資源(CPR)の利用者がルール策定へ参加できること

  4. 共用資源(CPR)のモニタリングシステムがあること

  5. 利用ルールの違反者に段階的制裁が課されること

  6. 紛争解決の仕組みが備わっていること

  7. 共用資源(CPR)の利用ルールの策定が中央・地方政府に侵害されないこと

  8. 共用資源(CPR)が入れ子構造のガバナンスになっていること

本書の中では、入れ子構造のガバナンスの例として、スペイン・ムルシアの灌漑システムとボリビアのアイユ民主主義が紹介されています。ボリビアの憲法ではボリビアを“Pluri-National State”と規定しており、一般の近代国家の仕組みと先住民の伝統である入れ子のガバナンスを共存している注目すべき例だと著者は語ります。

ゼミでの議論

オストロムの書籍『Governing the Commons——The Evolution of Institution for Collective Action』が邦訳されない背景は?

「ノーベル経済学賞まで受賞しているE・オストロムの著書が、邦訳されていないのは不思議ではないか」という議論がありました。
その理由として、合理的な経済学の研究が主流であり、日本の経済学研究においてこうした研究の受け皿がないのではないかという結論に至りました。また、合理的でない経済学の分野として、行動経済学を扱う大学・研究機関は多く存在しているため、そうした研究機関が受け皿となる可能性があるのではないか、という議論がありました。

コモンズ的価値観や仕組みが取り入れられている事例

「首都圏に生活する私たちの生活の中で、コモンズ的な価値観・仕組みを感じる例は何か?」という議論がありました。
1つの例として、マンションの理事会が挙がったものの、理事会の経験のあるゼミ生からは「管理会社が決めた議題を議論しているだけ」「役員は持ち回りでまわってきて、立候補する感じではない」「たまに主体的に取り組む理事長や役員がいるけれど、単発で終わってしまう」といった意見があり、利用ルールを自分たちで主体的に策定する仕組みにはなっていないと感じました。また、そうした主体的なコミュニティになるためには、お互いに思いやりを持てるような住人同士の関係性の構築が必要であるという意見がありました。
町内会に関する議論もありましたが、こちらについても近所付き合いは希薄であるという意見が多く聞かれました。

また、米国在住経験のあるゼミ生からは、CSA(Community Supported Agriculture/地域支援型農業)という仕組みがコモンズ的な価値観と近しいのではないかという意見がありました。

CSAは、生産者と消費者が連携し、前払いによる農産物の契約を通じて相互に支え合う仕組みです。CSAは、生産者と消費者が直接契約し、野菜セットを定期購入する点では、1970 年代以降に有機農業運動として日本で広まった産消提携と近いコンセプトを持ちます。しかし、CSAでは、消費者が野菜セットの代金を1年あるいは半年といった単位で前払いすることや、援農など農場運営に積極的に関与する点に大きな特徴があります。

『CSA(地域支援型農業)導入の手引き』 国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構 農村工学研究所
https://www.naro.go.jp/publicity_report/publication/files/csa-guide.pdf

CSAは日本でいう生協とやや近い面がありますが、受け取れる商品や数がコミットされているわけではありません。また、参加する人のモチベーションとして、地域で農家を支える、その土地に投資するといった考え方が多いようです。

感想

この発表の直前に、大学院の産学連携プロジェクトで、和歌山県すさみ町という人口3,600人の小さな町に滞在していました。
すさみ町は海、山、川に囲まれた自然豊かな土地で、スーパーは1軒、コンビニはないという制約も相まって、魚や野菜、果物などを互いに差し入れし合い、その土地のものを最大限に活用した暮らしぶりが印象的な場所でした。

都会での暮らしは、必要なものがいつでも手に入り、それはどこで、誰が、どのように作ったものかを意識することはほとんどありません。私たちの購入した野菜が、どこか遠くの場所で、周辺の資源を食いつぶすような方法で育てられていたとしても知るよしもなく、ましてやルール策定に参加する機会や権利もありません。
こうした消費する場所としての都市/生産する場所としての地方という構造が、都市において「孤立した利己的な個人」をうみ、人々の自治能力を奪っているのではないでしょうか。

では、私たちが自治能力を取り戻すためには、何をすべきなのでしょうか。
そのヒントとして、E・マンズィーニ『日々の政治 ソーシャルイノベーションをもたらすデザイン文化』で語られている「デザイン能力」が参考になるのではないかと感じました。


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