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2024年6月19日

土曜日出勤のせいで6連勤が毎週続いており、ようやく月曜日に振替休日をもらった。仕事のやることが終わらないので6連勤していてもあっという間だったのだが、そのおかげで自分のために着手しないといけないあれこれをはじめる気力が枯渇している。よくない。本当によくない。でも、まいっか。そうやっていろんな締切を素通りすることが続いている。去年まであらゆる締切をとにかく守るという生活をそれなりに誠実に続けてきたのだが、それについに疲れてしまった。今ある締切は大抵自分で設定したものなので、その締切を守らなくても被害を被るのは自分だけだし、死なないのであれば守らなくていいやという気持ちで全部放っておいている。なにもやる気が起きない。

その反動もあって、日・月曜日を利用して京都へ向かった。衝動的な旅ではなく、目的があったので前から行く予定ではあった。土曜日に夜遅くまで飲み会があった次の日、朝の東京駅でバスに乗る。体が疲れると元も子もないので、国内をバスで移動することはめっきりなくなったのだが、久々にバスに乗ってみる。お昼の長距離バスに乗るのは何気にはじめてだった。体力だけは有り余っていた20代前半は、4列席の激安の夜行バスで京都と東京をよく行ったり来たりしていた。そのときに東京で見たたくさんのぎらぎらした展示が今の私の原点の一部にもなっている。

日本に帰国する度に夜行バスで足しげく東京に行くようになった決定的な展示がある。それは、2013年にSCAI THE BATHHOUSEで見たHaroon Mirzaの日本初個展である。19歳だったと思うが、当時の私は生きている現代美術家と言えば草間彌生しか知らなかった。現代アートの見方もわからなければ、それは一体何をしているものなのか、何を目指して展示されているものなのかもわからなかった。ただ、なんだかおしゃれだし、展示を見てる自分はいけてる感じがするというなんとも軽薄で表層的な動機で展示を見るようになっていた。当時はちょうど瀬戸内国際芸術祭が話題になっていた頃で、雑誌でアート特集がしきりに組まれていたことにも影響を受けていた。所謂ミーハーである。そのときはまさか自分が文化芸術の分野に進むなんて一ミリも想像していなかった。

インスタレーションもメディアアートも見たことがなかった私は、空間をハックするように設置されたネオンサインと、幾何学的な重厚なサウンドが相互に連動したその作品に言葉を失った。それまで見たことも聴いたことも触れたこともないものなのに、美しいとか何かを考えるとかではなく、ただ包まれる気持ちよさがそこにはあった。じっと空間に佇んでいると、点滅するライトのリズムや流れる光の動きそれぞれに、異なるハンドメイドの音があてがわれていることに気づく。すべてがぴたっとはまっている。この空間にあるものすべてが誰かの手によって精密に計算しつくされている。そのことによって、一見クラブと同質になりかねない空間が端正な静けさに統御されている。そして、私はそのことを言葉に頼らず自ずから発見している。そう気づいたとき、なぜかわからないけれど全身が痺れた。そこにあるものと共鳴しているというはじめての鑑賞経験だった。

SCAI THE BATHHOUSEは、銭湯の趣を残す外観とは違い中身はいたってシンプルなホワイトキューブのギャラリーで、天井の高い空間にどーんと1個作品が置かれているだけのことも少なくない。Haroon Mirzaの作品もひとつの空間全体を使ったインスタレーションで、長居するような物量でも尺でもなかったのだが、あまりにも気持ちよい空間にずっとそこに立っていた。そんな私を見ていたのか、ギャラリーの方が「裏にも作品がありますよ」と声をかけてくれて、立ち入り禁止の柵を解いて、なぜか私を2階の部屋にあげてくれた。そこには同じアーティストのミニマルなインスタレーションが展示されてあって、うわあすごいと感動したのだった。その感動は作品に対してだけでなく、別の作品が隠されていたことも、VIPのように私にだけこっそり作品を見せてくれたことも含んだものだった。

そんな経験が今の生業に繋がっている。その後たくさんの作品に触れて趣向が変化したことで、Haroon Mirzaの作品がどうしてあれだけ響いたのか今となってはわからない。それでも彼の作品に出会ったその時の感動は未だにかけがえない。当時は東京にも文化芸術にも縁がなく、それらに憧れてもいなかったが、約10年後の今、東京で文化芸術に生きている。SCAI THE BATHHOUSEの脇を通り過ぎる度に、私の今を導いたそのときを必ず思い出している。

▼当時見た展示がこれ。懐かしい。


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