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2024年4月18日

体重が1.5キロも増えていた。3月からじわじわ体重が増えているなとやや気にしてはいたのだが、久々の数字を見て朝からがっくりする。毎日運動しているのに痩せないのは、ここずっと食欲旺盛で炭水化物を遠慮せずに食べているのもあるが、なかなか疲労がとれないことが一番の原因ではないか。朝から体がずっしりと重く、睡眠の質もあまりよくない。

とはいえ、これからの人生どうしたらええんや…と絶望していた先週とは大違いで、心はすっかり元気である。今週は数少ない友人たちと会う機会が多く、それがよかったのかもしれない。今週末は久々に会う友人と遠出する。楽しみ。

年に1、2回しか会わない友人がいる。普段連絡はほとんどしないが、忘れかけたころに「お疲れ様」とどちらともなく連絡をし合う。お互い「お疲れ様」のあとは「どうしたん」と返す。その友人とは、「実はさ」と吐露することで繋がってきた間柄で、彼の「お疲れ様」だけで何かあったんだなということがわかる。そして、彼からもいつも変わらなく返ってくる遠慮のない「どうしたん」に安心する。段階を踏まず、すぐに本題に入ろうとするその温度感が私とよく合う。

自分の話を聞いてもらいたいと思って会いにいくときも、いつの間にか相手の話に聞き入っている。「あれ、今日も結局私の話は2割ぐらいやったな?」と帰りの電車で気づく。それでも、その友人と会った帰り道は不思議と「もうちょっと頑張ってみよう」と思えるのである。多分、まだ頑張りたいという自分の気持ちを確かめるために、その友人に会いたくなるのだと思う。

友人の語り口はいつまでもぶっきらぼうである。私の気持ちに過剰に寄り添うことなく、シンプルな思考で言いたいことを包み隠さず言い切る。品なんか知らんと言わんばかりのストレートなワードセンスとは裏腹に、その人の内側にはあたたかくて脆い、繊細な感性がこもっているとなんとなく感じる。私の言葉を受け止め、破天荒な言葉で返す姿勢の節々に、そんな友人の本性が滲み出ている。その信頼があるから、遠慮なんて微塵もない私への喝にも始終お腹を抱えて笑うことができるのである。

あらゆるところに色んなお伺いを立て、自分の価値判断が及ばない物事ばかりで日常が埋め尽くされてしまうときがある。何が正しくてよいことかも考えが及ばないままに、大きな、漠然とした、よくわからない合意のためにただ手を動かしている今を見つける。

ざっくりとそんなことについてぐちぐち言っていると、「それはな、収支が合ってんねん」という一言が返ってくる。「世の中どうにかしたくても自分ではどうにもならん人やっておるんやから。自分、世間的に恵まれてるほうやで。衝動で問題起こす人でもないし、持ってるもん多いやん」。一体何の論理だ。どんな人と私を相対化して考えているのだろう。すでにうまくいっていることもたくさんあるから、そこまで思い悩まんでええんとちゃうか、ということだろうか。

でも、収支が合っているという考えてもみなかった発言が目から鱗で思わず笑ってしまう。冷静に考えると、なんで収支なんか合わせなあかんねんとも思うが、彼なりの慰め方なのだろう。そんな友人がこのまちにたった一人でもいることが案外私を救っている。

4月17日は別の友人とランチをした。最近たまたま同じタイミングで、お互い新たな試みを始めたことを知り盛り上がる。4月らしい風が吹いている。


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