はる丼

日記とか、備忘録とかに使ってることが多い。 下書きに書き溜めていてたまに放出

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マガジン

  • アメリカ横断記

    22歳の時にアメリカ横断をしました。 あの時からずっと日の目を浴びていなかった写真たちを載せています。

最近の記事

2024.7.16

2024.7.16(下書きより) 夜、雨の音が聞こえるとうるさくて眠れない。 7月もちょうど半分を過ぎたが、関東の梅雨はまだ明けないようで、夜に雨が連日降るせいで寝不足だ。 学生時代、雨が降っていると教室が仄暗く一日中眠かった覚えがある。 日中は眠くなるのに、夜だけ眠れないなんて変だけど、夜はいつも暗いから五感の中で聴覚だけが研ぎ澄まされてしまうのだろうかうんぬんかんぬん、、、と悶々と考えているといつの間にか明け方になっていて、鳥や蝉が鳴き出し、カーテンの隙間から光が漏

    • これはね、服というもの

      服を着替える時、いつも猫がまんまるの目をしてこちらをみつめてくる。 たしかに突然君の毛色や、柄が変わったらわたしも驚くなあ。

      • 2024.6.25

        人生に対して葛藤をしなくなってしまうことがいちばんおそろしいと感じているのに、それと同じくらい葛藤のない人生をのぞんでいる。 死ぬまで孤独と向き合い続けて自分だけの哲学を積み上げていくことが人生なんだろうと、それを楽しみに思いつつ、いつまでこんなにつらい作業をしなければならないんだとも思う。 平和に不自由なく暮らせているからこその悩みだよなと、しあわせやありがたさをうまく受け取れていない自分の未熟さや思考回路がかなしい。 わたしはいつまで経っても傲慢で、たまにやってくる

        • わたしたちの平成(おさななじみ)

          2024.1.22(下書きより) わたしが生まれ育ったまちはとても田舎で、保育園、小学校、中学校とほぼ同じメンバーだった。高校まで一緒の人もけっこういた。 3歳から一緒の幼馴染がいるというと結構驚かれる。 3歳からといっても、わたしたちが4人揃って遊ぶようになったのはたぶん小学2年のころくらいからだった(ような気がする)。 わたしたちは普段は別の地区に住んでいたので、平日は各々家の近くの公民館で遊んでいたけれど、週末や夏休みは家から自転車で15分のミニストップにみんなで

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        • アメリカ横断記
          10本

        記事

          海苔の上にご飯のせて醤油かけるだけで寿司だった

          2023.4.28(下書きより) 寿司の味だった。 満足したときも、満たされないときも、世界への解像度の低さを痛感します。

          海苔の上にご飯のせて醤油かけるだけで寿司だった

          日記的なもの、2023年のおつまみ農園

          何がしたいかわからないってよく言われるけど、ずっとひたすらにやりたいことをやってるだけだ。 絶対に成功しないよっていろんな人に説教もされる。うるせえな、そもそも成功ってなんだよって思うけど、今に見てろよとも思う。 今年のおつまみ農園は、まじでほとんどうまくいかなかった。最初こそナスがたくさん獲れたけど、雨が全く降らなかったことと暑さにやられて後半は全滅。(今年、全国の農家さんは本当に大変だったと思う。)パパイヤに限っては実がなりもしなかった。 そんな簡単に上手くいくとは

          日記的なもの、2023年のおつまみ農園

          けんかしたいなって思って

          じいちゃんが死んだ時のばあちゃんの背中が今でも忘れられない。 うちのばあちゃんは多分アル中だった。もともと大酒飲みだったらしいけど、父も大酒飲みなので大して意識はしていなかった。 戦闘民族のようなばあちゃんと、同じく戦闘民族で気の強いわたしは、よく喧嘩をしていた。 あの頃、とくに許せなかったのが女の子らしくしなさいという言葉で(小学生くらいのとき)、今思えば、わたしはわたしなのになんで分かってくれないんだろうって悲しかったんだと思う。 ほんとに恥ずかしいんだけど、むかつ

          けんかしたいなって思って

          市議会議員任期満了のご報告

          1/27(金)をもってかすみがうら市の市議会議員の任期が満了となりました。 市内、市外のたくさんの方から今回の選挙の候補者欄に名前がないことに対してのメッセージを頂き、こんなにたくさんの方に見守って頂いていたのだと改めて実感しました。 このまちが抱える様々な課題に触れる度、このまちをもっとよくできると何度も思い、また、わたしはこのまちのことを本当に何も知らなかったのだと思い知らされました。 それと同時にかすみがうら市のまちづくりのプレーヤーの少なさや、このまちを諦めてしま

          市議会議員任期満了のご報告

          それぞれの

          すっごくうれしいときも、すっごくかなしいときも、どちらも同じように喉の奥がぎゅっとしまるようなかんじがする。 ずっと探してたけど、居場所なんてものはそもそもないのかもしれない。 取って付けたようなやっと見つけた居場所って歌ってたバンドもあったな。 だけど、沖縄に帰ってきたとき、みんながおかえりと言ってくれて、その言葉がとてもうれしい自分もいる。 満たされてしまったときの、たいそうな喜びも、たいそうなつまらなさも知っている。ふたつ同時に来る。 わたしの人生にも時代みたい

          それぞれの

          孤独がないと飽きる

          全部満たされてしまったら退屈だ。 わたしたちは一生孤独だけど(ひとりぼっちという意味ではない)、それは自分が世界にひとりしかいないという証明でもある。 心の穴を埋めるために何かを求めることは、わたしの人生を面白くしてれていると思う。 求めるから出会えた人がいっぱいいて、その人たちがわたしの人生を豊かにしてくれている。 十代のころ、孤独な夜に聴いた音楽は今でもわたしの心を揺さぶるし、奮い立たせるよ。人ってあまり変わらないんだね。

          孤独がないと飽きる

          アンバランスさは思い出すために

          整ってしまった時、たぶん忘れてしまうのだと思う。心の中にアンバランスがあるから何度も何度も思い出せている。思い出しては落ち込んだり、人にやさしくできる。 平衡を保てなくて苦しい時があったとしても、傲慢にはなりたくない。無力さを思い出すためには足りないピースや歪さ、精算できない借りや一生の恩みたいなものが必要だ。無力で他人に何も出来ないからこそ、人は人にやさしくできるのだと思っているよ、わたしは。 だからまぁ弱さや醜さや寂しさもなくてはならないものだなと思ったのでした。わた

          アンバランスさは思い出すために

          畑をはじめた理由とか

          前回↓ 昔、じいちゃんが山の上で畑をやっていたらしい。畑の記憶は正直あまりないけど、じいちゃんは優しかった。わたしがヤクルトと細かくちぎったチーかまをボウルになみなみに入れてつくった"お弁当"をこぼさず公園まで持っていって食べてくれたりした。わたしは手をつけずに、じいちゃんが食べるところをじっと見ていた。 じいちゃんが死ぬとき、初めて心臓マッサージをされる人間を生で見た。小学2年生、ある日の登校前の出来事だった。 学校が終わり、下校の途中に車で迎えに来た父に『じいちゃんは

          畑をはじめた理由とか

          何も持ってない気になって

          最近はなんだかこう触れるものすべてにムキーっと悔しさを覚えていて、悔しいと思えば思うほどこのままではいけないという迷走した焦燥感に追われていた。悔しさはたしかにエネルギーになる。でもなかなか楽しい方向にいかないんだな、と思った。 この感情には見覚えがあって、わたしの学生時代はいつもこんなかんじだった。恥ずかしい恥ずかしい(愛おしい)尖ったナイフ期... 兎にも角にもこういう時は自分の持たざるものに目が行って、何も持ってない気になる。"この両手には何もないんだエネルギー"に

          何も持ってない気になって

          アメリカ横断の旅。フェニックス

          次に向かったのは、アリゾナ州に位置するフェニックス。 前回の記事で次はテキサス州とお伝えしたのですが、フェニックスの事を忘れていました。 なんせもう3年以上前の事で・・すみません。 大目に見てください(笑) と言ってもフェニックスがつまらなかったというわけではなく。 そこら中にサボテンが生えたその景色は、私は今日本にいないんだ。旅をしているんだ。という気持ちをより深いものとさせてくれました。 前回の記事はここから⇩ 果てしなく歩いた。 メキシコ料理。 このメキシ

          アメリカ横断の旅。フェニックス

          アメリカ横断の旅。ルート66、グランドキャニオン

          ROTE66。私がアメリカ横断を決意する前から行ってみたかった場所の1つです。そのROTE66を通って、アリゾナ州に位置するグランドキャニオンへと向かいました。 前回の記事はここから⇩ まず。 ROTE66は1926年〜1985年までアメリカの国道に指定されていた道で、シカゴからサンタモニカまでを結んでいました。 現在は役目を終えて『旧国道』となっていますが、映画などでも使われていて、ザ!アメリカ!!といったかんじの道です。 運動神経が悪そうなジャンプをご覧ください。

          アメリカ横断の旅。ルート66、グランドキャニオン

          アメリカ横断の旅。ラスベガス

          次に向かったのは、ネバダ州、眠らない街ラスベガス。 前回の記事はここから⇩ ラスベガスは、モハーベ砂漠の中にあります。 向かう道中のバスの中より。 到着。 ホテルの中にカジノがあった。 昼間のラスベガス。 少し都心を離れると、ぬぐい切れない砂漠感。 眠らない街・・ 少しだけ当たった。 日本円で約25000円がいきなり当たり、鳴り響くベル・・ 注目を集め(実際はそんなに見てなかったのかも)、かなりびびり、部屋にお金を隠しに行きました。(笑)

          アメリカ横断の旅。ラスベガス