わたしたちの平成(おさななじみ)

2024.1.22(下書きより)


わたしが生まれ育ったまちはとても田舎で、保育園、小学校、中学校とほぼ同じメンバーだった。高校まで一緒の人もけっこういた。

3歳から一緒の幼馴染がいるというと結構驚かれる。
3歳からといっても、わたしたちが4人揃って遊ぶようになったのはたぶん小学2年のころくらいからだった(ような気がする)。

わたしたちは普段は別の地区に住んでいたので、平日は各々家の近くの公民館で遊んでいたけれど、週末や夏休みは家から自転車で15分のミニストップにみんなで集合して、イートインコーナーでアイスやホットスナックを食べた。
何年にも渡って毎日のように小学生に店内に溜まられてオーナーはさぞかし迷惑だっただろう。

そんな迷惑小学生たちにもオーナーはたまにお菓子をくれたり、話しかけてくれて優しかった。
(高校生になったとき幼馴染のうちのひとり、ちはるがそのミニストップでバイトをはじめた)

ミニストップでひとしきり遊ぶと、いつも溜まり場だったまゆみの家に向かった。
4人でゲームキューブのどうぶつの森をやるけれど、プレーヤーはひとりしかできない仕様だったので、順番待ちの間は漫画を読んだり、ピチレモンやラズベリーを読んだり、昼寝をしたり、各々好きに過ごしていた。


夕方になると帰る方向が同じなっこと家に帰宅するのだが、喋りながら自転車を漕いでいたら、流れ星が流れて、2人で今の見た?と盛り上がった。なっこはもう忘れているかもしれない。

中学生の時は全員が同じ部活に入った。
帰り道は毎日4人で一緒に自転車で帰った。隣はいつもちはるで、わたしがペラペラと喋るのをいつも聞いてくれていた。ちはるは当時から笑い上戸だった。

まゆみとは中学3年の時に同じクラスになったけど、合唱祭の練習の前にふざけていて怒られ、2人してベランダに締め出された。
受験のとき、まゆみはまったくと言っていいほど勉強をしている素振りがなかった。案の定当時の担任の先生におまえに残された道はスポーツ推薦だけだと言われていたらしい。本当は同じ高校に行きたかった。

高校を卒業したあと会う回数は減ったけれど、25歳くらいまでは、ほとんどの年越しを一緒に過ごして、近所の山に登り初日の出を4人で見た。10分で登れるお手軽な山だけれど、景色はよかった。自分たちが住むまちを見下ろせる。

そして30歳になった。
年越しはもう一緒に過ごしていない。みんなに家族ができたから。春にはもうひとり増える。

今日、なっこの大きくなったおなかに4人で手を当てて安産祈願をした。

追記 2024.6.9
なっこにこどもが生まれたので会いに行ってきた。小さくて、でも髪の毛がふさふさでかわいかった。








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