人的資本経営の「わかりにくさ」の「本当の」原因
久しぶりの「記事批評」であるが、今回はこちらを題材に批評と解説を行う。なお、決して批判一辺倒ではなく、大いに賛同できるところがいくつもあり、そのようなコメントも行なっている。
「対応しなければ法律違反になる問題」「雇用環境整備」というのは、「守り」(リスクマネジメント)の領域、と整理できる。
従業員の働き方の柔軟性をアピールして採用ブランディングに繋げる、「人件費」を「人材への投資」と捉え直す(そのための工夫をする)、というのは「攻め」(企業価値向上)の領域と整理できる。
「攻め」と「守り」で性質は異なると思えるが、いずれも「人的資本経営」につながっていく重要な取り組みである。
まず上図左上の「グローバル課題」については、「ESGの発祥でもある欧米における人的資本開示は、近年になって急に始まったものではない」として、下記のように解説されている。
次に、上図左側真ん中の「産業構造の変化」について下記のように解説されている。
一時期のGAFAのように爆発的な成長を遂げる企業の価値の源泉は、知的資産や財務だけでは上手く説明できなかったため、「組織の構造上の優位性」というのもそうであろうが、ともかくも知的資産や財務情報としては表現しにくい何か別の「競争優位性の源泉」があるのではという話になり、これをどう可視化すればよいかという議論が持ち上がったのである。
というのはおそらくそのとおりだろう。しかし、
と整理されている点については、私のとの「立場の違い」を強く感じるところだ。
すなわち、「各企業がジョブ型に基づいて個別に管理していたワークフォース(労働力/従業員)の実態について、ある程度共通の基準で開示」していこうという流れになったのは、「ESG観点の、社会責任と人権の視点が強い」」欧米特有のものであり、日本国内にこの視点をそのまま持ち込むべきではない、過度に強調すべきではない、というスタンスであるが、これに対しては非常に違和感を抱くとともに、ある特定の意図を感じざるを得ない。
そもそも、「グローバル課題(への対応)」や「産業構造の変化」に比して、「日本では、『働き方改革』をさらに充実・補完する流れが重要で」と言い切れるのだろうか。グローバル視点や「攻め」(企業価値向上)の観点をあまり重要視していない立場からの意見であると思える。
もちろん、「法令上の義務となっている開示事項のほとんどがこの課題に関する内容」というのはそのとおりだろう。ちなみにここは、「守り」(リスクマネジメント)の領域だ。そこに、「少子高齢社会の中での多様な働き方を、各企業で実現しようという狙い」があることもそのとおりで、こちらはどちらかというと「攻め」(企業価値向上)の領域のテーマだ。
「このような経緯があり」でいうところの「経緯」の説明におそらく事実誤認がある。したがって、「欧米の企業ではESGに関する情報開示が非常に充実している」との説明も苦しい。
実際に、世界中の企業から人的資本開示のお手本とされて注目されているドイツ銀行の「Human Resource Report 2021」を見ても、以下の人材戦略の4つの柱が示されている。
ここからも、「ワークフォース」の要素にもかなり触れられていることがわかる。したがって、「欧米の企業ではESGに関する情報開示が非常に充実している」「一方で、ワークフォースの観点ではあまり情報開示がされていないケースが多く」との解説についても疑問を感じる。
ちなみに、「開示項目も企業ごとにバラバラになっている傾向がある」と指摘されているが、その傾向はむしろ当然ではないか。「義務化」に沿った「規定演技」(「守り」(リスクマネジメント))一辺倒ではなく、「自由演技」(「攻め」(企業価値向上))の部分を充実させようと思えば当然にそうなる。
という点については、私自身が「海外の様々な業種・業界の企業の開示内容を分析」ということを数多くこなせていないため、なんとも判断しかねる。
ただ、我が国よりもはるかに(本格的な)HRテクノロジーの活用が進んでいる欧米において、「人の価値を最大限に発揮して生産性を高める」ということが疎かになっているとは到底思えない。なぜならば、HRテクノロジーの真髄あるいは本質とは、「人の価値(あるいはスキルといっても良い)を最大限に発揮して生産性を高める」ことを支援するもの、といっても良いからだ。もしかしたら、施策自体は当たり前のようにやっていて、それをわざわざ人的資本開示に載せることが疎かになっているのかもしれない、という仮説は立てられるかもしれない。
現段階では、「本当に大切なところは公開したくない」と考える企業も多そうだ。ただ、人的資本開示の動向について独自の調査研究を3年以上前から行っているHRテクノロジーコンソーシアム内の有識者やプロジェクトメンバーにも確認したところ、「一部をチラ見せしている海外企業はすでに昨年から多数存在している」とのことである。投資家をはじめとする様々なステークホルダーに対してアピールするための折角の良い機会であり、企業価値向上に繋げるためには機密事項以外はチラ見せどころか今後は積極的に開示が進められるべきだろう。
「日本企業では、こうした多様な働き方の問題に関しては、従来から労働法の枠組みの中で対応が行われている」との点だが、労働法の枠組みの外でも、いやむしろ枠組みの外での方が様々な対応や工夫が行われてきたのではないだろうか。いわゆるHRテクノロジーの領域や「Work Tech」という世界では、人々の多様な働き方を実現したり生産性を向上させるために様々な工夫をして機能強化をしてきたはずだ。
「労働法の範疇なので、経営学者の方などはあまりタッチしません。」とあるが、別にこの領域は労働法の専門家や経営学者の知見だけで成り立っているわけではない。
むしろ、日本企業の人的資本開示に多様性(ダイバーシティ)の要素が入っていないものを見たことがない。不思議な論評だ。
は、その通りかもしれない。両者は常に結びつけて考えられるべきだ。
「この領域」というのが、「労働法制の領域」(「守り」の開示)なのか「企業価値や経営手法、人材育成などの領域」(「攻め」の開示)のいずれを指すのかが不明瞭であるため非常に分かりにくくなっているが、「欧米の人的資本開示を参考にしようとはしているものの」とあるため「企業価値や経営手法、人材育成などの領域」(「攻め」の開示)のことを指しているのだろう。その前提で、この領域について「どうしてもすんなりと理解できず、浸透していかない」という理由を「社会課題に関する背景や経緯が異なるため」とシンプルに割り切り、「わかりにくいからこの領域を突き詰めるのはやめておこう」という方向に結果として導いてしまっているのが、本件記事の最大の問題点である。人的資本開示あるいは人的資本経営の専門家として振る舞うのなら、「守り」もしっかりと固めた上で、「攻め」の要素についても、課題も多く乗り越えるべきハードルも高いもののなんらかの解決策を示した方が良さそうだ。
この点、自戒の意味も込めて述べているが、どうしても私自身は専門性や知見の無さから「守り」の領域についての説明や主張が手薄になってしまうが、「守り」の部分は一番初めに固めておくべき領域であると考えている。ただ、ここを支援する専門家の数は十分に足りていそうであるため、彼ら彼女らにお任せしたい。
上の図について、私なりの解釈は次の通りだ。
欧米は人権問題に対する意識の高さからD&Iの取り組みが重要視される。
他方で我が国は、少子高齢化という人手不足問題、それに加えてただでさえ生産性低いという問題がある中、女性の活躍の場を増やすべき。
というまとめ方であると読み取れる。
しかしながら、解決策は女性活躍やジェンダー不平等解消のみに偏るべきではなく、「人材をフルに活用して生産性を向上させる」と広く捉えるべきであり、そのための鍵を握るのが「スキルの可視化」である、と整理したいところだ。
そもそも上の図表においては①から⑥の要素出しが非常に不明確でわかりにくい。ましてや、⑤のエンゲージメントというのは色々やるべきことをやった結果としてスコアに現れるものであるため、ここに同列にして含めるべきではない。
組合の力が強いことが、何に影響しているのだろうか。人権問題寄りの開示が目立ち、「人の価値を最大限に発揮して生産性を高める」ということの開示は少ない、ということにどのように繋がるのだろうか。
そのあとに、
という解説が続いているが、特に米国では組合の力が強く、これが雇用条件の整備を求めてきた結果ジョブ型の雇用制度が確立されていった、そのためジョブ・ディスクリプション(職務記述書)が伝統的にしっかりと作成されてきた、と要約することができる。
ジョブ・ディスクリプション(職務記述書)が伝統的に当たり前のように存在する社会・文化と、それが致命的に欠落している社会・文化とを比較した場合、圧倒的に前者の方が「人の価値を最大限に発揮して生産性を高める」ことをデータの力で、科学的に進めやすいのだ、という発想はお持ちでないようだ。少なくともこれが、人権問題寄りの開示が目立つことの説明や論拠には全くなっていない。
また、欧米主導でISO 30414が策定されたことは、何に影響しているのだろうか。むしろ、ISO 30414の「生みの親」であれば、「人の価値を最大限に発揮して生産性を高める」ことは決して疎かにならないはずだ。ISO 30414の中のメトリック(全58項目)をしっかりと理解されているのだろうか。
という点については大いに賛同する。
上の図は非常にわかりやすく、正確にまとまっている。
ただし、「ジェネラリストの不活性と育成」のところでは「スキルの把握」(スキルデータの取得)も要素として加えるべきだ。
今後も、おそらく欧米では「高らかに宣言」ということはないのではないか。HRテクノロジーに関する最新トレンドや機能レベルでのカバー範囲についての十分な知見をもってISO 30414のメトリックを詳しく見ていけば、「これは、workdayに代表されるような主要な人事ソリューションが標準的に備えている機能一覧とほとんど同じではないか!」ということに気づくはずだ。ということは、ISO 30414という規格というは後付けの話であり、もともと当たり前のように「やらなければならない」と考えられてきたこと(ただし、それらを実際にやれているかどうかは別問題だが)が体系化されて国際規格の形に仕立て上げられたまでである、という噂もある程度信ぴょう性があると思われ、だとすれば尚のこと一層、今更感があることについてわざわざアピールするような動きがなくてもそれは自然のことと思える。
もちろん、ガイドラインとして今後もほとんどの企業が多いに参考にしていくことは間違いない。
これが本当に事実ということであるのなら、「GRIスタンダード」や「SASBスタンダード」に偏っている現在の状況はあまり好ましいとはいえず、試行錯誤段階から抜け出してもう少しISO 30414を活用しても良いのではないか、とも思える。なぜならば、「企業における人権保障のためのリストのようなもの」に偏って頼れば、必然的に「守りの開示」一辺倒になるからだ。
もちろん、ISO 30414に厳密に準拠したり認証を取得することまでは必ずしも求められず、ガイドラインとして大いに参照すべきではないか。そうすれば、「人の価値を最大限に引き出す」という側面も、国内外問わず多くレポートに盛り込まれてい行くはずだ。
終始この論調が繰り返されているが、法令で義務付けられているところをまずやらなければならない、といった、当たり前のことを「専門家」が強調するだけでは、一般企業側の担当者は「そこだけやれば良い」と勘違いしかねない。まずそこをやった上で、「人の価値を最大限に引き出す」という側面にも必ず目を向けなければならない、という主張も加えてリードしていかなければ、のちに紹介するような「さむい開示」「ゆるい開示」、合わせて「ゆるさむい開示」で終わってしまう。
だからこそ、あるべき方向性を「専門家」や「有識者」が示すべきだ。にもかかわらず、この記事の中でも(これまでのところは(「前編」では))なんらそれらは示されていない。
いや、今回のような記事が「わかりにくさ」を助長してしまっている。
「経営戦略と人材戦略のつながりから考えていく」ときに絶対的に避けて通れないのが、経営戦略を実現するためにはどのような人材を育成したり確保しなければならないか、という点の検討である。要するに、人材要件定義が必要不可欠となる。人材要件定義は、必ずスキル・コンピテンシーベースで行われる。
これに関しては「自社の事情や業界環境を踏まえて、何を開示するのが最も適しているのかを見極め」という悠長なことではなく、個別の事情によらず必ず通らなければならない道である。
ここは大いに賛同する。エンゲージメントのスコアは、色々とやった後に、やる前と比べてどうなったか、その変化を測定するために結果として開示すべきものだ。開示に不可欠な「名脇役」ではあるが、決して「主役」になることはない。
という点にも大いに賛同する。
というのもその通りであろうが、女性活躍の話にだけ繋がるわけではないため、もっといろいろな論点に繋げて理解していくべきだ。
という点については、そのように信じたい。
という点は、否めない。
さて、実はこの記事の続編となる「後編」も一読したのであるが、こちらに対するコメントや批評はあえて差し控えたい(というか、省略したい)。
というのも、下記の整理表でいうところの「さむい」と「ゆるい」をいくら掛け合わせたところで「ゆるさむい」ものしか出てこないのだ、と腹落ちしてしまったからだ。
恐ろしいほどに、右上の「あつい」要素が皆無であった。
私もお世話になっている翔泳社からリリースされた記事だが、おそらく意図せずだとは思うが上の図の左側だけに偏った日本国内の現状を、さらに左寄りにさせてしまうパワーを持った内容といわざるを得ない。
同じ翔泳社でも、下記の2本の記事は本質論をわかりやすくまとめて頂いており、ぜひご一読をお勧めする。
以上、全体を通じて「辛口なコメント」という印象を持たれたかもしれないが、裏を返せば、親身になって日本企業の「人的資本開示」の支援を行なっていると自負している。
それが、株式会社SP総研の「『人的資本開示』対応コンサルティングサービス」である。
コンサルティングファームを始めすでに各社同様のサービスを展開していると思われるが、当社のサービスの特徴としては(おそらく日本で唯一)「スキルの可視化」の支援まで行なっていることを挙げることができる。
仮に他社でも同様のサービスを行なっていたとしても、そのための手法として「セルフジョブ定義」を用いている点も加味すれば、「日本で唯一のサービス」といえる。
現場主導型の、日本企業にもマッチしやすい手法を用いながら、無理のない「人的資本開示」を目指して支援している。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?