見出し画像

甥っ子に自分の若い頃の姿を見る~後編

前記事から少し間が開いてしまいましたが、去年から今年にかけての甥っ子と私との濃い1年間のお話を。

濃すぎてかなりの長編になってしまいましたので、お時間がある時にお読みいただければ幸いです。

前編はこちらをご覧ください。

前編では想像し得なかった出来事がたくさん、本当にたくさんありました。

=====================

前編から約1年半が過ぎ、受験生となった甥っ子はなんとか受験に挑むもあえなく失敗。

浪人生となってしまいました。

浪人するにあたり、地元だと予備校もないので私を頼ってこちらの家で1年浪人生活をすることになったのですが、これがとんだ安請け合いになるとは1年前の私は夢にも思いませんでした・・・

前編でも触れましたが甥っ子は私の弟の息子で、離婚後は元嫁が育てていました。

私は年に1~2回会う程度だったので、彼の人となり、普段の生活態度、体調等もしっかりと把握できておらず、前編からの約1年半を実際どのように過ごして受験に失敗したのかもちゃんとわかっていませんでした。

曲がりなりにも地元の進学校へ通っていたので、前編で触れたような葛藤がありながらもそれなりに勉強はしたものの間に合わずダメだったのだと。普通にそう思っていました。

=====================

予備校を決めて、実際授業が始まるまでは普通の浪人生(?)でした。

とはいえ、コロナ禍の影響をもろに受けのっけから授業はリモートとなってしまい、そこから徐々に本人の思惑通りにいかなくなります。

体調面では環境の変化に弱く、もともと偏頭痛持ちであることと気温の変化によるかゆみ(コリン性蕁麻疹)が出ると聞いていたので、勉強に差し支えるといけないと思い早速病院にかかって薬ももらって対応していました。

授業がリモートになってしまい、運動不足になるので朝の散歩を勧めると本人も進んで歩いていたのですが、だんだん途中で具合が悪くなったり、酷い時には目の前が真っ白になったりするようになったため中止させました。

病院で調べてもらうと血圧がものすごく高く、循環器科にかかってホルダー心電図も付けてみましたがその時には異常が出ず、現時点では診断できないと言われました。

そうこうしてるうちに体調不良を訴える日が多くなり、1日中寝て過ごす日も増えてきました。

頭痛で寝込む日が多かったのですが、コリン性蕁麻疹のかゆみがちっとも改善されないのが気になりググってみたところ、気になる病名が・・・

『突発性後天性全身性無汗症』

難しい病名ですが、ひとことで言うと免疫異常で汗をかけなくなってしまう国の指定難病です。

甥っ子の具体的な症状としては・・・

○飲食時や入浴時など暑さを感じると全身にかゆみや痛みが出る(汗はほぼ出ない)

○体に熱がこもると具合が悪くなる(胸が苦しくなったりする)

散歩時の体調不良の件も併せて考えるときっとこれだな、と個人的には思ったのですが、なにしろ彼は浪人生。

病気の治療と受験のどちらを優先させるかを本人とも話したのですが、その時点ではやはり受験を優先させて治療は大学入学後に、ということで話はまとまりました(この時点では診断は確定していません)。

=====================

ただ、それ以降、今度は勉強が上手くいかなくなります。

6月からようやく対面授業が始まり、予備校に行き始めました。

が、リモートでやっていたころから気になっていたのですが、自習をまったくしないのです。

最初に予備校で「予習をしっかりやること」と言われていたので必要なところの予習はしていました。

しかし、それ以外の復習や演習問題等を自主的にやっている気配がないのです。

それどころか、次第に予習すらしなくなりました。

何故自習をしないのか?と訊いてみると、仕方がわからない、とのこと・・・

仕方も何も、ひたすら問題を解くんだよ、と言ってもまったくやりません。

夏期講習に入り、自習時間が大幅に確保されたにもかかわらず行くのは授業のみ。

暑い家にいるよりもかなり快適なはずの自習室に行く気配はまるでなし。

=====================

それまで見てきていろいろと様子がおかしいな、と思っていたのですが、時々彼が口にする言葉がずっと気になっていました。

「勉強が嫌いだ、社会に出て使わない勉強をしなきゃいけない意味が分からない」

私自身も学生時代にそう思ったこともあったし、気持ちはわからなくはないのですが、それを乗り越えなければ合格はないと思っていたのであの手この手で尻を叩いてモチベーションを少しでも上げるべく声をかけていました。

しかし、夏期講習終了後2学期に入ると本格的に予備校に行けなくなります。

私の声掛けが逆効果だったのか、拒否反応を起こしてしまったのです。

毎日体調不良を訴え、寝込む日々・・・うつ状態に近かったです。

高校までも勉強というよりは部活、何より友達と楽しく過ごすために通っていた感じだったようなので、友達もいない予備校に通うのは相当な苦痛となってしまっていたようです。

困り果てた私は、気分転換がてら実家に帰らせて今後のことを話し合ってみることを提案しました。

勉強ができない状態でこのまま受験、進学を目指すのか?

それとも専門学校等へ通うか、もしくは就職するか?

いずれにしてもこのまま煮詰まった状態でここにいても何も解決しないと思ったので、一度実家に帰らせました。

=====================

その間私にとってはつかの間の休息となったわけですが、安請け合いしたことをものすごく後悔しました。

ここまで親代わりとしてあれこれ手をかけなければいけなくなるとは。

はっきり言って想定外も想定外、前編で綴ったような私が勝手に思っていた状況とは全然違っていたのです。

きっと自分が休職中でなければ対応できなかった、もしくは働けていても休職することになっていたかもしれません。

それくらい来る日も来る日も悩みは尽きず、自分の病気のことは顧みる余裕もないくらい(主治医に怒られるくらい)まで追い込まれていました。

ただ、実家に帰したことで彼の気持ちに変化が生まれて、どの方向でもいいから進む道が見えたうえで戻ってきてくれれば、とだけ願っていました。

=====================

半月ほど経った頃、甥っ子は帰ってきました。

実家に帰ったものの結局ろくに今後のことを話し合えもせず、専門学校も就職もダメ、ただどこでもいいから国公立を目指して頑張れ、私立は金銭面からダメだ、とだけ言われたと。

さらに友人や先輩にも相談してみるも自分が納得できるようなアドバイスはもらえず。

結果的に何も状況は変わらなかったため本人もさすがに煮詰まってしまったらしく、カウンセリングを受けてみたいと言い出しました(今の子供たちは学校でそういう機会があったりするらしく、前に一度受けたことがあったようです)。

私が話を聞くだけでは限界があるのでプロの力を借りようと、たまたま空きのあったカウンセラーの方にお願いして話を聞いてもらえることになりました。

結局カウンセリングでもあまり悩みの解消とまではいかなかったようですが、プロに話を聞いてもらえてある程度満足した様子ではありました。

=====================

その後、私が直接じっくり話を聞くことになったのですが、ようやく彼の本音を聞き出すことができました。

彼の主張(?)を要約すると・・・

○そもそも小学生の頃から勉強は好きではなかった

○それでも中学までは授業さえしっかり聞いていればついていけていた

○流れで進学校へ進んでしまったが、自分には合っていなかったと思う

○高校では周りとのモチベーション、実力の差に驚いた

○さすがに授業を聞いているだけでは追いつけず、成績も低迷

○しかし、自習をしたことがなかったのでやり方もわからずできずじまい

○受験に失敗したのはさすがにショックだった

○浪人生活当初はもう少し頑張れると思っていたが、結果ダメだった

○今はもうこれ以上受験勉強はしたくない

○でも社会人になる前の準備期間として大学には行きたい

○今の学力で入れる学校に入れればそれでいい(どこでもいい)

以上を聞き出して、もう勉強に関して無理強いはできないと悟りました。

そして今予備校に通えないのであれば、残りの時間を前に延期した病気の治療の時間に充てた方が時間の無駄にもならず、この先本人が少しでも楽に日常生活を過ごせるようになるのではないかと思い、本人にも提案したところ治療してみたいとのことだったのでそうすることにしました。

=====================

私が調べた限りでは国の指定難病だったので、診断がつくまでに時間がかかると踏んでいたのですが、たまたま市内に専門で診てくれそうな大学病院があったので近所の皮膚科で紹介状を書いてもらい受診したところ、即検査入院、検査の結果もやはり私の予想通り『突発性後天性全身性無汗症』という診断でした。

体調に関しては子供のころから不調が多く、しかし家族に訴えてもまともに取り合ってもらえなかったようでそれでずっとモヤモヤしていたようですが、今までの体調不良も結局はその病気から起因するところが多いとのことで、本人も納得できたようです。

病気だということがわかれば大学生になる前(時間があるうち)に治療開始した方がいいだろうということで検査入院からそのまま治療に入りました。

免疫の異常により汗腺が攻撃され、汗が出づらくなっているという状態なので『ステロイドパルス療法』という免疫異常を抑える治療を1ヶ月おきに3回入院(3泊4日を3回)で行いました。

ステロイドの副作用が結構酷く、退院後は寝たきりの日々が続いてしまったのですが、その頃には治療していなくても(勉強を無理に頑張らせていても)きっと同じことになっていたので仕方ない、とこちらも割り切ることができていました。

逆に当初の予定の進学後だったらこの治療は辛かっただろうと今では思います。

しかし、残念ながらこの治療ではほとんど効果は表れず、逆に軽い睡眠障害が残ってしまう結果に・・・その後は1ヵ月おきに通院し、投薬治療で改善を試みていますが現在も目に見える変化は起きていません。

受験の結果引き続き同じ病院に継続して通えることになったので今後も治療は続くことになりますが、難病指定されているだけあってなかなかすぐには改善されないようです。

それでも本人は長年悩んできた体調不良の原因は分かったので、今は上手く付き合いながら生活しています(気づけば頭痛もほぼなくなりました)。

そこに至ることができただけでもよかったかな、と私自身も思っています。

=====================

肝心な受験の方ですが、今の状況ではもうこれ以上勉強するのは難しいと判断して、現状の実力で受けられそうな学校を予備校の担任にピックアップしてもらい、その中から国公立、私立を問わず志望校を絞ることにしました。

それでも国公立で一応受けられそうなところもあり、私立も国公立の練習も兼ねて数校(目指してみる学校と滑り止め)受けてみることになりました。

その結果、近所の滑り止めの大学(所謂Fラン大学)以外は不合格でしたが、こんな状況の子を合格させてもらえて本当に良かった・・・というのが私の本音でした。

本人も大学のランクに関わらず「合格」をもらえたことで安心できたらしく、納得して進学を決意できたようです。

唯一の問題はそれが私立大学だったことで今後金銭面的に苦しくなるのですが、それはぶっちゃけ私には直接関係がないのでここでは申し控えたいと思います。

=====================

そんなわけで今は甥っ子も家を出て(とはいっても近所)、生意気にも新築のマンションで悠々自適、思い通りに学生生活を送っています。

早速友達もできたようで、たまに連絡をしても楽しそうにしているのが伝わってきて、去年とは全然違う様子なのでとにかく安心しています。

新居の家具等も大体は揃えたので、私もようやくお役御免となれそうです。

=====================

改めて今ざっと振り返ってみても、本当に大変な1年間でした。

先ほども述べましたが、安請け合いしたことを本当に本当に後悔しました。

主治医に「親代わりとして想像以上に手がかかるのが辛い」と伝えても、「もう子供じゃないんだから放っておけばいいじゃないですか」と言い放たれてしまい、私は拠り所を失いました。

子育ての経験もない独身貴族の私が突然18歳の子の親代わりとなり、しかもいろいろ難しいことを誰にも言えず抱えてきた子を大学受験、合格まで導くことになってしまい、自分の病気のことは本当に顧みる余裕もなく1年間は良くても現状維持、としか考えられませんでした。

現にお役御免となった今、どっと疲れが出て動けない時間が多く、気持ちも沈みがちでますます夢も希望もなくなってしまっています。

これから改めて生活を立て直して復職を目指すつもりですが、1年を棒に振ってしまった今、休職期間内に復職できる自信がなくなってきました。

とにかく今はゆっくり休むことしかできないのですが、これがいつまで続くのか・・・不安しかないです。

=====================

さて、タイトルの「甥っ子に自分の若い頃の姿を見る」ですが、前編の頃は重ねて見るところも多かったのですが、後編においては結局はだいぶ違ったな・・・ということになってしまいました。

それでも「変なとこ似るなぁ・・・」と思ったところがいくつか。

○思ったことを言えずに自分に溜め込む傾向がある

→親の離婚により我慢しなきゃいけないことが多かったのかな、と

○友達(他人)のことを優先しがち

→自分のことを犠牲にしないように気を付けてほしい・・・

○勉強が嫌い

→私は大学に入ってから嫌いになり、卒業まで7年要した


何はともあれ、大学は4年で卒業していただきたいものです。

最後まで読んでいただいた方、本当にありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?