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「劣等感→やり切る。」までのハナシ。

2記事目。僕の名前の話だ。

Twitterの「@」の後ろ、「やり切る。」という名前の由来の話。

タイトルにもあるが、

僕は幼少期からかなり劣等感を感じながら生きてきた。

小学5年で、当時一番仲の良かった友達とずっと一緒にいたくて、ラグビーを始める。クラブチームは福岡市内の筑紫丘ラグビーフットボールクラブ。今では中学のクラブチーム全国大会で優勝するぐらいの名門だ。

今ではすっかり有名になってしまったが「五郎丸歩」も同級生でいた。

その他、九州選抜に選ばれる選手もいて。

(ちなみに当時の五郎丸は桁外れのキック力と恐ろしいぐらいのタックル力を持ち、今の落ち着いたイメージとはかけ離れた激しいプレーをしていた。分かる人には分かるかもしれないが、RWC2015スコットランド戦の前半終了時に見せた、トライを阻止した渾身のタックル。ああいうタックルを中学の時に既に連発していた。)

はっきり言って、僕がそこにいるのは場違いに近い状態だった。でもなんとか練習にもついていき、最後の試合もウイング(福岡堅樹選手のポジション)でレギュラー出場していた。

俺は、なんでラグビーなんかやっているんだろう・・

いつもそんな気持ちで練習も試合にも出ていた。だが、ラグビーというものは不思議で、一度始めたら「M気質」みたいなものに火がついてしまい、たとえどんなに練習がきつくても監督が鬼でも絶対にやめられなくなるらしい。不可逆的とはまさにこのことだ。

とにかく、自分よりも体の大きい、プレーも上手い、足も速い選手に囲まれて続けていると、一生懸命に努力はしていても子供ながらに限界は感じる。それが次第に「劣等感」に変わっていた。

さらに拍車をかけたのが高校ラグビーだった。

県大会決勝に進むような強豪校に先輩のススメをきっかけにノリで入学してしまい←、来る日も来る日も鬼練習。休みは公式戦の翌日とテストの前日ぐらい。ほぼ365日走り、ぶつかり、気を失いながら必死で練習していた。

そしてここにも九州選抜や高校日本代表級の選手がゴロゴロいた。

明らかに実力で劣る事を理解しながらも、それでもやめると監督に言う勇気もなく、3年間を終えた。高校ではリザーブと呼ばれる、いわゆる「補欠」で最後を終えた。冗談抜きで死ぬ思いで練習に打ち込みながらもやはり「天性」的に足も早く、体も大きく、テクニックのある選手には敵わないんだと思えば、やっぱり劣等感は育っていたのだろうと思う。

結局大学でもクラブチームでラグビーやる事になり、僕のラグビー人生は結局、11年間に及ぶ事になる。

さすがに大学のクラブチームだとある程度エンジョイラグビーで楽しみながらプレーは出来たが、やはり中学・高校での経験は今でも人生に様々な影響を与えていると思う。

―――そんな劣等感を抱えて生きていた僕が、今、「やり切る。」を名乗るきっかけとなった出来事はある日突然訪れた。

大学のキャンパスを親しい友人と歩いていたある日、に何の気なしに言われた一言。それは、

「お前。言ったこと絶対その通りにやってるよな。」

自分では気付いていなかった。例えば、朝起きて「今日はジムに行く」と言えば必ずジムに足を運ぶ。100%、だ。

小さな事でも良い。「今日の夜はカレーにする」と言えば、カレーを食べる。「ローソンでバイトするわ」と言えばするし、「You tubeやってみるわ」と言えば弾き語り動画もアップする。

「今年の冬休みは一人で海外旅行に行く」と言って飛行機だけ予約して2週間のトルコ一人旅に出かける。

旅行業の資格をとる、と宣言して半年かけてとる。

「自分で宣言したこと・決めたこと」を結果いかんに関わらず必ず最後までやってるよな、と言ってくれたのだった。

少し、心が前向きになれた瞬間だった。

人と比べ、劣等感を感じ、ラグビーでは大きな結果を残せなかったが、そうして全力で戦いもまれにもまれて来た経験が、いつの間にか

「自分で決めた事ぐらいやり切らないと、成長できないし誰にも勝てない」

という「やり切りマインド」を同時に芽生えさせていたいたのだった。

その習慣がついていたこと・その習慣に気付けた事で加速的に自分への理解が進んだし、その後の就職活動や仕事でも強みとして生かせている気がする。

今でも、つい人と比べて劣等感を感じ、自信を失いそうになる事が沢山ある。でもそんな時こそ、

「自分で決めたことを最後までやり切ろう」と自分に言い聞かせるのだ。

必死で生きてたどり着いた自分の強みまでも見失うわけにはいかない。人と比べる暇があれば、昨日の自分と比べよう。決めたことやり切る事でしか人は成長出来ないんだと。

最後に。

自分の人生の永遠のテーマ、追いかけ続ける言葉は

「器の大きな人間になる。」

これはどこまで行っても完成形のない、文字通り永遠のテーマでもあるが、人としての器を大きくする方法はまず、これだそうだ。つまり、

「自分との約束を守る。」

小さな事でも自分で決めた自分との約束は守る。小さな事でも、それを積み重ねていくことが人としての器を広げていき、やがて人の事も受け入れられるようになる、と。

幼少期から抱いていた劣等感を自分の強みに変え、これから生きていく上での大切な要素として磨いていく、と誓いたい。

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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