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認知行動スキルとやり合う。祖父から父から子へ

今日は、色々と本を読んだり論文の骨子を作ったりと進捗が多かった日。
でも、この時間になって、ただ頭がぼーっとしている。

色々とやってみているけど、本当は何をやりたいんだろう?

いいパス回しが出来た一日なのに、一本もシュートが入らない。
思っていたことをやっているはずなのに何かが違う。もやもやする。

今日読んでいた本の「経営戦略」というジャンルでは、KSF(Key Success Factor)と現実のギャップをとりのぞくことが「戦略」でそのいくつものやり方は細かく「戦術」となるらしい。「成功の鍵になるファクト」こそが命題だと。他大学院の授業でそんなことを学んでいる。そして、経営とキャリア形成とはとても似ているとしきりに言う。それは、そうなのだろう。

小さな頃、何になりたかったのだろう?

父親は、歯科医をしていた。でも、お父さんは生まれつき色の感覚が普通の人とはちょっと違って、大学入試を受ける頃はまだ、その色覚異常がある場合、医学部・歯学部、場合によっては理系全般に進学が厳しいと言う事実だった。今は、そんな機会の平等を奪う差別的なことはなくなったんだけどね。(ちなみにその頃は、「色盲」という言葉がよく使われた。小学生にはキッツいレッテルでしたよ、そりゃ・・・)

君たちのおじいちゃんは、とても腕の立つ歯医者だった。治療を受けた同級生が口々に言うから本当なのだろう。いわば、口の中のミクロの世界の大工さんのような人。入れ歯も銀歯も、それはフィットしたらしい。

家に診療所がくっついていたから、父親の仕事する姿を小さい頃からよく見てきた。

口の中に毎日ドリルを突っ込んで削ったりする仕事に就きたかったのか?といえば、そんな風でもないし、親の家業を継ぐとかそういう雰囲気もなかった。ただ、父親のような職人気質になりたかった。

大学では法律を学んだような記憶があるが、法律家にはなれず、TV局に入った。バラエティ・音楽番組・ニュース報道・・・・・いろいろとやった中で肌に合ったのは「ドキュメンタリー」だった。個々には、職人気質が際立ち、この職人だからこの作品 という通底する感覚があったからかもしれない。どこかで違う業界だけど、父親の職人気質を追いかけていた。

ただ、歯を治療するのは、苦痛をともなうけど人を楽にする仕事。ドキュメンタリーを作るのは、不幸な人を探してきて、その人のつらさを不特定多数のマスに曝け出す業の深い仕事。

ドキュメンタリー職人にはなったが、自分のしていることの業の重みに耐えきれなかったのだと、ココロを壊した時を振り返ると思えてくる。
美しく磨かれたカメラレンズを暴力的に向け、その人の苦悩を傾聴し続ける。辛い様子を無言で見つめる。

大きな反響を呼ぶ作品もそれなりに作ったけれど、やっぱり職人とはお客さんをちゃんと幸せで心地よくする結果を出すものだったんだろう。
プロの「電波芸者」になって、”他人の不幸は蜜の味”の甘味を作る職人だったのだとおもう。その覚悟はあっても、仕事で心も体もボロボロになってしまった時期があった。TV露出と一瞬の名声を売りつける詐欺師のようなもの。

これからは、ちゃんとお客さんの要望を聞きながら、その要望以上の満足をしてもらえるような仕事をして行こう。
こんな歳(47歳)になって、これから何をしようかと悩んでいる場合ではない!と突っ込まれたっていい。「今日は死ぬのにいい日だ」と思える毎日を生きていかねば、もうそんなに多くの時間は無い。

今日は、自分と自分の父親との関係性について、再構成してみた。
自分の行動のKSFが父親の職人気質だと気づくにはこれでも遅くはないだろう。

さあ、なんの職人になろうか?それを別にキャリアと呼ぶつもりも今更無いけどね。


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