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いまさら!『リコリス・リコイル』

アニメ『リコリス・リコイル』を観てみました。いまさら! と言っても放送されたのはちょうど1年前なので観るのが遅いというほどではありません(そうでもない!?)。評論を書くのは間違いなく時期ハズレですけどね。

『リコリス・リコイル』は女の子だけの秘密組織に属す二人の少女が主人公……という、いわゆる「バディもの」に属す作品。うーん。「バディもの」は要警戒です。特に、同性カップルものにはね。

話題になっているように見えて、押し売りが多いのがこの同性バディもの。いくら話題作でも普段なら観ないのですが、さる信頼できる筋が評価していたので観てみることにしました。

「同性カップルものは要警戒」と言っても、別にLGBTQ的な方々を差別しようというわけではありません。この手の作品に対する警戒感は、「異性排除」の文脈が見て取れたり、人間関係が閉鎖的になりネガティブになりやすいこと、精神的ポルノの域を出ないこと、等いくつかの不評化ポイントによります。

また、男性同士を描く場合は女性向けに作られていることが多く、二人の関係は近くて平坦で、トラブルはありながらも平和なチームの構築が主眼になったり、逆に女性同士の場合は日本の深夜アニメによくある都合の悪いもの(男だけでなく)を排除したビューティフル・ドリーマーみたいな世界観に寄ったり、と観もせず不安を書き連ねることはいくらでも可能です。

実は『リコリス・リコイル』も、第1話の冒頭10分程度で観るのをやめようかと思いました。ただ「この作者『PERSON of INTEREST』を観ているな?」と思ったところがあり、「女の子版パーソン」として観られそうだったので続けたところ、無事完走できました。正直に言うと、かなり「一気観」したんですけどね。

ちなみに『PERSON of INTEREST』(2011~2016年)はアメリカの連続ドラマで、男性同士のバディもの(途中から"女性同士"も加わる)。21世紀の海外ドラマ10傑に入れられる名作です。ま、これが良作すぎるせいでバディものに対するハードルが上がり切っている側面もあるかもしれません。

とにかく「バランス」が良好

『リコリス・リコイル』最大の長所は、そのバランスの良さにあると言えます。かなり様々な要素が出てきて正直「13話では足りない」と思うのですが、それぞれの要素についてしつこくしないので、複雑化はせずすっきりと、それでいて飽きさせないストーリーテリングがなされます。

唯一それでも足りないと思うのは、主人公二人の距離が縮められる過程でしょうか。女性同士のバディものと言えば、日本には『プリキュア』という大家(たいか)があり、あちらは最低半年、基本1年やる前提で作られているため、極めて丁寧に「ふたりのきもち」が描かれる実例をぼくらは知ってしまっています。でも、そこはどうにも太刀打ちできないでしょうから、無理せずあっさりで正解なのだと思います。

また心配ごとのひとつであるポルノ化も、見事なバランスで乗り切っています。健康的なチラっとお色気はなくもない程度に抑え、かつ、何とは言わないけど無駄にドン臭い服装をさせた某作のように無用なポリコレ配慮は行わない、という具合です。なお、ポルノ自体が悪いということではなく、「カレーライスにケーキをかけるな」という話です。どんなにケーキが好きだとしてもね。

SFにならないことの意味

本作において注目すべきもうひとつのポイントは、時代をつかむ感覚の鋭さです。秘密組織に属し、ガンアクションを展開する本作は、おそらく10年程度前なら製作されないか、あるいはSFになってしまっていたと思われます。

「SFになってしまった」という言い方をすると、まるでSFは良くないもののように聞こえますが、半分それもあります。SFは幅の広いジャンルであると同時に「絵空事」として軽視されるジャンルである側面も否定できません。その前提に立って私見を述べるなら、良いSFと悪いSFの違いは「現代・現実の延長線上にあるか否か」で分けられます。

なにかのセリフで「発達した科学は魔法と見分けがつかない」などと言いますが、まさにそれ。現実と地続きではない技術や概念が出てくることで「SFになってしまう」作品は、現実・現代とのつながりを弱め、どこか絵空事のようになってしまいます。

女性同士のバディものアニメと言えば古くは『ダーティペア』(高千穂遙作)がありますが、原作はSF小説です。細かいことは抜きにして大雑把に捉えれば『リコリス・リコイル』は『ダーティペア』の類似品と見なされることがあってもおかしくありません。

ただ、この10年で日本には大きな重大な変化がありました。それは、ゲームシーンにおいて若者を中心にTPS(Third Person Shooting Game、三人称視点のシューター)が受け入れられたことです。TPSの浸透により、ガンシューティングものをサバゲー愛好者を対象としたニッチなものにする必要がなくなり、現代を背景にした"撃ち合い"のシーンは絵空事ではなく「どこかで見た、ありえるもの」に変化しつつあります。

FPS浸透以前なら、『リコリス・リコイル』は「ダーティペアみたい」な作品になっていたかもしれないし、「ダーティペアみたいなものをまた作ってどうする?」と製作されなかったかもしれません。あるいは、受け入れられる層が限られて埋没していたおそれも。

また作り手のセンスとは別になりますが、2022年7月8日の、安倍元総理銃撃事件も本作の"現実味"を強化するうえで「追い風」になった可能性もあります(リコリス・リコイルの放映は2022年7月2日~9月24日)。逆に、この時代だからこそ安倍元総理銃撃事件は「それほど衝撃ではなかった」と言えるかもしれません。

作者の顔

全体像も細部も丁寧に、器用に作られている本作ですが、それ自体にはひとつデメリットもあります。あまりに器用に作られると、それが作者の采配であることが見て取れてしまうことです。

例えば、近頃は短絡的に主要登場人物があっさり死ぬ物語が喜ばれ話題になることが少なくありませんが、「こういうのが好きなんだろ?」という作者の声が聞こえ、悪い顔をしている様が想像できてしまうと、白けてしまい作品への没入感が減少します。

もちろん『リコリス・リコイル』はバランスのよい作品ですから、作者の配慮は感じるものの、その顔が思い浮かぶほどではありません。それにもし作者の顔が見えたとしても、きっと良い表情をしているに違いありませんから、気にするほどではないのです。

(おしまい)

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