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脱・丁寧な暮らし風

大学4年生の夏休み、私は1カ月間、ホームステイをした。
私が住んでいた家から車でわずか20分の所にある、母方の祖父母の家がホームステイ先だ。

当時、私は大学3年生のうちに就職先が決まり、大変不規則な生活を送っていた。昼夜逆転する体内時計。それを正常に戻すために全く寝ない日を設ける。そんな日々を定期的に繰り返し、気付けば人生最後の夏休みが目前に迫っていた。(社会人にも夏休みはあるけど、学生の夏休みは特別だからね。)

「このままではいかん・・・!私の時間を取り戻さねば・・・!」

自分を変えたいと思ったとき、意志の力だけでは変われないということを私は知っている。環境を変えるのだ。そして付き合う人を変えるのだ。

そこで閃いたのが「おじいちゃん、おばあちゃんとの共同生活」だ。

当初は、理想的な生活リズムを繰り返す2人と一緒にいたら自然と私の生活リズムも整うだろう、という淡い期待から始めた生活だった。しかしこの生活の中でそれ以上に大きなものを得た。あの夏、私は初めて「自分の暮らし」を手に入れた。

正直、「丁寧な暮らし」とか、ファッションの一種だと思っていた。
素材のいい服を手入れしながら何年も着てる人とか、豆を挽いてコーヒーをいれる人とか、とにかく、ゆっくりじっくり何かに日々取り組んだら「丁寧」なのかな、とぼんやり考えていた。
そもそも「暮らし」の概念が分からなかった。

おじいちゃんとおばあちゃんは、大体毎日同じリズムで生活している。
起床、ご飯、畑仕事、ご飯、趣味またはお昼寝、ご飯、お風呂、就寝。
基本的には、こう。
家には2人だけ。
3日くらい同じ日々を繰り返して、「よくボケずにいられるな」と驚いた。

だけどおかげ様で私の生活リズムも整って、寝ぼけていた頭が冴えてきたころ、2人が日常的にさまざまな小さな刺激を受けながら楽しく生活していることに気がついた。
去年はうまく育たなかったゴーヤが今年は大きく実ってきているとか、
さりげなく指輪をつけてみたとか、
自分たちで育てた季節の野菜をゆっくり味わうとか。
まさに「丁寧な暮らし」のお手本である。

もしも私が同じことをしていたら、確かにそれは「丁寧に暮らす人のマネをする私」でしかなかった。だって、そんな「日常の些細な幸せ」よりも、もっと簡単で楽しくて刺激的な面白い事がいっぱいあったから。
スマホだけでも、インスタにネットフリックスにYouTubeにと、コンテンツに溢れていて時間が足りないくらい。毎日少しずつ変化する野菜の成長を待てなかった。
消費するのに忙しくて、何かを生み出す余裕がなかったのだ。


2人の毎日は、生み出すことで忙しかった。
生きていくために必要な家事や仕事の合間に余白を見つけ、自分が楽しむためのものを自分で生み出すこと。
だから、生活の至るところに創意工夫が溢れていて、さまざまな試行錯誤が繰り返される。

そうだ、これが「暮らす」ということだ。

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