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生まれてすぐに息子は細菌に感染し高熱で生死の間をさまよう。たとえ、命が助かっても障害が残る可能性大。じゃあ、奇跡を起こしてやる。奇跡は起きるものではなく、起こすものだ。

ドラマは終わってなかった。
妻が長男の時と同様に3ヶ月の入院の末に産んだ子は
とっても元気だった。
大きな声で泣くしミルクもよく飲んだ。
そうして何事もなく2日間が過ぎた。
私も、のんびりと名前を考えたりしていた。
そんな当たり前の時間が今朝、会社で仕事をしていた私への
妻からの電話で崩壊した。妻は半狂乱だった
泣いているだけの妻
「どうしたんや」
赤ちゃんが・・・大変なの・・・早く来て・・・
生後2日目の息子は2日前生まれた産婦人科病院から
救急車で大学病院に運ばれた。
何かの菌に感染したらしく、急に高熱を発したのだ。
この電話が11時11分だった。
私は駅まで走った
「強い子・・・強い子・・・」
と叫びながら走った。
そして、電車の中でも
「強い子・・・強い子・・・」
と祈っていた。生涯でもっとも長い30数分だった。
 
大学病院では3時間待たされた。
処置が長引いたらしい。
やっと、集中治療室の主任先生たちの説明を聞いた。
総勢4人もの担当医から、事の重大さを私は感じた。
「県全体でも1年に一度あるかどうかの感染です」
主任先生は誠実な方だった。説明の内容から、
「奇跡でも起こさないと私の子はピンチなんだ」
と私は理解した。
「この日曜までが山です」
主任先生は、そう言った・・・
 
この半年間、家族全員がボロボロになるまで
がんばっても、ドラマはまだ終わってなかった。
妻が入院すれば5歳のマー君の送り迎えはお婆ちゃんだ。
お婆ちゃんも、やんちゃ盛りの子供の面倒を見るのは
大変だった。目に見えて疲れが出ていた。お婆ちゃんは
朝起きれないと涙を流す日もあった。途方に暮れて
私が会社に子供を連れて行く日もあった。
子供が寝付くまで毎日1時間童話を読んでやる
習慣もかかさなかった。私たち家族、死力尽くしての
半年間だった。そして、やっと、やっとの出産。
妻は、難産で歩くこともできない状態になった。
まだ、一度も子供を抱いていない。いや、抱きたくても
抱けないのだ。そんな状態になるまで頑張ったのに・・・
 
県全体で年間数例あればいい!
そんな細菌が、どうして私たちの所に来るんだ!
「神様は、また私たちに試練をくれた」
私は、こう理解した。
今日明日で父親としてできることは、すべてやる。
名無しの権兵衛じゃかわいそうだ。
さっそく、名前を決めた。
夫婦で会議をした。妻の病室で。
名前は一ちゃんだ。決定。
あした、役所に届ける。
健康保険証にも名前を入れてもらう。
名実ともに一ちゃんは私の家の子だ。
母親は動けないから、私が冷凍された母乳を
毎日、大学病院に運ぶ。
 
ちょっと、湿っぽく感じるかもしれないけど、
私は悲劇の主人公にはならない。
ヨーシ、そう来るなら奇跡をおこしてやる。
マー君もよくできたなと医師に言われたけど
一ちゃんも凄いんだぞ。
保育器の中の一ちゃんに、私は誓った
「お前が健康で生きるなら、とうちゃんの
命などいらない。今日の夜、ご先祖様に直談判する。
土下座しても、這い蹲っても、お前を助けてやる」
そう言うと、一ちゃんは高熱で苦しいはずなのに
チューチューとオッパイを吸うかのように口を
しきりに動かした。
「ヨーシ、強い子や」
私は、これまでの人生で得たものすべてを
この数日間に注ぎ込んでみよう。
我が息子、一ちゃんといっしょに人生勉強しよう。
奇跡は起きるものではなく、起こすものだ。
 

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