見出し画像

我が子はとても可愛いのである。似ているところは蛙の子は蛙であって、違っているところは、鳶が鷹を産んだ。どっちでもいいのだ。つまり親ばかなのだ。

幼稚園の先生が心配そうに5歳の息子を
迎えに来た妻に話しました
「とってもハキハキしていて
いいんですが、幼稚園のお友達と遊ばずに
絵本の部屋に入って、ひとりで本ばかり
読んでます」
それを聞いて心配した妻が
「協調性がないのやろか」
と会社から帰ってきた私に言った。
さらに妻は
「クラスの男の子がみんな乗れる自転車に
乗れないの」
と言った。
それを聞いた私が
「個性は才能や。変わっていることは
勲章や。精魂こめて育てた自分の子を
信じてやろうやないか」
と言い返すと
「ハッハ・・・どこかの偉い坊さんみたいなこと言うて
あんた、自分を何様やと思ってるの」
と笑った。すると
「旦那様やんけ」
そう言い合いながら、私は昔の自分を思いだした。
 
私は高校2年生になるまで、まともに
一冊の本も読んだことはなかった。
家には、学校の教科書と参考書くらいしか本はなかった。
それも必要な部分しか読まなかった。
本を好きだという友達は、ひ弱な奴だと思っていた。
そんな暇があったら外で野球をしたり、テレビを見ていた。
だから、息子は、私の高校2年生当時よりも
勉強熱心ということになる。それに息子は
尊敬すべきことに2歳から寝小便をしていない。
おむつも2歳半からしていない。
それに対して私は中学2年生まで、
時々、布団に地図を描いていた。
ひょっとして、トンビがタカを生んだのだろうか。
いや、生ませたのだろうか。
 
言語能力は皆無の私だったが
音楽的才能は非凡だった。
幼稚園のころの私はカメレオンと言われた。
朝の出欠の返事から、お歌の時間の声まで
なぜか、毎日、声が違うからだ。
その日の気分で7種類くらいの声で歌って
先生をあきれさせたものだ。
 
音楽でのエピソードには事欠かない
たとえば、私は小学校4年生から習う縦笛よりも
ハーモニカが良かった。絶対に良かった。
全員が同じ楽器を吹かねばならない理由を
教えてほしかった。そのことも話して
もらえずに、どうして縦笛を覚えなければ
ならないか分からなかった。
ハーモニカなら、一度音を聞くだけで
すぐに吹ける自信があったからだ。
歌は楽譜は読めなくても何でも吹けた。
「僕はハーモニカの腕を磨きたかったいんや」
と私は言ったが、先生は
「4年生からは縦笛を習うことに
決まってるのよ」
と、たしなめるように言っただけで
当時の私を納得させることはできなかった。
と言うよりも、
「かわった子ねえ」
と思われていたかもしれない。
 
こんなこだわりのせいで、縦笛は
とうとう6年生までかかって
ドレミファソラシドも吹けなかった。
練習もしなかった。
そんな必要もないと思っていた。
 
私のこんな例は、10指に余るのである。
そう良く考えれば私の幼い頃も、ぜんぜん協調性がなかった。
そう言う点だけは蛙の子は蛙なのかもしれない。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?