「熱に浮かれて」

誰があの夏の歌を口ずさんだのだろう。
そんなことを
春の月のせいで思い出す。

畦道に一人佇み、
そっと聞き耳を立てる。
違う。
これはあの歌じゃない。

小川にかかる古い橋の上。
そう、これかもしれない。
でもまだ遠くて。
どうしても手が届かなくて。

猫じゃらしを撫でる。
耳元でゆっくりと、何度も。
少しずつ、目の前が狭くなる。
近いはずで、同じはずなのに
離れてゆく気がした。

月夜。
少し紅く輝く。
いつだってあの月という奴は
確固たるものだ。
そのくせ、
思い出を返してはくれない。
いつも同じような顔のくせに
いつだって別人だ。

あの夏の歌は
たった一度。
そんなのは悲しすぎるのに。
認めたくもないというのに。
それでも、しみったれた私は
胸を躍らせる。
また、性懲りもなく
目前に迫る、その季節に。

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