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DX物語(1)~「X抜きのDX」が失敗するに決まっている件~

引っ張るつもりはないので、結論から入ります。

タイトルに「物語」をつけて海物語(触れたことはないので名前しかしらない)並みの長期物にしてアクセス数を稼ごうとチラと思ったのですが、特にそうするメリットは無いので、まず結論から入ろうと思います。

DXはXが重要で、Xしかない

DXというのは、デジタルトランスフォーメーションの略語というのは有名ですが、トランスフォーメーション(X)が重要であって、所詮デジタルはツールに過ぎない事は歴史を見れば明らかです。

歴史を見れば、情報技術が物事のXの重要な役割を果たしているのですが、本質はXとわかります。

  1. 紀元前、カエサルは文字は発明しませんでしたが公文書を用いて世論を操作し、ローマ共和国の統治形態をXしてローマ帝国を作り上げました。

  2. 中世、中華帝国の皇帝は、試験制度は発明しませんでしたが、科挙を用いて支配体制のXを行い強力な官僚制を作り上げました。

  3. 近世、ナポレオンは新聞を発明しませんでしたが、新聞を利用してフランス共和国をトランスフォームしてフランス帝国を作り上げました。

このように、大なり小なりの社会的・事業的な変革を行う際に、基本的に情報技術はパーツとしては必須ですが、重要なのはあくまでXという事がわかります。

最近の日本のDX事情を見ると、X抜きでDだけ入れて失敗しているケースが多々あるのは、マイナンバーカードの体たらくを見るだけでも、よくわかると思います。

経営は大なり小なりXを続けるという事なのに、なぜかXをしないで経営できる環境が整備され、結果、詰み始めている日本

経営というのは、基本的に外部環境に適応しながら価値を生み出す営みです。つまり、Xしないで停滞するのは、ただ緩慢に消え去るしかありません。

ふつうは。

どうも、日本の場合、高尚な正論を述べながら真逆の行動をとる、言行不一致な人たちが制度を固め、Xをしないことが正解になっているようです。

高尚な正論に従えば、まず終身雇用慣行とその優遇制度を壊すはずですが、なぜか低賃金の期間労働者を増やし、偉い人たちがXしないで済む、Xしないことが成功という構造が作られました。

まぁ、経済が日本国内だけで閉じていれば、まぁそこそこ続くのでしょうけど、そうじゃないので、30年かそこらたって詰み始めているのが今の日本という事です。

なんせ、変化しないことが正しい環境で固まってしまっているので、再起を図るのも難しい。

結構な大企業が「かつては日本企業だった」という状態になっているのは、まぁ、そういう事なんでしょう。

わかりやすいXを伴わないDX事例

ちょいと最近、DXなんちゃらとか言う自慢話大会を見学していたのですが、愕然とすることがありました。

その企業、オンライン販売にシフトしていって、それがまぁDXだったらしいんですが(ネタ的には20年前の話かと錯覚したのですが)、なんと、オンライン販売というDをしながら、販売施策は昭和時代の地域代理店制、つまり全くXしていない。

オンライン販売サイトが、代理店ごとに分断された謎のショッピングモール化し、ユーザビリティを悪くしているどころか、本来できるだろうサービスが提供できていない。

なんというか、競合が出たら終わるだろうなと思って、競合を見たら、Dすらしていませんでした。

こんな風に、Xしなくても、Dだけで変革したように錯覚できてしまうのが、日本のDX事情なんだろうと、思わず遠い目をしてしまった次第です。

そういや「オンライン開催しないリモートワーク展」なんてのに招待されて驚いたことがありましたね。これは説明すら不要でしょう。

永遠にX抜きのDXをするしかない「裸の殿様」現象

とまぁ、X抜きのDXをはたから見ると、なんて馬鹿なことをしているのだろうと思うのですが、正直なところ、Xが抜けてることに気づくのは難しいのも事実です。

この辺りは心理学の人たちに譲りたいのですが、どうやら人間というのは昨日までの毎日やってきたことに相当にとらわれてしまうようです。

それを打破するのって、異なる文化風習やらバックグラウンドに所属する人に指摘してもらうしかありません。

ですが、日本の場合は同質性が極めて高く、その同質性を守るために異質な意見は出てこないか、封殺、追放されてしまいます。

これを、私は裸の殿様と言います。

裸の王様は「個々人がプライドを守る」ために、結果、全員が愚行を選びました。

一方、裸の殿様は「同質的で居心地の良い所属集団を守る」ために愚行を働くという点で明確に違いがあります。

裸の王様の場合、指摘を受けて個人レベルで愚行に気づけば止めることができます。つまり、裸の王様は、きっかけがあればXが起きる。

残念ながら、裸の殿様は「みんなが」「なんとなく」「忖度」という得体のしれないものを中心に行われているものなので、行為の評価基準は「所属集団が居心地よいか」です。「殿様は裸だ」と指摘する子供は、単なる空気の読めないやつという話で片付けられます。裸の殿様には永遠にXは起きません。

ちなみに、経費精算に「手書きで押印された領収書が必要(※)」という大企業さんの会社お話を伺ったりすると、ああ、裸の殿様がここにもいたな、と思い、そっと距離をとります。

(※)これは効率が悪く、偽造も容易で信頼性が低い。ほかの手段がない時代ならともかく、今はもっと信頼性の高い方式の領収書がある。このように、経営的にメリットが無いプロセスが何十年も温存されている時点で、そうとうやばい香りがする。この手の組織は平時はゆっくりと衰退していくが、市場変化が起きると何もできずに沈む。規制産業はこういうやばい企業が本当に多い。

裸の殿様がいる組織って、何をどうアプローチしても、現状肯定しかしないんで、お互いに時間と金の無駄なんですよね。

というわけで、X抜きのDXは、Xが無いので成功のしようがないというか、DXができないという事です。

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