フレームワークとの付き合いを考えるときに、歴史的英雄を眺めると良いかもしれない
ちょっと前までOODAとかバックキャストでムーンブルクとか言われて情報商材化していたけど、今はAIに置き換わってる件
ちょっと前まで、「PDCAは時代遅れだ、OODAだ」とか「バックキャスト思考で云々」とか「デザイン思考じゃないとダメだ」みたいな話がちょいとばかし盛り上がっていましたが、気づけばAIに入れ替わって結構トーンダウンしている感が否めません。
まぁ、金にならないという単純な原理が働いているせいだと思うのですが、フレームワークって悲しいことに情報商材と相性が良いんだろうなぁと思います。
なんせ、フレームワークの大半は、なにがしかの複雑な事象に対する解釈にすぎなくて、主に経営的なジャンルでは、成功の再現は約束しないけど、再現を狙う時の手助けとして使える「かもしれない」くらいなものです。
そこら辺を忘れて「××はもう古い、今の時代は~」と言う話に引っかかり、耳を傾けてるうちに、なんとなく「良い悪い」の話になって、きれいなリーンキャンバスを書くことに
ビジネスモデルキャンバスが古いから悪くて、リーンキャンバスが新しいから良いのかというと、そんなことはありません。
繰返しだけど、フレームワークはフレームワークに過ぎない
ようは、ジャックウェルチやスティーブジョブズが大成功したのを見たり、事業活動と市場経済を見て、まとめたのがフレームワークなわけですから、当然、事細かに詰めていくと所詮は机上感がいや増すわけです。
イケてる企業の経営者に「いやぁ、すごいですね、リーンでOODAですね」というと「は?」と言われたりします。逆にイケてない企業は…とは限りませんが。
まぁ、彼らとしては、経営学的だったりマーケティング的だったりなフレームワークの知識はあって、何か考えをまとめるのに使ったりしている事は多いですが、実行に踏み出したら感覚的には、やる事をやっているだけ、だったりします。
以前の記事を書いていて気付いた、歴史上の英雄が使う事を想像すると、情報商材に振り回されない説
じゃあ、フレームワークって具体的にどういうポジションだったのかというと、前回たまたま「歴史上の英雄にITを使わせたら」という例えを使ったら、個人的には分かりやすかったので、これ案外と使えるんじゃないかと気づきました。
仮に、ユリウス・カエサルに「お前はPDCAか、OODAか」と尋ねても「その時々で使いやすい方を使うかもしれないけど、そんな意識していない」と言われそうです。
武田信玄に「風林火山て、孫子のフレームワークですよね、時代遅れですかね」と言ってみても、「は?やる事やればいいんじゃね?」と言われそうです。
そういえば、実際にフレームワークについて語った歴史上の英雄がいた
そう、かの天才、曹操ですね。彼は孫子というフレームワーク満載の戦略書(風林火山も孫子の中にある)に注釈をいれています。曹操は『孫子』の前書きで、以下のような事を言ってます。
細かく検討され、重要な事を押さえている。
理論展開に矛盾が無い。
で、所々で、こんなような注釈をいれています。
そもそも、事を起こすときにはデータを集めて戦略を考えろという事だ。
この観点を押さえて、物事を測ればとれる策が決まるって話だ。
ようは機会や脅威の判断は、この観点で整理すると分かりやすいって話だ。
投資をするなら、この効果を狙うのであり、タイミングはこのあたりって事だ。
まぁ、フレームワークの付き合い方として、これくらいが適切なんでしょうねって事です。