ふたご
今日ふたごの姉とケンカした
二十歳になってまでケンカするとは思わなかった
だから今日は少しふたごについて書いてみる。
・偶然ふたごで産まれただけ
私は偶然、二卵性双生児でこの世に誕生した。
どこの神様がそんな余計な計らいをしたのだろうか、生まれた瞬間から私たちはそう思っていたはずだ。
今まで自分たちやふたごで生まれてきた存在を不憫だとも思って生きてきた
そんなの双子に失礼だって?
そんなこと知るもんか!ふたごでもない奴らに言われても説得力がない。
でも、自分たちが周りより少し特別だとも思って生きてきた
矛盾してるじゃないかって?
そんなこと知るもんか!ふたごってだけでみんなに一目置かれるでしょ?
こんな感じで、矛盾にあふれながらも、ふたごという肩書に邪魔されたり、時には得をしたりと、お互いの存在に振り回されながら生きてきた
・”ふたご”じゃない、わたしの確立
赤ちゃんや幼稚園の時なら気楽でよかった。
でも思春期になると話は別だ。
ふたごというい存在が邪魔で邪魔でしょうがなくなる
お互いの存在が、”わたし”の存在を消そうとしてくる。
顔、性格、頭の良さ、運動神経、、、
世の中の人はふたごだと知った瞬間、すべてを比べようとしてくる。
そのおかげで、お互いはせっせと片割れとの違いを作ろうとした。
私たちを例にすると、髪の毛はもちろんロングとショートに分かれて、
絶対に被せないようにする。
服のジャンルもそうだ、何事にも違いを作ることはふたりの暗黙の了解となっていた。
でも、一生懸命差別化をしようとしても、周りはそれを許さない
どうにかしてでもふたごをくっつけて、天秤に乗せなきゃ気がすまないのだ
わたしたちはお互いを常に意識して、時には存在を消しあって生きてきた
・かけがえのない存在
さっきまではふたごの悪い所をつらつらと並べてしまったけど、
逆に考えると良いようにもとらえることができる
ふたごってだけで存在や、名前を覚えてもらえる。
中学校までかもしれないけど、教科書を忘れても困らない
(それくらい自分で持ってこい、笑)
ふたごはお互いを常に一番近くで見てきた存在。
嬉しいときも、辛いときも、自分のことのように感じることができる。
思春期の時は辛い気持ちになったことも多々あったけど、
それを乗り越えることができたのも、片割れの存在があるから
お互いを一番に気遣ってきたのは本人たちなのだ
だからもし、現在ふたごというレッテルで悩んでいる、ふたごの親になる上で不安に感じている方がいるのならば
どうか安心してほしい!!!
かならずふたごでよかったと感じる時が来ます。
そして、世界に一人しかいない人生のパートナーを作ることができます。
ふたごに接点がない方はとても大げさに見えるかもしれないけど、
実はこんな風に思ってるんだ、と頭の隅においていただけたなら幸いです
以上、絶賛ケンカ中のふたごの独り言でした🌻
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