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まい すとーりー(5)落ちて迷って身につける視覚障がい者の歩行力

霊友会法友文庫点字図書館 館長  岩上義則
(『法友文庫だより』2013年秋号から)


 私は最近、通い慣れた道なのに、自宅マンションの行き帰りに迷ったり、電車の最寄り駅を乗り越したりして人手をわずらわせることが多くなった。「それは加齢のせいだよ」と言う人もいるが、単独歩行を自立の基本にして、今も現役で勤務する視覚障がい者の一人としては、何ともふがいないことになってきたものだ。

2度も警察のごやっかいに

 私は、週末をさいたま市で過ごすことが多いが、16年間も歩き慣れた自分の庭のような地域で、初めて迷ってしまった。
 最寄り駅からマンションまでの道は3ルートも学習していて、道路の傾斜がどこから始まり、どこに車止めがあって、何本の路地があり、塀が金網なのか石塀なのか分かっている。また、駐車場には駐車場の、空地には空地の、建物には建物の響きがあるもので、それらを白杖の音や足音で感じることができるなど、大切な歩行情報は全部耳と手足に覚えさせて歩いているつもりだ。ああ、それなのに、それなのに!!

 最初の迷いは、ケータイをかけたときだった。
 どこで止まって電話したかがはっきりしないことが、まず位置感覚を狂わせたらしい。しかも、喋りながら無意識に動いていたようで、何に対してどれくらいの角度で立っているのか、方向もはっきりしなくなった。
 その時、JR埼京線の電車が通加したので、歩道と線路の方向や位置関係に関してはおおよそ知ることができたので、危機を脱したかに思われたが、そうはいかなかった。神社の横を通って、ダラダラ坂を下って、マンホールの蓋を踏んで、はじめて自宅に通じる安堵と確信が得られるのだが、全く駄目。さんざん徘徊したあげくの果ては110番へのSOSになってしまった。

「もしもし、目が見えない者ですが、道に迷っています」となさけない電話をかけることになったが、「何の建物が見えますとか、何何の看板があります」と普通なら言える周囲の情報説明ができない。
 しかし、「直ぐに行きますから、そこを動かないでください」というのが警察の返事。なぜ私の居所を訊かないのかと一瞬不思議だったが、ケータイからの地図情報をキャッチされたことがすぐにピンときた。
 その後、ものの4、5分も経たないうちに見事に私は発見・保護されることになった。

 一昔前なら、盲人が道に迷ったら、それこそ大変だった。
 ケータイはない、公衆電話は見つからない、人はつかまらないしで、誰かに発見されるまではいつまでも野ざらし状態でまごつくしかなかった。
 実際私には、遠い過去に、夜中の高田馬場で3時間アパートに帰れなかった経験がある。だから、ケータイの普及は実にありがたいのだが、その一方で防犯カメラも含めて、監視社会の進行を“嫌だなあ”と思う勝手な気持ちも持ち合わせている。

 私の本心としては、無駄な抵抗ながら、できるだけ人目に付かず、地味で居たいのだから、白杖も一番細いのを携帯しているし、目立つことは最小限にしたいところだ。
 白杖は障害物を発見する意味もさることながら、他人に自分の存在を目立たせることに意味があるのだ。冗談ではなく、「私は透明な杖がほしい」と言って笑われるが、そうはいかない現実が重い。
 盲人の生活は全てにわたって不自由だが、中でも歩行は厳しい。第一、歩けば常に危険が伴う。ぶつかれば痛い、転落はもっと怖い。だから、率直に言えば這って歩きたいし、手も前へ出して歩きたいくらいだが、見栄と虚栄心がそれを許さない。          

 

ここはどこ?

 さて、「ここはどこなのでしょうか?」とお巡りさんに問う私を驚かせたのは、とんでもない場所を言われたことだった。思いのほか広範囲を徘徊したことになる。「10数年も歩き慣れてるんですがねえ」と弁解のように、愚痴のようにつぶやく私に対して若いお巡りさんは「たまには、そんなこともあるでしょう」と慰めてくれた。
 
 ところが、その3日後に、今度は逆コースで、またも迷ってしまったのである。ベテランの単独歩行を自認する自分だが、もはや失格か。“これじゃあ通勤を続けるのも危ういかも”と深刻に思い詰めたものだった。
 そのときは行きずりの人に声をかけたのだが、それがかえって迷いを深めることになった。目安の場所として連れていってもらった幼稚園の玄関の向きが自分の認識とは90度違っていて、玄関の前にも狭い道があることを後に知ったのだった。
 それだけでパニックになって歩行に行き詰まったという次第である。その日が日曜だったのと、裏道だったこともあって、なかなか人が通らない。またも110番に「もしもし」をするはめになってしまった。

 電車の中でも、おかしな傾向が出てきた。盲人なら誰でも、車内が混んでくると押しまくられて方向を失いがちになるものだが、私もドンピタでドアに行き付けないことが多くなった。
 これまでは音情報をきちんと整理して頭にインプットしておけば、混乱を回避できると確信していたし、自分にはそれができると思ってきたが、この頃は押しまくられると、ドアの場所であるはずが、座席に居る人にぶつかったりして対応が下手になった。
 確かに盲人にとって相当難しい対応には違いないが、「自分は別」と豪語してきただけに、しばしば起こるようになった「モタモタ」に大いにうろたえている。電車の立ち位置については、ドアとドアの間に居ながらも、どっちのドアに近いのか、座席に対してどんな角度で立っているのか、座ったときも、常にドアの開閉音や人の流れを耳に残していないと、いざ降りる段階でうろうろすることになる。逆に言えば、そうした感覚さえしっかり持っていれば、スムーズに乗降口へ行けるということになる。


行動半径を広げれば不自由は半減

 盲人の単独歩行は覚えた場所においてのみ可能であって、そうでない場所での歩行は不可能である。時々出張で知らぬ土地へ出かけるしホテルにも泊まるが、その場合、百パーセント人手に頼らねばならない。
 トイレも行けず、エレベーターも探せず、部屋も見つけられないみじめさを痛感するとともに、たちまち要介護度5になってしまう。それが盲人の実体であるが、では単独歩行による自立が可能だというのはどういう意味か。それを知ることが盲人の社会参加を実現し、理解を広げる鍵になるのである。

 すでに、これまでの記述で答えは出ているのだが、何事もきちんと覚えてさえおけば、ほとんど不自由なく生活できるのだという事実を知ることと、そのための歩行力を付けることである。
 目が普通に見える人だって、基本的な生活行動はそれほど広いものではない。自宅から職場までの通勤コースは毎日同じだし、利用する交通機関も定まっていて、乗下車の位置さえも、ほぼ同じというのが普通ではなかろうか。そうだとしたら、盲人も自分の行動範囲をできるだけ広げる努力をすることと、実践によって行動範囲の詳細な情報を覚えてさえおけば、日常生活はそれほど不便・不自由なく暮らせることになる。

 私事を誇るようで恐縮だが、毎日3路線の電車を乗り継ぎ1時間かけて通勤している。かかりつけの病院へも毎月独りで通院する。コンビニも決めていて買い物もする。自由に立ち寄れる飲み屋も2、3軒はある。職場内で手引きされることも少ない。これらは、先ほど来言っている覚え込んだ情報がしっかりしているからこそ可能なのである。


ある日のトラウマが1人歩きを決心させた

 私がなぜ1人歩きを始めたかについては、大きなトラウマになった出来事を知っていただく必要がある。
 目が見えなくなり、1年以上経った7歳ころだったろうか。叔母は婚約を遅らせてまで私の子守に当たってくれた、ありがたい人である。ある日、その叔母が、家から10分くらい離れた裏山の畑へ私を連れて行った。畑へ着いて間もなく、「忘れものをしたから、ちょっとだけ待っておいで」と言って家へ帰ってしまった。そのときは「うん」と納得したものの、2、3分もすると一気に不安と恐怖と心細さが津波のように押し寄せてきた。一体自分はどこにいるのか、いつまで待てばよいのか、家はどっちか、近くに誰一人居る様子がない。遠くで鋸(のこぎり)を引くような音だけがギコギコと小さく聞こえるのみ。

 たちまち、涙が溢れ出て大泣き状態。もはや1分たりとも待てない。土くれを掴んで投げつける。誰かが襲って来るように錯覚して手を振り回すやらつばを吐き散らす。動き出してはみたものの、崖から落ちる恐怖を感じて足がすくむ。そのうちに叔母が戻ってきたが、あまりにすごい泣き方と形相にびっくりしたらしい。

 それ以来私は一人ぼっちにされることを絶対に拒んだし、それが、いつの間にか“よし、村中を全部覚えて独りで歩けるようにするんだと”言う強い決意になった。
 戸数わずかに35軒の小さな集落。家々が両側の崖にへばりつくように建ち並んでいる。谷間の狭い通りへ出れば小川のせせらぎが聞こえ、草花が咲き乱れるのどかな環境の村内を、いつも子供たちと歩き回った。その辺で拾った棒切れが杖になる。川や田んぼの淵を確かめ、急な崖もよじ登り、裏山の畑も何度も行き来して身体で覚えた。

歩行訓練に組み込みたい二つの提案

 数は少ないが、日本には歩行訓練師という専門職がある。
 日本ライトハウスと国立身体障害者リハビリテーションセンターがその養成を担っている。白杖の使い方、地図情報の取得法やメンタルマップの描き方など多岐にわたる歩行術を教える訓練師の養成である。この専門職があるお陰で、多くの視覚障がい者が社会参加と自己実現の恩恵にあずかっている。
 しかし、私は、これまでの歩行訓練に基本的に不足しているものを2点感じている。

 その1は、反響(エコー)による空間認知の方法である。空間認知の重要性について訓練師は十分分かっているのだが、その理解は観念に止まっていて理論付けされていない。
 観念を理論に導くのは容易ではない。しかし、盲人にとってエコーは空間認知の原点であり、それがなければ空き地の発見、距離感覚の確認、ぶつかり防止技術の獲得などはおぼつかないし、歩行の高いスキルにはつながらないと思う。視覚障がいを負った人は、本能的にそれに頼ろうとする傾向が出て来るものらしく、中途失明者もバシバシ白杖で道を叩きながら歩くことからそれと分かる。だから、これを系統立てた訓練としてカリキュラムに取り入れる工夫をすべきだろうとかねがね考えている。

 エコーは反響の時差や反射音の性質を数値的に計測できるはずだから、これを体系化してカリキュラムに組み入れることが可能であろう。そのためには、エコーの利用豊富な経験を持った視覚障がい者からその力を借りることを提案したい。
 勘のいい全盲者は、白杖に次いでこのエコーを歩行のよりどころにしていると言える。白杖や足音の響きによって、天井の高さ、部屋の広さ、壁までの距離、人込みの状況などが、それなりに分かるものだ。その正確さには個人差があろうが、積み上げた体験に基づく知識や感覚は単独歩行の大きな助けになる。

 三宮麻由子著『鳥が教えてくれた空』という本がある。
 霧の深さ、晴雨の度合、雲の多少などが、反響の微妙な変化として、その日・その場の空の音景色を作る。音による空模様は季節によって、さらに大きく変化するが、それらを教えてくれるのが、野鳥達のさえずりであり、空の高さや深さまでも知ることができる、と著者は言うのである。

 その2は、反射運動を歩行訓練に取り入れることである。
 反射とは、意識や意思とは無関係に起こる生理的な反応を言う。障害物を察知したときの素早い方向転換、階段や縁石を踏み外しそうになったときの瞬時の止まり、これらは反射運動によって対応できるものであるが、これは実践を積むことでしか高める方法はない。実践とは、落ちてもぶつかっても、臆することなく歩くことを指すが、これを鋭敏にすることは、盲人の危険防止にとって極めて大きな意味がある。ぶつかることは避けられないにしても、ぶつかる瞬間に止まれるか、もろにドーンと当たるかは怪我の程度に大きく影響するからだ。

 視覚障がい者の歩行の科学利用は、まだまだ未開拓だ。GPSや超音波による歩行補助具の開発も進んでいるが、精度や安全性にはなお問題が多い。
 それらの進歩・発展を強く願いつつも、人間が本来有している感覚を磨くこともおろそかにしてはならない。とにかく、歩行力や生活訓練は盲人のQOL(クオリティ オブ ライフ)を高める上で欠かせない条件であり、自立と社会参加のポイントになることをアピールして、この稿を終えることにする。

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