偶発性の産物を計画的産物にすり替える技術
人は計画することを理想とする。なぜなら、他の人に説明しやすいからだ。
この市場をターゲットとして、こういう商品を、このようにプロモーションしたら、競合優位性があるので、うまくいくんです!
という風に説明した方が、上司に納得してもらいやすい。
しかし、計画というのはあまりうまくいかない。ほとんどの事業は最初の計画通りに落ち着くことはなく、幾度もの大小からなる舵切りを繰り返すのである。
文章を書くときも最初から書く内容を全部決めて、構成を考えて、論理ができてから書き始めるというのはあまりうまくいかない。大体は、とりあえず書き始めてなんとなく論理ができてきて、書いては消してを繰り返したほうがうまくいく。一部の特殊な文章に限っては形式や、文章の評価の仕方が決まっているのでテクニックで計画性を持たせることはできるが、ほとんどの文章をそういう風に書ききるのは難しい。
あまり研究されておらず、変化が激しく、実態を捉えることのできない部類の命題では、計画性よりも偶発性を尊重する方が良い。とりあえず作ってみたり、やってみることでしか見えない部分がほとんどだからだ。ひょんな思いつきや、論理性に欠けるアイデアでも、まずはやってみる方が良い。
しかし、世の中には評価をしたがる人たちがいる。他人に説明したがる人たちがいる。論理が通っていないと気持ちが悪くなる人たちもいる。これは近代社会を支えている道徳感情の一つなので、避けることはできない。
だから、自分一人でやれる範囲では偶発性を最大限尊重して進め、なんとなく形が定まった段階で計画性とすり替えるという技術が大事である。ただの思いつきから始めたことでも、実際にやっていくなかで、どんどん意味が敷衍されていき、論理っぽいものは生まれる。他人に説明しなくちゃいけない時には、その論理っぽいものを説明資料に詰め込んで、あたかも最初から計画していたみたいに論理的に説明するのである。
具体的な技術については濱口秀司さんの「イノベーションの作法」に書かれていたはずなので、興味がある方にはおすすめしたい。
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