失敗はそんなに怖いものだろうか?
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どうも、りょーです。
アイデアが出たりでなかったり、毎日更新を欠かさず行ってる人、すごいと思います。
そのうちアイデアが尽きないようにしないと。なんて思って書くとなると、本筋からだいぶそれそうですけど。
今回は失敗について考えてみます。
失敗って、怖いですか?
そりゃ怖いですよね。
恥ずかしいし、なんか嫌な気持ちになるし。できれば避けたいです。
でも、完璧に全てを成功に終わらせるのって、それも難しくないですか?
私は無理だと思ってます。というか、全部成功に収めようとすればするほど、失敗に向かって行ってしまうと思います。
なんだか、この時点で、「目標達成」っていう目的ではなく、「失敗しないこと」が目的になってしまっている気がします。
そうなれば、内容はもっと簡素な物になっていってしまうかもしれません。
最初の目的を達成していないけど、失敗をしなかったからいいじゃないか、なんて。
本当にそうなんでしょうか?
それ続けていたら、なんだか自分の軸ってのがどんどん崩れていってしまうような気がします。
何のために一つのプロジェクトに尽力しようとしたのか、その意味がぶれてしまっては、やらない方がましなのかもしれません。
やらずに後悔するより、やって後悔する方がいい。
なんて言葉有名ですよね。でも、これもなんだか違う気がします。
マインドセットの問題です。やって後悔するって話なら、そもそもやらない方が良い。
この言葉の本質はそこにはないんだとは思いますが。
最高の状態を求めるなら、
やらずに後悔するより、やって後悔しないほうがいい。
これが私達が求めるものの実態だと思います。
やらずに後悔、やっても後悔。
後悔するかもしれないって思いながら突き進む理由は、現代にはないと思います。
武士の時代とかだったら、「守らねばならない男の約束」なんてものがあったのかもしれませんが。
時代劇の見すぎでしょうか?
私は、「やらずに後悔するよりやって後悔しない」を意識して生きてます。
というか、その上を目指して生きてます。
「やらずに後悔するより、やって後悔するわけがない」
自分でも何書いてるのか変わらなくなってきた。
自分のやりたいことやって、後悔するわけがない。悔いる気持ちなど残さない程全力でやり遂げる。
後悔するのって、今となってはいつでも「何かをやり残した時」だと思うんです。
甲子園なんかだと、「あの時もっとバットを振り切れていたら」とか、「最後の打球をエラーさえしなければ」とか。
「10-1で勝った~!!やりきった!!でもめっちゃ後悔してる!!」
嫌味ですか?
勝ってやり切って結果も出して最高の状態で、後悔なんてしないと思います。
そこに何か、やり残したことがないのであれば。
だとすれば、意識してやり残しがないようにすればいい。
かなり難しいですが、それを意識して生きることはできる。
人生なんてゲーム、野球の1ゲームより半端なく長いんです。
最後に勝てればそれでいい。
一部分で、失敗して、後悔して、落ち込んで、苦しい思いをしたとしても、最後に勝てれば、努力する価値ありです。
失敗したとて終わりじゃないんです。
それを糧に、次に進むんです。
失敗を繰り返して、「上手くいかない方法」を数多く見つけ出して、そして最後に「上手くいく方法」を手に入れるんです。
と思えば、ある意味失敗と思えるものだって、価値のありまくるもの。
最高級のダイヤモンドを手にして、めちゃくちゃ嫌な思いになることは少ないように、失敗だって嫌な思いになる必要ないと思います。
むしろ、盗まれる恐れがない分ダイヤモンドよりましです。
失敗はそんなに怖いものでしょうか?
私は、あまりそうは思いません。
次があるなら、それはそもそも失敗と呼べるのでしょうか?
どう思いますか?
なんて質問を残して、本題はここまで。
閲覧ありがとうございました。
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