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ダイエットはまず、意識改革から。

茹で豚だ。

お湯に浸かった自分の身体を見て、直感的にそう思った。


太ったことはわかっている。3日くらい前におそるおそる体重計にのったところ、体重は62kg。みごと新記録達成。

考えて欲しい、60kgあたりの、スポーツをやっているわけでもない女の体型。あまりに中途半端で「太っている」とは言いにくいのだ。服装の問題かな?とか、言ったらマズイやつかな?という感じで、人には凄く気を使われる。だから少しだけ、太っている自覚が無かったりする。

でも確実に、太いものは太いのだ。原因なんてとっくにわかっている。ただの食べ過ぎ。


家族の中での私の役割、と言われて最初に思いつくのは、いつも「残飯処理」だった。

家ではおかずを大皿に盛る。それを各々が取り皿にとって食べる。焼き魚やカレーのようなもの以外は、全てこのルールだ。好きなものは好きなだけ食べて欲しいという母の願いだったのか、単純に取り分けるのが面倒だったのか、その理由は定かではない。

ちなみに、大皿に盛るタイプの食卓を囲っている家族はぽっちゃり系が多いらしい。

私はそんな大皿料理タイプの家庭で、子どもの頃は太るなんて御構い無しによく食べていた。家族もそんな私を見て「よく食べるなあ」と笑っていたものだ。


人に対するイメージというものは、頻繁に会う人ほど更新されないものだと思う。はじめに「こんな人」というイメージの掴みを捉えたら、そこから深いところまで手繰り寄せていく。またはそのままその人とイメージをイコールにして、自分の中に湧いた余計なイメージもイコールにして、その後も関係を続けていく。

もし途中で根元である初期のイメージというものが変わってしまうと、その人に対する何かが狂ってしまうような気になる。

そんなまさか、ありえない。なんて、そこで懐古的な意識が働いて更新すべきイメージを否定してしまう。で、最終的に「今日は何か変だよ、どうかした?」と聞かれてしまう。

悲しいかな、人ってそういうものだ。


話を元に戻そう。

そんなこんなで、「よく食べる」というイメージが覆されぬまま私は大人になった。なので今も「残ってるオカズ、まだ食べられるよね」と家族に言われてしまうのだ。



頭の中で、今日の夕飯の反省会。

今日は母の新盆だった。父の実家の地域では親族を始めご近所付き合いの方も、新盆のお参りにくる。

なので今日は朝から家族全員引っ切り無しに動き回っていた。

お参りに来て頂く人への振る舞いとして、基本お茶とお茶菓子は振る舞う。父はそれ以外にも、オードブルや寿司のようなものも用意しなくてはと言い出した。慌てて車でスーパーに走って、その一式を買い占めたのは今日の午前中の事だった。

ところがである。恐れていた事態が起きた。声はかけたものの、お参りに来た皆がそれらに手をつけなかったのである。というかそもそも、予想をはるかに下回る人数だった。

まあ、仕方がない。亡くなった母はこの地域に住んでいたわけではない。東京で暮らして、東京での皆様に愛された存在だった。父の実家で親しくしていたのは、親族関係だけである。

大方の予想はしていた。だがまさか、父が大皿の寿司2パックとオードブル3パックを抱えて家に戻ってくると思わなかったのだ。お供えと振る舞う為の大量の天ぷらもあるというのに。


父は「最近少食になっちゃったんだよね」と苦笑しながら、早々に食卓から離脱した。逃げた先は冷蔵庫の中の缶ビールである。正直アルコールが入るなら油を入れて欲しい。だが、今回は弟が頑張って食べてくれた。さすが、育ち盛りの大学生。コンビニスイーツ制覇するだけある(なのにどうしてそんな体型維持ができるのか疑問である。運動部でもないくせに、羨ましい)。

とはいえ、弟にも限界はあるわけで。私の前に残される。寿司と、唐揚げ。

なんでいつも残飯処理役なんだ。私だって痩せたいのに。今度の結婚式の二次会のドレス、だいぶきついんだぞ。

そう不満をこぼす。心の中で。

で、結局ため息をついた後に、はち切れそうな苦しさの中最低限のノルマを腹に収めることができたのだった。




槇村さとる先生の、「Real Clothes」という漫画がある。この話の中の台詞を思い出した。

「中身が見た目ににじみ出ちゃうの                                  だから見た目でわかるの」

この話は百貨店の布団売り場で平凡に働いていたのに、突然婦人服売り場への人事異動が決まった主人公の成長物語。

台詞は「可愛いから、最近流行ってるみたいだから」という理由で服を試着した際、たまたま通りかかった男に「自分が見えていない。おサルさん。それも小太りの」と指摘されてしまうシーンである。

「内面まで言われる筋合いはないから謝って欲しい」と詰め寄る主人公に対して、男が言ったのが上記の言葉だ。

ちなみにこの後「人は見た目が全てではない」と反論した主人公に対して、

「中身があやふやな人間に限ってそう言う。見た目も含めて自分だと受け入れられない人は、未熟な人間でしょう」

と、言い返す。

この時自分の将来や現時点の自分に思い悩んでいた主人公にとって、突き刺さる言葉だったに違いない。



その言葉は、初めて読んだ時の私にも深く突き刺さった。そして今もその痛みが抜けていない。

要は、太ったことも、自分の中身、意識や意思の問題であるということだ。

わかっている。この残飯処理のような立ち位置を払拭すべく私から何かを切り出さねばならない。例えば「私、ダイエットするので」とか。

結局それを言い出せない自分に問題があるのだ。ダイエットはまず、意識改革から。変われるだろうかじゃなくて、変わるしかないのだ。

とりあえず、今日の摂取カロリーを少しでも燃焼しなくちゃいけない。腹筋100回。……いや、50回。頑張れ私。





余談だが、台詞を発した男は物語の途中で、太りやすい体質であり幼少期は子ブタのようだったことが発覚する。文庫版が出ているので、気になるかたはこちらからどうぞ。

婦人服売り場を通して、「自分というスタイル」を追求していくお仕事物語。ドラマもやっていたが、個人的には漫画をオススメしておく。




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