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ペルソナ3と実存主義の共通性について


ハイデガー思想の概要(参考より抜粋)

①ハイデガーが活躍した時代は、産業革命によって機械化が進み、大衆文化によって人々が没個性化していく時代でした。個人がどう生きるべきかその意味を問い直すことが必要。

②「存在」とは何かが存在するという事実を指し、「存在者」は実際に存在している人や物を指します。動植物すべてが存在者であるが、人間は決断によって自分の存在の在り方(=生き方)を自由に選択できると考えました。

③「世界-内-存在」とは、存在者が他の様々な存在者と関わりながら存在しているという考え方です。

「世界-内-存在」

④「死への存在」とは、人間の存在(=人生)は本質的には「死」に向かっているのだという考え方です。また、「ダス・マン」とは、死と向き合うことなく没個性的に生きる人々のことを指します。

⑤「存在忘却の時代」とは、人々がダス・マンとなり、固有の存在の仕方を見失う時代のことを言います。ハイデガーによれば、存在忘却の時代では、あらゆる物や人が利用されるべき材料としてみなされてしまいます。
例:化粧品を製造する企業は自社の利益を上げる手段として、「綺麗になりたい」という人々に広告を配信し、化粧品の購入を促します。この時、人々は1つの企業の利益を上げるための材料として利用されている

共通してると思ったこと

・死との向き合い方
 ペルソナ3では絶対的な死の表現として、ニュクスが出てくる。主人公たちは初め絶対的な死を意識したときにそれぞれ不安とぶつかるが、なんやかんやあって、死を受け入れたうえで、「じゃあ限りある人生を自分らしくどう生きるか、勇気を持って立ち向かおう」みたいな結論に達する。
 対して、無気力症やラスボス戦でムービーで出てきた一般人は死を受け入れること=どうあがいたって死はやってくる=じゃあどう行動しても同じじゃん。みたいな結論に達する。大多数は死による救済を望んでいることが敵キャラ(タカヤ)から指摘される。

・没個性的に生きていませんかというメッセージ
 現代は消費に溢れているけど(資本主義社会の発展に伴う消費したり、されたり)、上記のハイデガー思想であげた「ダス・マン」、没個性的になっていませんか?というメッセージを感じた。消費社会が行き過ぎる結果、「存在」の仕方を忘れていませんか?ということを問いかけている。 

「存在の仕方」=コミュによる人との繋がり
 没個性的の逆で個性的って何かっていうと、主人公も学校にいって~を繰り返す毎日だが、放課後のコミュによって日常に彩りを感じることができる。そのような日常の繰り返しによる一年で「存在の仕方」を自分なりに見つけたかい?ってことがゲームシステムにうまく組み込まれているなと思う。

ラスボス戦、大いなる封印
 最後に宇宙のアルカナを得て、ニュクスに対し、大いなる封印という技を使うが、「存在の仕方」を見つけた主人公が繋がり=自分は宇宙の一部であることを理解して、死もその一部として受け入れた=封印という表現かと思った。
 そして生物の存在には生と死がセットなので、自分の「存在の仕方」を全うして主人公は目を閉じた(死を納得した)のかなぁと解釈。このあたりうまく言語化できなくてモヤるが、ゲームという没入感あるもののお陰で感覚的に理解できる。

暗い、暗いと言われているペルソナ3だが、やはり自分は好き。個人がそれぞれに生きる意味(同時に死ぬ意味にも)に向き合うっていうのが丁寧にかかれているストーリーが大好きだ。


参考にしたもの




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