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心理的安全性の高いコミュニティについて。

左利きの私です。

私は、今「心理的安全性の高いコミュニティのつくりかた」という講座を受講しています。講師は母親アップデートコミュニティ(以下、HUC。)の代表理事であるなつみっくす。

全3回の講座のうち、2回が終わり、少しずつ振り返りをしています。

そもそも、なぜこの講座を受けてみようと思ったのか。

この講座を受けたいと思った理由は3つ。

1つ目は、

・今参加しているご近所のママたちとのコミュニティを居心地良く、細く長くつづけたい。心理的安全性を確保することは、コミュニティを細く長く居心地よく続けるにはとても大切なこと。自分にできることがないか勉強したい。

2つ目は

・自分を見つめたい。自分の好きなことや得意なことを見つけたい。日々感じる「自分には何も強みがない」と思う気持ちから抜け出したい。

そして3つ目は

子供が大きくなるにつけ、外に興味や関心を広げる必要を強く感じていた。そのきっかけにしたいと思っている。

です。

講座を2回終えての自分の変化・家族の変化


講座を2回受け、残すところあと1回。

自分の今参加している一番小さなコミュニティである家族の変化について考えてみました。

最近の私は、子供が少し大きくなり、楽になった部分はあるものの、言葉が大人びてきて、日々のやりとりでイライラすることが増えていました。自分の関心が子供にばかり向くのが嫌で、何か気持ちを外に向けたかったという思いも講座受講への後押しでした(理由3つ目)。

講座を2回終えて、子供はというと

「親が何か学んでいる、何かに没頭している」と、「子供は興味を持って親を見る」

というポジティブな反応をしてくれています。

面白いなと思ったのが、講座の日、私は自分の言葉が1人称になっているのです。

「ママは今日勉強の講座があるから、19時にはご飯を終えてお風呂も終わらせたいの。ごめんね」

「あとママ講座まで5分なんだけど、ちょっとだけ急いでもよい?ごめんね!ありがとう!」

いつもの自分は、

「もう6時よ(あなたは)早く起きて。」

「(あなたは)21時には寝なくちゃいけないのよ。急いで。」

です。

1人称になることで、言葉に他人への配慮がでるんだと気づきました。

急いでいることに変わりはないのに、自分がやりたいことを優先することで、好きなこともでき、子供も友好的に協力してくれています。

今のところ子供が、大きな声で邪魔をするようなことはなく、むしろ「あと10分だよね、もう夕飯はここまででいいよ。」と気遣ってくれたり、「何をやってるの?どんな勉強?私も一緒に考えたいな~」と興味を持ったり、反応がポジティブです。

そして、夫も、講座が始まってから帰ってくるのですが、ささっと夕飯とお風呂を済ませ、子供の翌日の準備と寝かしつけをしてくれます。

あれこれやってほしいと要求したりイライラしていた時より、自分がやりたいことをやっているときの方が、周りは自主的に動いてくれ、自分も周りに感謝の気持ちが生まれるという、好循環が、講座の日にはあります。

「心理的安全性の高いコミュニティづくりについて」の講座の中身についての振り返りはまた後日ですが、まずは、家族という一番小さなコミュニティでの変化でした。

講座の日以外は、いつも通りの日常ですが(汗)、相手に対する関心が強すぎないことも相手の心理的安全性を高めるんだろうと気づきがありました。

こういう日が増えるときっと家庭内も穏やかにうまく回っていくのかなと思い、自分の立ち位置や・役割を日々試行錯誤しています。

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