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【人生訓】手塚治虫の人生から学んだ3つのこと


手塚治虫とは?

マンガ、アニメ好きの人で知らない人はおそらくいないでしょう。

手塚治虫をざっくりとご紹介すると、1946年に大学の医学部在学中に漫画家としてデビューをし、その後『鉄腕アトム』、『ジャングル大帝』、『リボンの騎士』といったヒット作を次々と生み出しました。

1963年には日本初となる30分枠のテレビアニメシリーズの『鉄腕アトム』を制作し、現代につながる日本のテレビアニメ制作の基盤を築きます。

藤子不二雄(藤子・F・不二雄、藤子不二雄A)、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、横山光輝などをはじめ多くの人間が手塚に影響を受けています。

手塚治虫の人生からの学び

①様々な経験を積むこと

手塚治虫は幼い頃から虫や星、物語に興味を持っていました。

そして、ピアノから落語、アナウンサーの真似事や、俳優でもあり、医者でもありました。

本人いわく、たくさんのモノにならなかったこと、一流にならなかった広く浅い経験が、作品制作に生かされています。

好奇心を失うことなく、興味を覚えたことは、それが仕事になりお金になるかどうかは関係なく、とにかく体験してみることが大切。

②圧倒的な量をこなすこと

手塚治虫は中学生の頃に、何百枚も描いて一分弱のアニメーションを作ったことや、生涯に17万枚のマンガ、700もの物語を生み出しました。

これらの数にはある種の狂気すら感じます。

圧倒的な数を生み出した原動力は「アニメ映画を作りたい」という夢のためであり、夢の実現の為にはとにかくあきらめず、たくさんのものを生み出すことが大切です。

③自分という人間を知ること

手塚治虫は彼自身の行動を振り返り、なぜそうなのかを問いただす習慣をもっていました。

いくつか例をあげます。

彼が幼ない頃、学芸会で主役を得られずに機嫌が悪くなったことに対して、自身を「自己顕示が強い」と述べています。

士官として扱われるために軍医になったことを「自分はずるい」とも言っています。

俳優をしていた理由には「変身願望」を挙げていたりと、自分がとった行動の理由をほりさげています。

そうすることによって、彼は自分という一人の人間を俯瞰で見ることができました。

作品の中のキャラクターには作者の一部が投影されているといわれますが、良いキャラクター作りのためにも、自分という人間がどういう人間なのかをしる必要があります。

まとめ:クリエイターの心得

経験を積む、量をこなす、自分を知るの3点が、手塚治虫を手塚治虫とならしめたポイントです。

言うはたやすく、行うはむずかしいですが、上記のポイントから今日からの行動を何か変えれるヒントがあるかと思います。

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