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夫婦で『ユング自伝』を読む 読書会#5

夫婦で『ユング自伝』を読み進めており、下巻の前半部分が読み終わった。

下巻の前半部分は、ユング自身の研究について語る「研究」、ユングのイメージを実現化させ、住んでいた「塔」について、アフリカとインドへの「旅」の記録、そしてユングがみた「幻像(ヴィジョン)」からなっている。

上巻はユングの学童時代から時系列にそっていたが、下巻はテーマで区切られ、錬金術など、ユングが影響を受けたものについても語られる。

また、ユングが「他人の死を夢によって予見する」といった、人によってはオカルトめいた出来事が多数紹介されており、自分の中で漠然と描いていたユングへのイメージが大きく揺らいだ。

ユングについてはいままでほとんど知らんかったので、いい意味で驚かされることばかりだった。

本書は、普段私たちが価値を置いている他人との比較、効率性や、スピードといった価値観に一石を投じるに相応しい本で、今まさに会社務めをせずに主夫をしている身としては多くの発見があった。

現代人の抱える病:合理主義

現代人の抱える問題は「合理主義」だとユングは指摘する。

「合理主義」によれば、早くて効率のよいものは善とされ、新しい方法や工夫といった改革に人々ははじめは感心させられる。

それの「新しい方法」はあたかもすべてのことについて答えを持っているかのように見える。

しかし時の経過とともに、それらは疑わしいものとなり、人間の満足感や幸福感を全体的に高めるものではなく、ユングいわく「人間存在のはかない甘味料」である。

たとえばiPhoneやスマートフォンの登場は人々の生活を便利にした。

新しい場所へ行く際にも紙の地図が不要になったのは良い例だろう。

しかし、ただ生活のテンポを早めることによって、昔の人間がもっていた「時間のゆとり」を失ってしまうことになった。。

スマホ脳』でスマホ依存の危険性が明らかにされたことは記憶に新しい。

ユングは昔のマイスターの言葉を引用し「急ぐものすべては悪魔の仕業」といい、合理主義は現代の病であると警鐘を鳴らしている。

その治療法としてユングは、理解を超えた事柄(たとえば幽霊)について話し合うことの必要性を述べている。

そういった合理主義から見放されたものから、じつは見出されるべきものが多く残っているのでは、というのがユングの結論だった。

ユングの質素な生活

自ら設計した塔に住み始めたユングは、そこでの生活をできる限り質素なものにするよう心がけており、興味深い。

具体的な箇所を紹介する。

私は電気を使わず、炉やかまどを自分で燃やし、夕方になると古いランプに灯をともした。水道はなく、私は井戸から水をくみ、薪を割り、食べ物を作った。(p38)

まるでソローみたいな生活で、うらやましさを感じる。

彼はそんな生活を送る塔の中で静寂に囲まれ、創造の苦しみは消え去り、創造と遊びが一体となったと言っている。


インド哲学との比較

インドの哲学の目標は道徳的完成ではなく、「相対性を離れた」状態、つまり「空」状態に至ることだ。

それは、自然から解脱し、瞑想のうちにイメージを消去した状態のことをさす。

それとは反対に、ユングの求めるものは「自身の内から発するものに気づくこと」だった。

そんな彼は自然、心的イメージの生き生きした「あるがままの姿」を捉えたいと望み、自分自身や自然からも解脱したいとは思っていなかった。

「ある一つのことに完全に没頭し、究極まで関与する時に、真の解脱が可能となる。」とユングは言う。

自身の目指すものと、他の思想との違いを明確に述べており、ユングの知的好奇心と言語能力の高さに驚かされる。

終始面白い

ユングの話が面白いは、体験したことをすべて「自分のもの」にした上で言葉にしているからだろう。

ユングの知的好奇心はすさまじい。

大学では自身の研究がすすまないと言う理由で、世間的には地位の高い「大学教授になる」という道を諦め、自身の研究のために自分の事務所を開業するぐらいだ。

彼の立ち上げることになる「分析心理学」までの道のりは、文字通り「未開拓」だったため、人生のときどきでの彼の苦悩や葛藤が描かれている。

しかし、真剣に問いをたて、それに真摯に答えていくことで、まさに「彼自身の人生を自分のもの」にしている。

地位や給料など、安易な理由で職業を選びがちな昨今、自分の中の知的欲求に従って行動をおこす大切さをユングは示してくれる。


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