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ポタージュとの再会

入院するときに着てきた点滴仕込みベストは、手術がうまくいかなかったときの自分、今後もずっと点滴人生が続くことになるかもしれない自分へのプレゼントのつもりで作った。日本でいちばんおしゃれな点滴ベストを着て元気に退院しようと。

今回の病室の窓のむこうには小学校があり、子どもたちが運動会の練習をしているのが見えた。
赤白帽をかぶった子どもたちが、応援団長の指揮に合わせて「フレー!フレー!」と大声出している。団長さんの先には、この病室があり、私がいる。私がエールを贈られているよう奇跡の景色。
「おお!みんなありがとう。頑張るよ!」と心で返した。
あの大勢の中には「運動会の練習めんどくさ!」と内心悪態ついている、昔々の私みたいな子もぜったいいるはず。でも本人のまったく関知しないところでこんなにも役立っている。というのが、この世界の面白いところ。

過去に放射線をあてた小腸の手術にはリスクがあり、小腸の具合によっては何もせずに閉じる場合もあると説明されていた。
それでも、今年散々私を苦しめた腸の癒着が実際にどんなことになっているのか、明らかになるだけでも少し楽しみだった。
「分からない」という状態はけっこうしんどいものだ。
こんな心境と子ども応援団のおかげで、手術までの数日おだやかに過ごす。

手術は成功した。
待機していた夫は、私ともしたことないくらいの熱い抱擁を私の母と交わし涙を流したらしい。
ものを食べることができない妻との半年間は、彼にとっても重い時間だったと思う。
あれこれ作戦練っては行動していた当事者の私よりも、ご飯作りが楽しくて食べる家族を見ながら(そして飴なめながら)一緒に食卓についていた私よりも、ずっとしんどかったかもしれない。抱擁のあとは、母とふたり美味しいメキシカンを食べにいき、公園散策した足取りが久々に「軽い」と感じたらしいから。
私は、一つ困難な案件が終わったんだなとほっとしたけれど、涙も出なかったし術前のおだやかな気持ちが続いているだけだった。
きっと私自身がずっと不幸ではなかったからなのかもしれない。
回りの人も一緒に背負ってくれてたんだよね。

小腸を切らず癒着剥離することができたので、術後はあっというまに回復。
そして文字通り夢にまで出てきた「食事」を、久しぶりに取り戻すことになった。

流動食は4か月ぶり。
ほんの少しの塩で味付けしたカボチャのポタージュが、どんなに美味しかったことか。
「ポタージュ」。この世で一番素敵な響きなんじゃないだろうか。

重湯と具なしの味噌汁も最高。白米のやさしい甘み、だし汁と味噌の旨味とこくは、世界一の滋養。

冷たくて甘さ控えめのヨーグルトも体に沁みた

流動食が1か月続いてもいいくらい、心も胃袋もハッピー。
しみじみ味わっていたら、2日後に食事のレベルが上げられた。
半年以上ぶりの固形物。

でもそれが、うろたえるほどのヤンチャ飯。

朝ご飯、全粥とウィンナーとキャベツの炒め物。
家でも、病み上がりの家族にまず出さないメニュー。

全粥の意味がなさそう

昼ご飯、海老シュウマイに焼うどん。

なぜ煮込みじゃなくて焼きなのか。

夜ご飯、全粥に入り豆腐はいいとして、鶏肉の香草パン粉焼きとミックスビーンスサラダ

もはやファミレスメニュー。

翌日の昼ご飯、お目にかかれるのはずっとずっと先だと思っていたものが登場。

豚肉たっぷり!味はまろやかで美味しかったけど。

他にも、海老グラタンや麻婆豆腐。
飴と水分だけで数か月過ごしていた私の心は追いつかず(多分それで血圧も若干上がった笑)、この攻め気味おかずを食べることができなかった。
院内のセブンイレブンに駆け込むと、コンビニにはなんと胃腸にやさしいものが揃っているんだろうか。
絶食中一番食べたかった温泉玉子と減塩醤油を購入して、毎日のお粥のおともに。感動的に美味しくて、退院したら毎日温玉祭りになるの間違いなし。

ふだん「夜の白米はなしで!」と野菜中心粗食を心がけているダイエット中の夫は、気分が独身時代に戻ると飯も戻るのか。送られてきた自炊写真がこんなことに。

真ん中は鶏皮。ご飯の向きはご愛敬ってことで。

いや、でもこの病院の栄養士の方が夫を上回るヤンチャ度だ。

子ども応援団がいたり、手術がうまくいったり、病院食にうろたえたり、
今回は私史上一番楽しい入院生活。

術後6日目には、院内のリハビリ室でエアロバイク5キロ漕ぐまでに回復。7日目に晴れて退院。
8日目に、想像してなかったほど早く職場に戻ることができた。

必要なくなった点滴ベストは、普通に着ようと思う。輸液のかわりに何を仕込もうか‥‥。


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