点滴しながら自転車を漕ぐ
朝晩の風に夏の終わりを感じた8月下旬、「自転車通勤を復活させよう」と思った。
夏のほとんどを占めた入院生活の反動か、狭い空間でシートベルトと渋滞に縛られながらのクルマ通勤に耐えられなくなってきた。
それで、8月31日。多くの小学生が夏休み最終日の切ない朝を迎えているだろうとき、愛車の電動アシスト付き自転車をわくわくしながら稼働させた。わくわくの8月末日もあるのだよ。人生長くなると(最近は8月後半から始まる学校も多いみたいだけど)。
朝の光と風が顔にあたったとたん、心地よさが全身に沁みわたる。
「ああ自由だ」と感じた。
これから旅に出るのではなく、行き先はいつもの職場だけど。
24時間点滴で栄養とるべく、鎖骨の下にポートを埋めようと言われたときは、これまでできた日常のいろんなことができなくなるんだろう、と涙がこぼれた。
でも、点滴一式装着ベストを手に入れて、こうして自転車にも乗れる。
なんて自由なのだ。
話がそれるけれど、「自由」について娘と語り合ったことがある。
絶食になって以降、日本がどれだけ美味しいものであふれているか改めて思い知った私が、ヒマな入院中にふと考えた。これだけ安くて美味しいものがあふれているのに、「#美味しいものを食べる幸せ」って言葉だってあふれているのに、どうして幸福度ランキングで日本って下位なのだろう。
毎日同じようなパサついたものばかり食べていそうな国の幸福度が高いのは何でなんだろう。
若者の意見を聞くべく娘に問うと、彼女は少し考えてこう答えた。
「幸福度の高い国って、自分の人生は自由だっていう確信があるんじゃないのかな。働いて家族養ってても、その中でいかに自由を勝ち取るかってシステムがちゃんとできてるんだろうし。美味しいものにアクセスできることより、自分の自由度がそのまま幸福度なんじゃない?」
たしかに、日本は学校でも協調性を学ぶシステムはすばらしく完成されているけど、「自由」についての学びは全然足りないと思う。
それはさておき娘よ、良いことを言ってくれた。
母は美味しいものお預けだけれど、日々の小さな自由を求めてこれまで通りに過ごしていくよ。
で、自転車通勤に戻るけれど。
今年ほとんど体感できなかった夏のなごりが私を待っていてくれた。
百日紅はあまり好きではなかったけど、通勤途中あちこちにあって
とても美しかった。ビビッドな花の色も、勢いのある枝ぶりも。
去年フェンスにのぼっていたセンニンソウは刈られて消滅してしまったので、職場近くの別のスポットへ香りをクンクンしに。
病気持ちになってからの私の「感謝リスト」。
社会生活も自転車漕ぎをも可能にしたこの点滴ベスト、デビューしたその日に上位に躍り出た。
このベストはぜひもう一着、ということでただいま製作中。
最後に、最近の夏のなごりご飯。
前日の残り活用ご飯はずっと続く。
キッチンに立って思いのままご飯作る自由も、また幸福。
野菜高くて毎日茶色っぽいのだけど、いいのだ。輸液だけでも元気に生きられるのだから、なんだっていいのだ。
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