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大事なのは落としどころ

ちょうど昨年の3月も、ほとんどまるまる入院していた。
その時からさらに2年近く前に受けた放射線治療が、だんだん私の身体をいじめ始め、片方の尿管が機能しなくなり水腎症になっていた。めずらしいことらしい。

カメラを入れたりステントという管を入れたり、けっこう辛い治療を経て、でもどうにもならんということになる。
背中に穴を開け、直接腎臓まで管を通して尿を排出する、腎ろうというものを設置せざるを得なくなった。
管と共に、排出した尿を受け止めるバッグを永遠に装着するらしい。
私は全く人生の予定に入っていなかった内部障害なるものを、ひとつ背負ってもらいましょうと、いきなり突きつけられてしまった。

自分の状態と、それが必要だってことは理解できたけど、それはもう激しく動揺した。
あの時もコロナ渦真っただ中。
面会禁止で誰にも会えなかったので、ベッドの上でひたすら考えた。
最初は「これからの自分ができなくなること」が渦巻き、その後
これは自分の人生にとってどんな意味を持つんだろうか
私は意味を見つけられるだろうか
という自問でグルグルした。悪酔いしそうだった。

治療は粛々と進んでいって、その間もずっと考え続け、1週間くらいたったときに4つの落としどころがふわっと浮かんだ。

①私は自称「工夫番長」。
料理も、身に着けるものも、工夫して作ってきた。
仕事も遊びも子育ても自分流に工夫してやるのが好きだから、ずっとそうしてきた。
世のルールにもついついアレンジ入れちゃうクセがあるから、たまにやらかすこともあったけど。
それはさておき。
装着した管とバッグがまったくバレない、
人目を欺く背徳ファッションに創意工夫で挑むのは絶対楽しそう。
何を着ようかと考えるとワクワクする。

②今回受け取ったものは、不幸じゃなくてただの不便だ。
住む場所が辺鄙、化粧に時間かかる、くせ毛を念入りに伸ばす、
やっかいな姑と同居、束縛ダンナの顔色をうかがいつつ趣味を楽しむ、
シングルだから二人分頑張ってお金も稼ぐ、障がい児の子育てに奮闘する。
こういうちょっとの不便や大きな苦労を抱えながらも、喜びも多い人生送っている愛すべき私の周りの人たち。
私の夫は超優しい。
娘たちは部屋の掃除は全然しないけど逞しく人生切り開いている。
これまでたまたま不便がなかった私は、この度ちょっと面倒なものをひとつ受け取ることになった。
並び順があるとしたら、私の気持ち的にはくせ毛の人の後ろくらいなものじゃないだろうか。

③娘たちのこと。
母親がそこそこ面倒な障害を持ちながらも毎日楽しく笑って暮らしていたら、これからの彼女たちにとって、それは勇気の源になるに違いない。
辛い壁にぶち当たったとき、
いつか今の私の年齢になって色々あったとき、
「お母さんもわりかし大変だったけど、いつも楽しくやってたな」と思い出してくれれば。
てことは、これからの私はただ楽しく生きているだけで娘たちに尊敬されるという、かなりおいしい立場になったのだ。
もう彼女らに教えることは何もないと思っていたけれど、こんなお得なことはほかにない。

④2年前の桜の3月に癌が見つかったとき、生まれて初めて心が七転八倒した。
自分がこの世のメンバーから強制退会させられると想像したら、悲しくて気が狂いそうだった。
来年も再来年も家族と窓の外の桜が見たかった。
手術と治療を経て今があり、2年間こうして生きている。
あの七転八倒の時の私が、今の私を知ることができたら、間違いなくこう言うと思う。
「生きてるんだったら、なんだっていいよ。腎ろうの一つや二つさっさと付けてもらっちゃって」

4つの考えを得た私は、すごく納得して内部障害を受け入れる気持ちになれた。
この「世紀の落としどころ①~④」をアナウンスしたくなり、親友たちに長い手紙でお知らせした。
優しき友たちは、私の変わった門出を祝福してくれた。
とてもすがすがしくて、①~④を授けてくれた娘たちにも、周りの人にも、それまでの治療にも感謝した。

これが忘れられない2022年3月の入院。私の複数の入院の中の代表作。

退院後すぐに職場に戻ったら、すっかり春になっていた。
この障害によって出来なくなったことは、少なくとも外では何もなかった。
親友は快気祝いに焼き鳥を奢ってくれた。
あの時のビールは美味しかった!

あっという間に戻った日常が嬉しく愛でていたら、今度は主治医に癌の再発を知らされて、本当に本当に参った。

そこからの落としどころ探しは、このnoteの一番最初に戻る。


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