私だって「小学校には行くべき教」の信者です
不登校というのは実にやっかいな問題である
・・・と、まさに他ならぬ私がそう書いたように一般的に「問題」だと思われていることが問題なのである。
言い換えるならば、学校という場所が、行っても行かなくてもいいところ、行くかどうかを子ども本人が決めてよい場所、とは残念ながら認知されていない。
残念ながら、なんてしたり顔で書いているけれど、私だってその境地にはまったく至れていないのだ。
どんなことをすれば、子どもたちが小学校に行けるようになるだろうかと日々考えているし、学校に行かずに家でゲームやYoutubeにふけっている子どもたちを見ると、
いかん、こんなんじゃ、ぜったいにいかん・・・!
と考えてしまう。私だって「小学校には行くべき教」の信者なのだ。
私を含めたこの「信者」の非常に困ったところとして、あまりに信徒が多いためにマイノリティへの意識が欠けていて、悪意のない言動(しかし当事者からすると息が詰まるような行為)をしてしまいがちなところがある。あるいは哀れみの感情を持ったり、なんとかこちら側に引き寄せようと救済の手を差し伸べる。
重要なことだが、これらは善意に基づくものだ。ここに悪者はひとりもいない。
もう少し話を掘り下げよう。
新1年生の長女は、コロナ休暇を経て、6月から小学校がはじまった。そして1日だけ登校し、すぐに不登校になった。
親馬鹿な発言になるが、この子は保育園に通っていたころ、リーダーシップをいかんなく発揮し、社交的で明るく、保育園のイベントでは何度も活躍してきた。
そんな彼女が、小学校は楽しくない、行きたくないと言って引きこもっている。
お休みの日、長女を連れて買い物に出かけたりしていると、スーパーでばったり保育園時代の同級生と出会うことがある。その子のお母さんが言うのだ。
「○○ちゃん、小学校楽しい?」
何度も書くが、悪意がないことは分かっている。私だって、おんなじことを長女の友達に言っている。あいさつの一環として。
ところが、こういう言動が、着実に娘の自尊心をそいでいるのだ。小学校に行くべきなのに、それができていないことを自覚させられる。
こんなこともあった。
お休みの日、長女と同級生の近所のお友達が「〇〇ちゃん、あそぼう」と家に来てくれた。それは本当にありがたいし、うれしいし、ほっとするのだけれど、長女自身の気持ちは真逆だ。
ちょっと前まで、友だちと一緒に遊ぶのが大好きだった長女が、一緒に遊びたくないという。私と出かけるときも、友だちがいないかを逐一確認して、なるべく目立たない道を歩く。肩身が狭いのだ、小1にして。
小学校に行くべきだという教えは、あらゆるところにはびこっている。大部分の大人のなかにはすでに植え付けられているし、テレビをはじめとする動画を見ていても、あまりにも自然に描かれている。私自身、その教えにどっぷりとひたっており、不登校の子どもたち(我が家は長女だけでなく、長男も不登校だ)をありのままに受け入れられない。
だからこそ、私は自分に言い聞かせるように、肩身が狭そうにしている長女に向かって「〇〇ちゃんは、悪いことをなにひとつやっていないよ。周りの人が気になるだろうけど、堂々としていていいんだよ」と力強く言った。
まずは、他ならぬ私自身が教義に背いて行動することを求められている。
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