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感情(後編)

あらすじ

梅雨に入る少し前、あおいは12年間連れ添った夫のたっくんに「離婚したいの」と切り出した。複雑な家庭環境で育ち空虚感を抱えたまま大人になったあおいが、悲しみや不安、怒りという負の感情と折り合いをつけていく物語。

前編はこちら

***
 「子供を産んでおけば良かったのよ」と、美穂は特に興味のなさそうな顔をしながら言い、子供の拳一つぶんくらい入りそうな大きな口でアマトリチャーナを頬張った。

 まばらではあったが都心部には少しばかりの活気が戻りつつあり、少し前のゴーストタウンと化した風景が全て嘘だったような東京の中心で、そこまで大きな口でパスタを食べる必要はないのではないかと思いながら「ん?」と私は顔をしかめた。

「夫婦と言っても、煩悩だらけの大人の2人だけが、いつまでも一緒にいることには限界があるのよ。子供がいたら、自分だけの人生じゃなくなるんだから、妥協もできたんじゃない?離婚したくなかったんでしょ?」
「子供がいても離婚する人はたくさんいる」と私は早口で言った後、「子供がいても結婚しない人だっている」と思い出したようにつけ加えた。
 美穂はため息をつきながら「けど少なくとも、たっくんは学校の先生になるくらいなんだから、子供は欲しかったでしょ。そういう話したことなかったの?」と言った。
「先生って言っても高校の先生だからね」
「無条件の愛なんてないのよ」と美穂は吐き捨てるように言い、アイスコーヒーをズルズルっとすすった。私は黙っていた。
「いくら好きだからって時間の経過とともに、変化するでしょ。人の気持ちなんて。一緒にいるための条件が必要になってくるのよ。愛にだって努力と犠牲が必要なのよ」
「よく知っているのね」
 美穂は「そうでしょ」と顔で返事をした。

 子供がいれば否応なしに人生は制限され、自分一人の人生ではなくなる。夫や妻という役割に、親という役割が加われば、それなりの責任を負うことになる。子供はかわいいとも思う。もちろん綺麗事ばかりではないけれど、汚いことだらけのこの世の中で、数少ない美しいことの一つだと思う。「いつか子供を持つことがあるのかもしれない」と思うこともあったし、「親になるのもいいかもしれない」と休みの日にショッピングセンターや公園で家族連れを見て思うこともあったけれど、たっくん、私、子供という相関図は、私にとってはあまりにも現実離れしたもので、具体的にイメージできるものではなかった。そして、それは私の問題だった。探偵事務所に相談にくる依頼者の8割、9割が浮気調査で、問題の焦点となっていたのが体と体を重ねるという行為だったことが影響し、いつしか私はそういった行為に対して嫌悪感を抱くようになった。一方で、たっくんへの愛情は変わらずにあった。たっくんがいなくなったら、きっと生きていけないんだろうなと思ったこともあったし、そんなことを想像すると”不安さん”がやってきて眠れない夜さえあった。だから、私がたっくん以外の男性と寝る機会がこれまでに何度かあったことは、私をとても混乱させた。それが現実で起こったことなのか、夢の中の出来事なのかどうかは私には判断ができなかった。現実にしてはあまりにも良く出来すぎていたし、夢にしてはあまりにもリアルだった。

”やぁ。ボクだよ。またやっちゃったんだね”
”悲しみさん?”
”ボクもいるよ”
”不安さん?”
”オレのことも忘れないでくれよ”
”怒りさんもいるの?”
”もうやらないって決めたのに…また、やってしまって悲しいね”
”たっくんに言うべきなのかなって考えているみたいだけど…なんて言われるか不安だよね”
”別に言わないでいいだろ。浮気される方にも問題があるんだよ。イライラ”
”これは現実なの?”私は、”悲しみさん”と”不安さん”と”怒りさん”に訊いた。
”大した問題ではないだろ”と、”怒りさん”が言った。
”いつまで、あなたたちは私につきまとうの?”私は訊いた。
”ボクたちは君だから”と、”不安さん”が言った。
”私?”
”そうだよ。君が作り出しているんだ。だからボクたちは君なんだよ。一緒に悲しもうよ”
”どうしたら、私はあなたたちを作らないで済むの?”
”みんな同じなんだよ”と、”不安さん”が言った。
”みんな同じ?”私は訊いた。
”そうさ。ボクたちの声が聞こえるか聞こえているかの違いはあるけれど、みんな同じだよ”と、”悲しみさん”が言った。

 梅雨に入る少し前のある日、私はたっくんの淹れたコーヒーの香りが残る薄暗い部屋の中で、ソーダ味のペロペロキャンディーをなめながら、ぼんやりと時間が過ぎるのを待っていた。重い瞼を閉じ、ほんのりとした熱を感じていると、どこかで小さな物体が小刻みに揺れる振動に気づいた。しばらくすると、同じように物体が振動した。静かすぎるその部屋に響くその音が、スマホによる振動だということに気づくまでに、しばらくの時間が必要だった。
美穂に持たされていた仕事用のスマホかと思いカバンの底にあったスマホを手に取ると充電は切れていた。最後にこのスマホを使ったのはいつだろうと考えたけれど、思い出すことはできなかった。プライベート用のスマホはどこにあるのかも分からなかった。仕事用のスマホをキッチンの脇にある充電器にさそうと重たい腰を上げると、そこにはすでにたっくんのスマホが充電されていた。私がスマホを手にすると、真っ暗だったスマホの画面が煌々と光り、こめかみがズキンっと痛んだ。部活の指導があると言って休日出勤したたっくんの顔を思い出そうとしたけれど、上手くできなかった。時計の針は、8時23分を指していた。その日は14時から病院の予約があったけれど、隣町にある学校に立ち寄る余裕は充分すぎるほどあった。しばらく真っ暗なスマホの画面を睨んでから、出かける準備することにした。少し熱めのシャワーに入ると、頭のモヤは晴れ、体もいつも以上に軽やかになった気さえした。久しぶりに公共のバスを使って、たっくんのいる学校にたどり着いた時には、少し息切れがしたけれど、初めてくる学校はどこか懐かしく、気分の高揚を感じた。けれど、たっくんの居場所を確認するために、職員室に立ち寄ると、男臭いニオイに襲われた。すぐさま男子トイレに駆け込み朝食に食べたオレンジを全て嘔吐しながら、たっくんが以前「僕が赴任する前に、29歳の女性教師が教え子と付き合っていたんだよ。だから、うちの学校の教師はほとんどが男性教師しかいないんだ。女性教師は、結婚をしていている人で、年齢も…そうだねベテランしかいないんだ。けどさ、この間、1年の生徒に告白されたんだ。今の子供たちは自由でいいよ」と笑いながら話していたことを思い出した。胆汁まで吐き出すと幾分スッキリして、私は音楽室のある4階までフラフラする足を引きずりながら向かった。休日の学校の4階には人の気配は全くなく、物音一つなかった。目を閉じたら自分がどこにいるのか見失ってしまうほど静寂に満ちた廊下は、とても神聖な気がして、来客用スリッパを履いた私の足音だけがやけに大きく響き、いけないことをしているような気分になった。

”ボクだよ”
”不安さん?”
”うん”
”私、不安なの?”
”そうみたいだね”と、”不安さん”は答えた。
”静かな場所でこんなに大きな足音を立てているから?”
”足音が君の不安を煽って、ボクが呼ばれたのかもしれないね”
”勢いで来ちゃったけど、来なければよかった”
”勢いは大切だよ。まぁ、その分の代償としてボクが呼ばれたんだろうね”
”悲しいね”と、”悲しみさん”が言った。
”悲しみさんもいるの?”
”本当はそんなことをしたくないんだよね”と、今にも泣き出しそうな声で”悲しみさん”は言った。
”できることなら…だけど、上手くできないと思うの”と、私も泣きそうな声で言った。
”お前の母親がしたことが許せないんだろ”、と”怒りさん”が言った。
”うん。私は、たぶん同じことをしてしまうと思う”

 3年1組から3年7組までの教室が一列に並んだ廊下を歩いていると、外から野球ボールの打球音が聞こえてきた。とても気持ちの良い音だった。窓の外に目をうつすと、夏の空に水彩画のような雲が広がっていた。私はどん底にいても、美しい世界の中を生きていた。3年7組の前の角を曲がると、階段をはさんだ2つ先の教室が音楽室だった。後ろ側のドアから中を覗くと、たっくんがピアノの前に座って窓の外を眺めているのが見えた。その横顔があまりにも満ち足りた様子だったので、私は思わず目を背けたくなったが、ドアを開けながら再びひょっこり出てきそうな”感情さん”達を押し消すかのように大きな声で彼の名前を呼んだ。振り向いたたっくんは、驚いた素振りも見せず無防備な笑顔をこちらに向けて「あおい」と言った。たっくんの曇のない2つの瞳には、私がそこにいることがごく自然なことに見えていたようだった。

「スマホ、忘れていったよ」私は言った。たっくんの耳にまで聞こえてしまうのではないかと思うほど心臓は鼓動し、脈が飛ぶ気持ち悪さを感じずにはいられなかった。
「わざわざありがとう」家にいる時よりも些かリラックスしたたっくんの顔に、私の胸は締め付けられた。
「たっくんのことだから必要ないかと思ったんだけど、珍しく何回か鳴っていたから気になって」
「ごめん、ごめん」
「いい学校だね」という私に「そうでしょ」というようにたっくんは優しく微笑み、「この時間、この場所にいるのが、とても好きなんだ」と言った。
「離婚したいの」しばらくの沈黙の後、私はそう告げた。あまりにも唐突なその言葉は、勢いに任せて潜在意識が勝手に口から溢れだしたようなものだった。言葉にしてしまった瞬間、無意識は意識へと変わり、存在するものになった。たっくんは少し考え、あるいは考えるふりをひとしきりした後、思いっきり眉根を下げて「どうして?」と訊いた。

 私の自我を超えて出てきたその言葉の理由を問われても、私には上手く説明することはできなかった。体の内側からジンワリと嫌な汗が流れ出し、吐き気に襲われないことだけを必死に願った。何も答えない私をしばらく見つめて彼は、ため息をついた。そして「あおいがそう決めたなら、そうしよう」と呟いた。その様子は、まるで「君がカレーが食べたいなら、そうしよう」というような飄々とした態度だった。

 結婚して12年、私達は距離を広げることはなかったけれど、縮めることもなかった。たっくんは、とても優しかったし、私のことを愛してくれていた。少なくとも彼はよくそう言ってくれた。そして、愛している私との子供が欲しいということも何度か話していた。一方で、愛という不確かな結晶は永続的な安らぎを私に与えてくれることはなかった。もし私がエンジニアになっていたなら、愛を数値化できる技術を開発していただろう。1ヶ月半後、梅雨明けした翌週のよく雨の降る日に、私達は正式に離婚届けを提出した。離婚手続きは、拍子抜けするほど簡単だった。離婚届の必要事項を記入して、印鑑を押して、窓口に提出すれば、それで済んだ。夕方、駅まで送るとたっくんは言ってくれたけれど、これ以上たっくんと一緒にいることは私にはできなかった。たっくんのもので溢れている家の中を見回し「もし私のものが出てきたら処分してもらっていいから。それじゃあ」と言い、12年暮らしたパッとしない静かなアパートを後にした。そして、首都高が目と鼻の先にある生まれ育った麻布十番のマンションに12年ぶりに戻ってきた。
 
「荷物はそれだけ?」と私を出迎えた美穂は、リモワのスーツケースを見て呆れたように言った。
「そうよ」
「相変わらずね」
「荷物は少ない方がいいの」
「責任を持ちたくないだけでしょ」
「そうかもね」と私は笑いながら言った。
 
 12年という歳月はあまりにも長く、私の生まれ育った場所はまるで廃墟と化していたけれど、人工的な光と音が、私の頭の上で鳴り響く耳障りな声をすぐにかき消し、それでも続く日常を取り戻すまでに時間はかからなかった。
 
 美穂は、氷が溶けかかっているグラスの底をストローでかきまわしながら、退屈そうに欠伸をした。鼻は全開に広がり、不自然なまでに整った歯とピンク色の歯茎がむきだしになり、喉の奥までしっかりと見えるほどの大きな欠伸だった。

「私ね、時々すごく死にたくなることがあるの。生理前とか、生理中にそうなることが多いから、ホルモンバランスが崩れているんだと思う」私は言った。その声は、まるで私の声ではないようだった。海の向こう側から、風に乗って運ばれてきたような美しい音色を奏でていた。
「もうね、ずっと昔から、できることなら、私は私の存在自体の責任を放棄したかった。私がそうなりたくてなったわけでもないのに、生まれたときから私の存在に一般的な意味づけをすることはすでに不可能だった。意味づけって、正当化するってことでしょ。一般的に言って、私の存在は不正なものだと思うのよ。少なくとも私はそう感じて生きてきた。それは私が望んだものではないし、私には変えることのできない過去の出来事なの。不幸だなんて思ったことは一度もない。むしろ私は恵まれていると思うわ。だから、余計に混乱するの。辻褄が合っていないから」

 美穂は隣のテーブルに座る3人組の女子をまじまじと見ていた。3人組の女子は、美穂の整った顔から放たれる高圧的な視線に気づき明らかに動揺した。私は続けた。

「もう全部を捨てて、まっさらになりたいのよ。不定期にそういうことがあるの。もしかしたら、このまま60年近くこんなふうに生きていくのかもしれないって考えると身震いがしちゃうこともある。半年に1回くらい、そう思う。結構多いでしょ。年に2回そういう時がくるの。だから、あと120回も、これがあるのかと思うと憂鬱。だけどね、良かったなって思うことが1つあるの。何だと思う?」私は美穂に質問をした。
「分からない」美穂の大きな目の視点と私の離れ目の視点が一瞬だけ合ったが、彼女の左右対称の美しい目はすぐに私から逸れた場所に向けられた。
「子供がいなくて良かったって思うの。子供を産まなくて良かったなって思っている」
美穂は黙って毛利庭園を眺めていた。
「残念だけど、人って一人じゃ生きていけないのよね。迷惑をかけあっていきている。みんな繋がっている」
「あおい」しばらくして、美穂は口を開いた。
「ん?」
「あおいは、まだ生きるべきよ」
「どうして?」
「納得した人生を生きていないんだから、納得して死ねるわけないわ」
「納得しないで死んだらどうなるの?」
「知らないわ。私、死んだことないから」
「そうよね」
「けどね、私は思うの。死ぬことを考えることは決して悪いことじゃない。死ははじまりでもあるんだから。死と向き合っているあおいは、きっと大丈夫」
私は黙って頷いた。生温い風が私の肌を優しく包み、誰かが私に優しく微笑みかけているようだった。

***
 その晩、私は夢を見た。

 夢の中で、私は自転車に乗っていた。後ろのチャイルドシートに芽衣を乗せて、丘の頂上にある静かなアパートから向かい風を受けながら一気に坂を下った所に、人集りができていた。自転車にまたがったまま近くによってみると中央に人が倒れていたのが見えた。救急車を呼んでいるであろう1人の若い男性に加えて、数人が介護にあたり、7〜8人の野次馬たちに囲まれたその人は、一見すると小さな少女のようにも思えたけれど、白い着物を着た年老いた女性だった。見てはいけないものを見てしまったという罪悪感に似たもの感じながら、保育園に芽衣を預けて身軽になった私が1時間後に同じ場所を通った時には、何事もなかったように辺りは元通りになっていた。小一時間前には騒然としていた場所には、夏の強い日差しだけが忘れ物のように取り残されていた。

「そう言えば、ママが危篤状態なのよ」

 スマホのスピーカー越しにお酒の飲みすぎでかすれ声の姉の言葉が響いた。久しぶりの腹違いの姉との他愛もない会話の延長線上に浮かび上がってきた、母がもうすぐ死ぬという事実は、まるでおとぎ話のような気もしたし、とても平凡な話のような気もした。姉の「そう言えば」という前置きが、私にそう思わせたのかもしれなかった。あるいは、もう長いこと会っていない母が、もうすぐ死ぬということは私にとって大した意味を持たないことなのかもしれない。

「そう」
「あおいも来るでしょ?」と、最初と何ら変わりない声のトーンで姉は言った。その声はまるで「今年のお正月は、戻ってくるんでしょ?」と言われているような調子で、少しばかり浮かれているようにも聞き取れた。しばらく黙ってから「後ででいいから、病院の場所を連絡してくれる?」と言って、電話を切った。私は、しばらく何の面白みもない真っ白な天井を見つめた。

 2ヶ月ほど掃除をサボっていたシーリングファンには、薄っすらと蜘蛛の巣がかかっていた。それは、私をひどく辛い気持ちにさせた。そして、もうあの女が私の視界からだけでなく、この世から抹消されようとしていることについて考えたが、上手く言葉が見つからなかった。人生は平凡の連続だ。人々は欲を満たすために何かを求め、一喜一憂をすることを好むけれど、予期せぬ一瞬の衝撃に出くわすと慌てふためく。きっと、母がもうすぐ死ぬということも一瞬のドラマとして、いずれ私の中に刻み込まれるのだろう。悲しみや不安や怒りは永遠に続かない。そんなの知っているはずなのに、どうしてこんなに胸騒ぎが止まらないのだろう。

「ただいま~!!」玄関から元気な声が響いた。
「ただいま」と低い声が続いた。
 
 外でスケートボードを練習していた芽衣とたっくんが顔を真っ赤にして戻ってきた。たった2人の人間が増えただけで、むせ返るような熱気が立ちこめて、部屋の温度が2、3度上がったような気さえした。

「おかえり。暑かったでしょ。お水飲んだ?」と、私は駆け寄ってきた芽衣の頭を撫でながら訊ねた。
「ううん。たっくんが、お水を持ってこなかったの」と芽衣は、頬を膨らませて答えた。
「えっ?!どうして!」と、私は睨むような視線をたっくんに向けながら言った。
「いや〜つい、忘れちゃってさ。どう?休めた?」
 私はたっくんの質問を無視して、急いでコップに水を入れて、芽衣に差し出した。
「ママ、手を洗って、うがいしてくるね。お水、置いておいて」

 洗面所に向かって小走りで駆け込んでいく芽衣の後ろ姿を見ながら、私は鼻で息をついた。

「どう?休めた?」たっくんは、大きな氷が3個入ったコップに麦茶を注ぎ、それを一気に飲み干した。
「休もうと思ったら、お姉ちゃんから電話かかってきたの」
「お義姉さんから?珍しいね」と言いながら、たっくんはモスグリーンのソファーに座った。
「うん」
「何かあったの?」
「うん」
「何?」
「ママが危篤なんだって」
「きとくって何?」

 声のする方に顔を向けると、芽衣が立っていた。先程よりも、頬の赤みは薄っすらとしてはいるけれど、汗でびっしょりとしている前髪は額にぺったりと貼りついたままだった。

「ママのお母さんが病院にいて、もうすぐ亡くなるってことよ。ほら、お水飲んで」そう言って、私はテーブルの上においていた黒猫の描かれたコップを芽衣に差し出した。
「なくなるって何?」
「死ぬってことよ」
「チョロミーみたいに」
「そうよ。チョロミーみたいに」去年の冬に死んだハムスターのチョロミーのことを思い出した。
眉間にシワを寄せて難しい顔をしながら深く考え込んだ芽衣は、しばらくして「ママってお母さんいたの?」と訊いた。

 そこで、夢から覚めた。

***
 夢から覚めた時、こめかみに稲妻のようなスピードで激しい痛みが走った。その直後、鋭い痛みが喉を刺した。体は鉛のように重く、節々はしばらく油をさしていない自転車チェーンのように錆びギーギーと不快な音を立てているようだった。目を閉じると、瞼の裏は熱かった。喉の痛さは数分ごとに増し、水を飲んでも飲んでも口の中はまるで砂漠のように蒸発し、渇いた。

 美穂はどこかの会社の重役が妻に慰安旅行と嘘をついて不倫旅行に出かけたのを追って箱根に出かけていた。私は一人だった。このまま、一人っきりでどうにでもなればいいと思う私もいたし、一人っきりだから何とかしなくてはいけないと思う私もいた。しばらくの自問自答のあと、ゆっくりと数回の浅い呼吸を繰り返してから、体を起こした。吐息は熱く、重かった。しばらく使っていなかったであろう埃をかぶった救急箱を冷蔵庫の上から下ろし、とっくに期限が切れているであろう数種の市販の風邪薬や消毒液、開封していない湿布の箱、数枚の絆創膏の入った箱の下に埋もれていた体温計を取り出した。小さなひよこが一瞬だけ鳴いたような音とともに38.1度という前回の計測結果のような数字が表示され、続いてLという文字が表れた。体温計の丸々とした銀色に輝く先をしばらく見つめてから全身にのしかかっている重荷を振り払うかのように深いため息をつき、私は体温計の先を脇の中心に突き刺すようにしてそれから脇を軽く締めた。流行りの風邪なのか、それとも術後の感染症なのか定かではなかったけれど、私にはどっちでも良かった。ピコピコピコというのん気な音を耳にし、体温計を脇から外すと38・9度が示されていた。ため息をついて、これからどうしようと壁かけ時計に目をやると、時計の針は7時40分を指していた。それが、朝なのか夜なのか、一瞬分からなかったが、空の色があまりにも明るく眩しかったので、おそらく朝なのだろうと思い、ベットの中に潜り込んだ。

 「ママが危篤」ということを姉から電話で知らされた時、私はすぐに病院に行かなかった。それはあまりにも恐ろしいことのような気がした。もうずっと前から、ママという人は、私の中で幻の人物だった。現実に存在する人ではなかった。幻想を壊したくなかった。現実を直視したくなかった。小さな箱の中できれいな花に囲まれた母は、私の記憶よりもはるかに小さかったけれど、とても美しかった。あまりにも完璧なその姿は、今にも息を吹き返すのではないかという生命力さえ感じられた。泣けたらどれだけ楽だっただろう。けれど、私が泣くことはなかった。

 それから3日間、38・9度から39・8度の間を行き来する熱にうなされながら過ごした。もう夏はすぐそこまで来ているというのに、冬物のババシャツに冬物のパジャマとセーターを着て、その上にクリーニングのタグがついたダウンジャケットを着込み、毛布と羽毛布団の中に身を縮ませた。寒気と熱が交互に容赦なく私を襲った。動く度に右のこめかみに暴力的な痛みが走った。呼吸は浅く、視界はボヤけていたが、意識だけはハッキリとしていた。命がある限り私はいつだって死と隣合わせだったし、命がある限り私は私の人生をどうにかすることができた。

 3日目の夕方、さすがに明日の朝になっても熱が下がっていなければ病院に行こうとスマホで発熱外来を検索している間に、急に強い眠気に襲われ、そのまま私は眠ってしまった。何かの夢を見たような気もするけれど、そのまま目覚めることができないのではないかと思うほどとても深い眠りだった。朝起きると、プールに入ったかのように全身がびっしょりと濡れて冷えきった後だった。衣類も布団もシーツも絞れるのではないかと思うくらい濡れていて、それが自分の汗によるものだということを理解するまでに少しばかり時間がかかった。身体は粘り気のある湿りをおび、ツンと鼻をつく酸っぱいニオイがした。私の身体の内側にあったありとあらゆる汚いものが排出されているようだった。何枚にも重ねて着ていた衣服を脱ぎ、最後にババシャツ1枚になった。枕元に置いていた体温計に手を伸ばし、脇にさした。ピコピコピコというのん気な音を耳にして脇から外すと、体温計は36・3度を示していた。昨日まで鉛のように重かった体は急に発泡スチロールのようになったけれど、指先にはかすかに熱のしびれが残っていた。

 「シャワーに入ろう」と、冬眠明けの熊のように身体を起こすと、下腹部に鈍い痛みを感じた。久しぶりではあったけれど、それが生理だということはすぐに分かった。「こういう感じだ」とすぐに思い出すことができる、自分の感覚と記憶に感心せずにはいられなかった。トイレに入りショーツを脱ぐと、幸いなことにまだ経血はなかった。汗が冷えた後のひんやりとした体に異常なまでの温かさを感じずにはいられない便座に腰かけ「今、たっくんは何をしているんだろう」と考えた。考えても仕方なかったが、考えずにはいられなかった。ポタッと機械的に血が落ちたことを確認して、脇にあるトイレラックから数ヶ月ぶりに使うナプキンを手に取り、新しいショーツに当ててババシャツも脱ぎ、洗面台の前に立って自分の全裸を眺めた。もともと痩せ型だった私の体はこの3日間で更に肉が落ち、胸椎がしっかりと浮き出た下に申し訳程度にある胸の膨らみがあり、その下には内臓の形がくっきりと浮かび上がっていた。相変わらずの離れ目と、高くした鼻、そして大きな口が存在していた。母の葬式で初めて会った父親の顔と同じ顔だった。

 久しぶりの生理はとても重く、下腹部を雑巾絞りされるような痛みが延々に続いた。痛み止めはあったけれど、とっくに期限は切れていたので飲むのをやめて、ほとんど身動きを取らずに過ごした。3日間大したものを食べていなかったので、体力も底をついていた。せめて痛みがなくなって動けるようになってから何かを作ろうと思い、寝て、起きて、寝て、起きてを繰り返した。億劫だったが、1時間ごとにトイレに行ってナプキンを変えていると、その内に痛みは過去の出来事の一つとなっていった。

 夕方5時を知らせる「七つの子」を聴きながら、懐かしさと切なさがこみ上げてきた。そのままソファーで深く寝入ってしまい、朝4時に目を覚ました。薄暗い部屋の中で身体を起こすと、首都高の先で異彩な光を放つ東京タワーが目に入った。ふらつく足を引っ張りながら、窓を開けると、首都高から熱風とトラックの音が舞い込み、恥骨のあたりでドロっとした生ぬるいものを感じた。それは、とても大きな血の塊だった。あまりにも自然に流れ、空気のようなものだった。雲ひとつない空には煌々とした蛍光灯ランプのような光を放つまん丸の月が浮かんでいた。

 私は、生まれなかった子供のことを思って泣いた。
 私は、死んだ母のことを思って泣いた。
 
”感情さん”と呼んでみたけれど、彼らが現れることはなかった。



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