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感情(前編)

あらすじ

梅雨に入る少し前、あおいは12年間連れ添った夫のたっくんに「離婚したいの」と切り出した。複雑な家庭環境で育ち空虚感を抱えたまま大人になったあおいが、悲しみや不安、怒りという負の感情と折り合いをつけていく物語。

***
 その日は、朝から雨が降り続いていた。お昼を過ぎた辺りから雨脚は強まり、傘とできればレインジャケットがなくては、しっかり濡れてしまうような雨だった。小石のような大粒の雨水が真っ直ぐと降り注ぎ、コンクリートで固められた大地を湿らせる様子はどこか人工的で、まるで巨大なオーバーヘッドシャワーが天に備え付けられているようだった。気象庁は2週間前に「梅雨明け宣言」を発表していたが、その直後から雨が降り続くようになった。

「やっぱり今日も雨だったね。さっき天気予報で1日中降るって言ってたよ」絵に書いたような分厚く灰色の雲に覆われた空を見上げて、私は独り言のように呟いた。

「仕方ないよ。森田さんもそう言ってたし」たっくんは、私の真横に立って、空を見上げた。
「森田さん?誰?」私は手に持っていた木製スツールを床に置いて、その上に片足を乗せながら訊ねた。

「天気予報士の森田さんだよ。あっ、危ないよ」私の腰に一瞬だけ触れたたっくんは、すぐにその手を引っ込めた。

 彼のよそよそしい素振りに気づかないふりをしながら、私は「そう」と答え、窓ガラスに右手をつきながらスツールの上に軽やかに乗り、アンティークゴールドのカーテンレールに吊るしていた2つのてるてる坊主を外した。にわかに曇った窓ガラスには、私の小さな手の形がくっきりと残った。

「せっかく作ったのに外すの?」
「そう。晴れてほしかったのは今日だったから。明日は別に晴れても晴れなくても、どちらでもいい」
「そっか」とたっくんは、小さな声で呟いた。
「梅雨の間はほとんど降らなかったのに、梅雨明けしてから毎日のように雨が降るってどういうことなんだろう」

 たっくんは、遠くを見つめながら何も答えなかった。

「区役所、何時に行く?」私は訊ねた。

永遠のような沈黙が流れた後「僕だけで行ってこようか。雨の中、出かけるの好きじゃないでしょ?」とたっくんは言った。

 雨の日の私は機嫌が悪いことをこの人はよく知っていた。

「湿気が強いと前髪がうねるからね」と、私は小さな声で答えた。

言葉通り重い空気が流れ「じゃあ、僕が一人で行ってくるよ」とたっくんは寂しそうに言った。

 その声は私がこれまで耳にしたことのないもので、目の前にいる、よく知っているはずの男から発せられるものだとは思えなかった。目で得る情報と耳で得る情報が一致しないその取るに足らない一瞬の出来事に私は狼狽した。短距離走を全速力で走った後のような鋭い痛みが私の下半身に電流のように流れ、半ば倒れ込むかのようにその場にしゃがみこんだ。目の前が真っ暗になり、たくさんの花が敷き詰められた箱の中で小さくなった女の姿が頭をよぎった。その瞬間、自分の存在がとても不確かなもののような気がして、どこにいるのかよく分からなくなってしまった。

「あおい?」目を開けると、触れることのできる距離に私が12年間連れ添った夫が心配そうな顔をして立っていた。その男から発せられる私の名前はボンヤリと鼓膜に響き、その声を聞いただけで吐き気がした。

「ちょっと、貧血だと思う」と私は言いながら、手術のことを思い出した。「温かい飲み物を淹れるよ。床は冷えるから、ソファーに座って」まるで小さな子どもに話しかけるような彼の優しい眼差しがそこにはあった。

 対面式キッチンに向かうたっくんの背中は、妙に小さく、彼の内股歩きとなで肩のせいで、その姿は少年というよりかは少女のようだった。

「ハーブティーでいい?」と言いながら、たっくんは南部鉄器の鉄瓶でお湯を沸かした。何も答えずボンヤリと床の一点を見つめる私をしばらく黙って見ていたたっくんは、「明日にしようか」と期待と不安が入り混じった顔で言った。

「今日でいい。今日がいい」私はすぐに答えた。「今日離婚届を出そうが、明日離婚届を出そうが、出すことに変わりはない。それなら早い方がいいじゃない」

 たっくんは、静かに頷いた。
 お湯を沸かしている間に、ハーブティーリーフが入ったレモンの柄の白い缶とホーローのマグカップを2つ、鉄器のティーポットをテキパキと準備するたっくんの姿をぼんやりと眺めながら「これは全部私の幻想なのかもしれない」と思った。時々、全てのことが夢のような気がすることがあった。夢から醒めないでほしいと思うこともあったけれど、ここ最近はずっと早く夢から醒めたいという気持ちが勝っていた。

「時々ね、思うことがあるの。生まれる前から、ある程度色々決められているんじゃないかなって」私の意識とは別のところで、私の口は動いていた。
「運命ってやつ?」たっくんがきちんと返事をしたので、目に見える私が喋っていることは明らかだった。
「あるいは、そう言い換えられるかもしれない。だから、無駄な抵抗はしないで、受け入れるしかないんだろうなって思うのよ」そう言いながら、私は重たい腰を持ち上げて、アンティークショップで買った座り心地の悪いモスグリーンのソファーに座った。

 たっくんは、鉄瓶が沸騰したのを確認してガスをとめ、ハーブティーリーフを加えた鉄器のティーポットにお湯を注いだ。爽やかなシトラスの香りが狭い部屋に広がった。
「遅かれ早かれ、別れは誰にでも用意されたシナリオなのよ」と私は呟いた。

”やぁ。君は一人だ。寂しいね。悲しいね” 頭の上で”悲しみさん”が私に言った。

 たっくんは、木製のコーヒーテーブルに鉄器のティーポットとホーローマグカップを音も立てずに置いた。30秒間ほどおいてから、均一な動作でマグカップにジンジャーシトラスティーを注いだ。

「飲みなよ」たっくんは静かに言った。

私は無言のまま、唇をマグカップの端につけジンジャーシトラスティーをすすった。ジンジャーのピリッとした辛味と爽やかなシトラス、そして若干の甘みが口の中に広がり、緊張で乾いた喉を潤した。

「気にしないで。生理的なことだから」私は早口で言い、私の真っ平らなお腹に右手で触れた。もう一口ジンジャーシトラスティーをすすり、冷たい飲み物が飲みたいと思った。

 私達は黙って、雨に濡れた窓の外に目をやった。私が窓に残した手形は血が滴るようにして崩れかけていた。この静かなアパートが私は大嫌いだった。静かすぎて、頭の上で響く声に何度も押しつぶされそうになった。

「みんな別れるから。原因と方法は違うけど、結果は同じよ」

 たっくんは何も答えなかった。

「一人じゃ生きていけないのに、結局、みんな一人なの。困ったものよね」
 重たい沈黙を守るたっくんの整った顔を眺めながら、私はきっとすぐにこの人の顔を忘れてしまうんだろうなと思った。

”やぁ。君は一人だね。寂しいね。悲しいね” 頭の上で、”悲しみさん”がもう一度囁いた。
"私は一人ではないわ。少なくとも、あなたがいる"私は”悲しみさん”にそう言った。

***
 小学校3年生の時に、5時間目の授業に遅れたことがあった。チャイムの音は聞こえていたけれど、遊ぶのに夢中になっていた。背が低く鼻がいつもつまっているせいで口呼吸をするクラスメートと、背が高く天然パーマのクラスメート、そして私の3人を残した校庭には墓場のように静けさが宿っていた。その不気味な静寂に気づいたクラスメートの2人は、私を残し墓石のない墓場を全速力でかけていった。

「待って」と大声で叫ぶ私に向かって、背の低い方は「他人のことよりも、自分のことの方が大切だから」と言い「そうだよね」と背の高い方が同意した。どちらの名前も忘れてしまったけれど、凸凹の2人の小さくなる背中は今でも鮮明に覚えている。

 数日後、「思いやり」について話し合う道徳のクラスがあった。

「思いやりって何だと思う?」と聞く担任に、「優しくすること」「一緒に遊ぶこと」「困っている時に助けてあげること」など次々と発言していくクラスメートの中で、私の気を引いたのは背が低く鼻がつまっていて口呼吸をするクラスメートだった。彼女は「自分のことよりも、他人のことの方が大切です」と発言した。

「この間、私に人のことより自分のことの方が大切だって言ったよね。だから私を置き去りにしていったんでしょ」気づいた時には、私は背が低く口呼吸するクラスメートの背中に向かって声を張り上げていた。その声は、壁の向こうにいる難聴の人に向かって話しかけるようなハッキリとしたものだった。

 クラス中の視線が私に集中した。「気になるけれど、触れてはいけない、近づいてはいけない、噛みつかれるかもしれない」といったような檻の中の野生動物を見るかのような無数の目が私を凝視していた。口呼吸するクラスメートは、最初の内は私が言ったことがうまく飲み込めていない様子だったけれど、みるみるうちに顔や耳を真っ赤にして必死に泣くのを堪えていた。泣けたらきっと楽だろうに、彼女は授業が終わるまでずっと顔をうつむかせていた。

 更に私が眉根を寄せずにはいられなかったのは、授業が終わった後に担任に呼び出された時に言われたことだった。

「どうしてあんなこと言ったの?」と咎めるように詰め寄る彼女に「先週の道徳の授業で嘘をついてはいけない、と先生は言っていましたよね」と私は平然と答えた。「そういうことではないのよ」と言いながら言葉に詰まり顔を赤く染める担任を、私は哀れんだ。後日、担任は私の母を呼び出し、学年主任を交えて話し合いの場が設けられた。

 学校からの帰り道「最近の先生っていうのは、本当に弱いわ。全部人のせいにして。家庭環境に問題があるとか言って、責任から逃れようとする」と母は言いながら、私の小さな手を強く握った。爽やかな秋の風にのって母のシャネル5番が私の鼻孔をくすぐった。

「家庭の問題って何?」私は訊いた。

コツコツと鳴っていたピンヒールの音が止まり、母はゆっくりと私を見下ろした。私の顔をじっと見つめ「やっぱり鼻は高くした方がいいわね」と言った。

「家庭の問題って何?」私はもう一度訊いた。
「はぁ」と大きなため息をついてから、「あおいにはお父さんがいないでしょ。お父さんはいるけれど、いないと思われている。事情を知らない人の中には、それが問題だと言う人もいるのよ。それにお母さんの仕事は、学校の先生からしたら、問題なのよ」と母は言った。
「どうして?」
「子どもたちに悪い影響があると思っているんじゃないかしら」

 それを聞いても何が問題なのか幼い私には全く分からなかった。真面目に働いてお金を稼いでいる人とその家族を「問題だ」と思っているその思考回路の方が問題ではないだろうかと思った。一つ分かったことは、学校というとても小さな世界の中では、夜の仕事で生計を立てているシングルマザーの母親を持つ私はかなり浮いた存在であるということだった。その頃から、私の頭の上で、”悲しみさん”や”不安さん”、”怒りさん”という具体的な形を持たない”感情さん”たちが、声を出すようになっていった。時に一人で、時に右に”悲しみさん”、左に”不安さん”の2人で、それに後から”怒りさん”も加わることもあった。彼らは、無言で私に忍び寄り、気づいた時には威嚇しながら私の脇を固めていった。

”やぁ”と、はじめて私に声をかけてきたのは、”悲しみさん”だった。
”誰?”
”名前はないよ”
”…”
”怖がることはない。ボクは君の悲しみだよ”
”私の悲しみ?”
”そうさ。君は悲しんでいるんだろ。だからボクが現れた”
”何のために?”
”悲しむためさ”

 それ以降、私は学校では極力喋らないようにした。教壇の上に立つ大人たちの機嫌をとることも、上辺だけで喋っている子供たちと仲良くすることも、なんの意味もないと思ったからだ。私は幼いながら、生きるということは、とても複雑で不可解で、その原因の一つは言葉によるものだと思った。習慣化した癖は第二の天性となり、私は必要最低限の言葉だけで世の中に溶け込むことのできるスキルを身に着けた大人になった。その天性は大学生になっても発揮され、友達と呼べる親しい人を作らないまま大人になっていた。

 大学1年生の春に私は、たっくんに出会った。

「どうして喋らないの?」私を大学構内で、声をかけてきたたっくんは、半年前に大学を休学したばかりだった。私が喋らないことよりも、たっくんがなぜ大学を休学したのか、あるいは大学を休学しているこの半年間、たっくんが毎日大学構内を彷徨いていることの方が、疑問の余地があるような気がしたけれど、私は小学校時代の一連の話をした。なぜたっくんを信用できたのかは分からなかったけれど、誰もが振り返るような端正な顔立ちの彼にひと目で惹かれたのは間違いなかった。それに、街なかで「一緒に今週の日曜日、神様にお祈りをしませんか?」と宗教の勧誘をしてくる女や、「手相を勉強しています。視てもいいですか?」を声をかけてくる憂鬱な顔をした女や、夜道で「八百屋です!フルーツ買いませんか?」とやけに明るく声をかけてくるような男よりも、マシだと思ったのかもしれない。

「言葉ってとても恐ろしいものだと思ったんです。今でもそう思っています。言葉にすることって、とても責任のあることでしょ」
「自分の知らない場所で、誰かを傷つけることもあるかもしれない。傷つけられることもあるかもしれない。だけど、共通の言葉を使えるようになったことで、僕たち人間は発達と発展してきたんだよ。怖がらないでいい」
「共通の言葉で、意味が通じ合っても、理解することができないケースもあることを知っていますか?」
「例えば?」
「自己紹介をします。私は、夜の仕事をしている母と父親の違う10歳上の姉と友達のような家族のような美穂という女の子と麻布十番のマンションで暮らしています。父には会ったことがないけれど神戸に住んでいて大きな会社の社長をしています。父は母に月に1度会うために東京に来るそうです。母が私を産んだ後に、父は別の女性と結婚をして、私の他に子供が3人います。私の顔は、その方が良いと言われて鼻を高くしたけれど、それ以外は何もいじっていなくて、父親にとても似ているそうです。父親譲りの爬虫類顔なんです」

 たっくんは黙っていた。

「同じ世界にいても次元が違う人はたくさんいる。諦めているわけではありません。けどね、私の言うことや、私の存在を理解できる人ってとても限られている。実のところ、私も私の存在が理解できていない」体の内側からじっとりと湿り気をおびて、目頭が熱くなった。
「完璧にはできないかもしれないけれど…」と言いながら、たっくんは私の小さな右手を握った。「少なくとも僕は君のことを理解しようと努力するよ」

”やぁ。ボクは君の不安だよ。君に会えて、嬉しいよ”
”私は嬉しくない”
”ごめんね。けれど、君を尾行するのが僕の任務だから。悪いとは思っているよ。けどね仕方ないんだ”
”なぜ、私は不安になっているの?”
”自分以外の誰かに心を開こうとするのがはじめてだからだよ”
 
 次元の異なる人と同じ時間を共有することは決して簡単ではなかったし、どちらかと言えば苦行だった。心を閉ざしたくなることは日常茶飯事だったし、心のシャッターを閉めかける度に、彼はそれを半ば強引にこじ開けてきた。なぜたっくんのような人物が、私のような人物を好きになったのかはよく分からなかったけれど、愛というのはそういうものなのかもしれない。苦行は明らかに私の世界を広げていき、調子の良い時はとても価値のあることのように思えた。結局、努力しなければ前には進めないのだ。

 私が私の世界を広げていくようになると、母の人生は少しずつ歯車が狂い出したようだった。睡眠薬とアルコールに依存した彼女の姿は化け物だった。

 母はサラリーマンの父親と、専業主婦の母親のごく一般的な夫婦の間に生まれ育った。とても裕福とは言えないけれど、どこにでもあるような人並みで不自由のない生活を送ってきた。そんな彼女は、なぜか両親との折り合いが昔からよくなかったそうだ。目立った非行に走るということはなかったけれど、彼女が18歳で姉を出産した時には、その関係はもはや修復不可能なものになっていた。姉の父親は、母の通っていた高校の担任教師だった。けれど、それ以外の情報を母は何一つ語ろうとしない。私はもちろん、姉も男の名前さえ知らないし、なぜ2人が結ばれなかったのか、あるいは姉の父親が今どこで何をしているのかについても、母は墓場まで持っていくつもりのようだった。母は私を28歳で出産した。相手の男性、つまり私の父親にあたる人物は、神戸で造船会社の社長をしている男だった。男の名字を検索エンジンにいれると、予測変換機能で上から4番目に男の名前が出てくる。何度も調べてみようと思ったけれど、その度に礼儀正しいの”不安さん”が私の頭の上に現れた。母にとって私を産むことは必要不可欠なことだった。

「あおいはママとお姉ちゃんを助けてくれたのよ」と母は私の頭を撫でながらよく言っていた。母は生きていくために私が必要だった。だから、私をとても可愛がったし、離そうとはしなかった。いつしかその傾向は強くなっていった。

***
 たっくんが27歳の時、彼は2度目の教員採用試験に落ち、がん保険だけを掛けていなかった父親を悪性リンパ腫で亡くした。その時期、私は長らく続いていたたっくんとの「特別な仲の良い友人」としての関係と、それを紛らわすための毎週月曜日の「今週の星占い」チェックの習慣にうんざりしていた。

 その頃から、”怒りさん”が私のところに訪れることが多くなっていた。

”おい、来たぜ”
”来ないでいいのに”
”そんなこと言うなよ。怒っているんだろ”
”今週は運勢が悪いんだって。待ち人来たらずって書いてある”
”当たらねえだろ。そんなの。当たったためしがないだろ”
”そうだけど”
”星占いに怒っているわけじゃないだろ”
”…”
”たっくんに怒っているだろ”
”煮え切らない関係にはうんざりしている”
”だろ”
”それにイライラしている自分に怒っている”
”ほぉ”
”どうやったら、”怒りさん”はいなくなる?”
”オレに聞かれてもなぁ。オレは自分の仕事が好きだから”
”…”
”お前は、自分で何かアクションを起こしたりしているのか?”
”どういうこと?”
”態度がハッキリしないたっくんに、どうにかしろとか言っているのかってことだよ”
”言ってない”
”言ってみたらどうだ”
”…そうだね”

 ある朝目覚めた時に携帯電話へと手を伸ばす前に、たっくんから「今日、食事でもどう?」というメールが届いていることを直感した時「結婚するなら、これからも会う」と伝えようと決心した。若いカップルによくあるような何度かのすれ違いや冷却期間を重ねた末、23歳でそういった決断を下したことを、私は上手く周囲に説明できなかった。一緒にいてもどこか寂しさを感じずにはいられない相手とこの先も一緒にいることを正しい選択とは思わなかったし、結婚がしたかったわけでもなかった。私の身の回りの人で、結婚をして上手くいった人なんて一人もいなかった。彼女たちは「結婚以上にコスパが悪いものはない」と口を揃えて言っていた。そもそも結婚というものが何なのかもよく分からなかった。夫婦という関係を私は間近で見たことがなかったからだ。けれど、やりたいことがあったわけでもない私が、このまま辿るのは母親のようになっていくことだった。そして、その道から逃れるためには、結婚という関係を結ぶことが手っ取り早いと思った。少なく紙切れという目に見えるもので結ばれたその関係は、責任という代償を払いながらも、確かに存在するようなものに思えた。時間をかけて、覚悟を決めていけばいいと、その時はある種の希望を持っていた。

 ママは、私がたっくんと結婚することに猛反対した。例えば、相手がどこかの社長で、その間に子供ができていたのであれば、顔をしかめながらも納得はしたのかもしれない。けれど、私の選んだ相手は、教員採用試験に2度落ち、非常勤講師として高校で働く男だった。私の選択は間違っていると怒鳴り、たっくんのことを罵倒し、発狂した。

最初の2週間は、私の顔を見る度に「ここまで育ててきた私の苦労はなんだったのか」「何様だと思っているのか」「恩義はないのか」「私の娘なら、私の言う通りにしなさい」など、罵声を浴びせた。

婚姻届を提出する3日前、夜遅くに私が帰宅すると、薄暗い部屋の中から仕事に行っているはずの母が出てきた。月明かりに照らされた母の顔は死んだ魚のような生気がなく、そこにいたのは、ただの美しい顔を持った化け物だった。この時、私は取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれないと気づいたが、もう手遅れだということも明らかだった。母はハッキリとした声で「産まなきゃ良かった」と私に向かって吐き捨てるように言った。結局、私は母親には愛されていなかったのだと思う。

 私が大学を卒業した翌日、私とたっくんは区役所に婚姻届を提出した。私達の結婚を祝福してくれたのは、私の知っている限り、たっくんのお母さんと、私の姉と美穂だけだった。たっくんの周りには、もしかしたら祝福してくれた人がたくさんいたのかもしれないけれど、私はたっくんの交友関係に一切興味がなかった。世界中でたった3人しか祝福されない結婚なんて、おそらく私とたっくんの結婚だけだろう。けれど、たった3人でも祝福してくれる人がいること、また愛している人と一緒にいることを選ぶことのできた勇気を持てたことを私は喜んだ。

***
 私とたっくんが結婚する1ヶ月前に、美穂は公安委員会に届け出を提出して女性専門の探偵事務所を立ち上げ、私は彼女の仕事を手伝うようになった。たっくんとの煮え切らない関係に病んで最初から就活は放棄していたけれど、生きるためにはある程度のお金が必要なことは分かっていた。たっくんは私立高校の非常勤講師で、切り詰めていけば彼の稼ぎだけで暮らしていけなくはなかったけれど、充分なお金がないということは私の精神衛生上良くはなかった。お金で買えないものもあるかもしれないけれど、お金がなければ生きていくことはできないということを私は分かっていた。お金があれば、ある程度自由でいられる。私の人生の大まかな部分は、お金という目に見えるものに支えられてきたようなものだった。
 美穂は彼女が5歳の時、金融機関でコンサルティングをしていた父親が何の前触れもなく忽然と姿を消し、宗教にどっぷりつかった母親ととも14歳まで2人で暮らしてきた。幼い美穂を抱えた母親が宗教に入信するのに時間はかからなかった。初めに生い立ちを供養するためにクラブで稼いだ半月分の給料で印鑑を購入し、それ以降、3度の飯よりも献金を優先させ、家の中はおびただしい数の御札や仏像、不気味に光る石で溢れかえっていたという。小学生の頃は、唯一腹いっぱいに食べられるはずの給食の費用が半年間滞納されたこともあり、見兼ねた担任が代わりに給食費を支払ってくれた。美穂の母親の勤め先だったクラブのママが、1週間以上襟元が黄色く染められたTシャツを毎日着てクラブのカウンターで宿題をする彼女のことを見て、お店の皿洗いで小銭稼ぎをさせた。中学校に入学してからは、年齢をごまかしながらクラブで男たちを相手にすることもあった。母親譲りの整った顔と汚れを知らない純粋なオーラは一部の大人たちを夢中にさせた。その頃には、美穂の母親はクラブに顔を出さなくなっていた。美穂が14歳になった時、母親は全財産を献金して団体の施設で他の信者と一緒に生活をすることになり、別々の道を歩むことになった。

 「あの人が何を選択しようとあの人の自由だった。すごく弱い人だったの。その弱さに漬け込まれたのよ。どうしようもなく、何かにすがりたくなる気持ちも分からなくない。あの人がのめり込んでいたものは、私にとっては悪だったけど、少なくともあの人にとっては善だったのだと思う。そうでなければ、私は報われない」14歳の時に、ママに連れられて麻布十番のマンションに来た美穂は静かにそう語った。

 美穂は、私と同い年だったけれど、私たちには共通することは何一つなかった。好きな音楽も本も、映画も、食べ物も、好きな色でさえ被らなかった。美穂は、それまでの14年という人生でそんなものには触れていなかった。触れる余裕がなかったというよりかは、存在さえも知らなかった。存在を知る機会がなかった。私の母であるママという存在が、私たちをつなげる唯一の橋だった。

 「反対されなかったの?」と私は訊ねた。
 「反対?」
 「お母さんについて行かなかったこと。親が信者なら、子供もそうなるって聞いたことがある。宗教って強制することが多いんじゃないの?」母と姉、そして通いの家政婦さん以外と話すことに慣れていなかった私の曖昧な質問に美穂は微笑を浮かべながら、答えた。
「そういうイメージがあるよね。あの人がのめり込んだ宗教も、そういう類のものだった」すこしの間を挟んで、美穂は続けた。「けど、私の母親は自分の目的を見失っていなかったんだよ」
「目的?」
「そう。あの人にとって信仰をするということは、あくまでも自分のためだったの。自分を治癒することであって、団体の繁栄ではなかった。自分のことしか考えられないくらい弱く利己的な人だった。弱さがあったから、人間的でもあったんだと思う」
 私はなんと言えばいいのか分からず、黙って頷いた。
「あの人は私を布教活動に連れて行ったこともなかったし、もしかしたら団体は私の存在さえも知らなかったかもしれない。それは、少なからず私にとっては幸運なことだった」
「もしお母さんと一緒に施設に入ることを強制されたら、どうしていた?」と私は訊いた。
美穂はまるで私が外国語を話していて、私の言っていることが理解できないという顔をした。「もし施設に入ることを強制されたら、どうしていた?」と私が言ったことをそのまま繰り返し、細胞の隅々に行き渡らせるようにゆっくり時間をかけて呟いた。ひとしきりの沈黙の後で「そんなこと、考えたこともなかった」と目を丸くして答えた。
「宗教を恨んでいる?」私は質問をした。
「恨んでいない」即答だった。
「お父さんのことを恨んでいる?」
「恨んでいない」即答だった。
「どうして?」
「あおいは、宝箱にゴミを入れておく?」
「宝箱にゴミ?入れておかない」
「そういうことよ」
「どういうこと?」
「恨みつらみをいつまでも抱えて生きていくことは、汚いゴミを大切に持ち続けているのと一緒だと思うの。恨んだところで、過去は変えられない。他人を変えることもできない」
私はしばらく黙って考えた。
「ねぇ、人間って不公平だと思う?」私は訊いた。
「大丈夫よ」
「何が?」
「みんな死ぬでしょ」
「うん」
「人間は死ぬ時には辻褄が合うようにデザインされているのよ」
「どうして人間は死ぬのかな」私は訊いた。
「公平にするためじゃない?」美穂は答えた。

 探偵は、難しい勉強や資格が必要な職業ではなかった。探偵の仕事に必要なのは、底知れない体力と精神力だ。「ここぞ」というタイミングを見逃さないための忍耐力、集中力、観察力、判断力、そして直感力があれば、なんとかなる。やるべきことをすれば、数日で証拠をつかめることだってある。トイレ、眠気、空腹、天候、ありとあらゆる状況を耐え忍ぶ必要があるため、尾行や張り込みが辛いという探偵も多いけれど、私はこれといって、この仕事に辛さを感じたことはない。だからと言って、楽しんでやっているわけでもなかった。人の数だけ生き方はあり、人が増えれば増えるほど、生き方も増えていく。問題も増え、探偵が必要なケースも増えていく。ただ、それだけだった。きちんとした人たちはコネクションを大切にした。そういう人たちだけを相手にした美穂の探偵事務所は、お金や時間をかけて広告なんてものを出さなくとも、すぐにビジネスを軌道に乗せることができた。ホームページなんてものも作らなかったし、もちろんメディアにも出ることはなかった。一見さんを受け付けず、03からはじまる電話番号が人から人へと伝えられ、悩める人々が、その電話番号のダイヤルを回すというサイクルが繰り返される。依頼者の数はそう多くはなかったけれど、その分一つ一つの依頼に集中して調査もできたし、アフターフォローもしっかりとできた。ただの手伝いの私でさえも、報酬は良かった。美穂は現金を入れた茶封筒を毎月15日に私に手渡し、私はテーブルの前に座って丹念にその枚数を数えた。その作業は毎回3回繰り返された。

 「人の不幸で稼ぐ仕事」私は、札束を数えながら必ずそう言った。
 「不幸と幸福は紙一重よ」と美穂はにっこりと笑いながら必ずそう言った。

後編へ続く:


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