キム・ヨンミン『人間として生きることは一つの問題であります―政治的動物への途』翻訳 #2 第1部・政治とはなにか「政治はどこにあるか―政治のゆくえ」

 政治はどこにあるだろうか。国会にあるだろうか。青瓦台にあるだろうか。裁判所にあるのか。街中か。新聞の政治面?ネット?食って寝る日常に?あるいは、それとも人々が見落としてしまう陰の下にあるのだろうか。
ただただ幸せでばかりいらっしゃるか。さらば、あなたはかなり運がよろしゅう。その良き運に恵まれて、来たる時に穏やかにお亡くなりいただきたい。しかし、そこに政治はない。人間が平凡に幸せになることができなくなった時に、政治がはじまる。人間として生きることは一つの問題であり、それを取り扱うところに政治がある。


 なんとか諸々うまくいくだろうとでもお思いか?自分一人くらいは普通に穏やかに、良き人生を営みうるとでもお思いか?されば、そこに政治はない。世の中、一人歩きで勝手にうまく進んでくれることはない。もしも万が一何かがうまくいっているのであれば、きっと他の誰かが苦心苦慮して、念を入れて、精を入れて、さらにエネルギーと人生を打ち込んでいるのだ。何かのために、誰が、何を、どう打ち込むか。それを考えることに政治がある。


 寝込んで心配ばかりしていらっしゃるとでも?政治は夢想にあらず。あなたが入ったその布団やベッドに政治はない。政治は、日常のアヘン窟に横たわり心の煙を出しまくるところにはない。状況の維持と改善のために、なんとか起きてなにかしら行動にしようとするところに、政治がある。


 人間は善きものなのだからどうにかなるとでも?さらばそこに政治はない。たとえ偽物は好きになっても、偽物を本物と偽らないことが商人の倫理である。たとえブサイクが好きになろうとも、言い張らないことが恋人の倫理である。人間が好きになることはあれど、すべての人間がかくのごとく善きものであるとは言い張らないことこそが、政治の倫理である。人間が天使ではない事実を受け入れるところに、政治がある。


 生きることに嫌気がさして、いやらしくて、おぞましくて、いまわしくて、うんざりで呆れたか?その嫌気あまりに世を捨てて山に籠りたいか?さらばそこに政治はない。答えのない世界で、良き世の中にしたいと戦った挙句疲れてしまえば、世を捨てたくなることもまた人間のこと。それでも世を捨てずに、最後まで踏ん張るところに政治がある。


 この世を毛嫌いするか。否認したいか。他人が毒虫にしか見えないか。さらばそこに政治はない。気がつけば産まれている。死ぬのでなければ、生かされてしまうことが人生。生きているうちに鉢合わせするのが他人。他人と一緒にいるところに、政治がある。欲望と嫉妬と排斥を超えて、他人と共存を模索するところから、まさに政治ははじまる。


 欲望だらけでも、資源が穣かなんだから大丈夫とでもお思いか?さらばそこに政治はない。既得権益の有する者も、「被害者コスプレ」をするところがこの世なのだ。責任はとらず、誰か他の人が自分のために勝手に全部やってほしい、と思うものが人間である。欲望に満ち溢れる人間に、限られた資源をいかに分配するか考えるところに政治がある。


 分業化・専門化が進み、富のパイ自体が大きくなるわけなんだから、物々交換で分ければいいじゃん、とでも?その過程で特に葛藤とかもないとでもお思いか?さらばそこに政治はない。いかに葛藤を仲裁し、交換を促進するか考えるところに政治がある。


 世事は簡単?善悪の区分は判然?勧善懲悪ですべて解決できる?さらばそこに政治はない。世事は容易ならざるもの。万事めんどくさくとも、時が来れば腹が減る、それが人間。他人がいかにもみっともなくとも、やがては寂しさが襲ってくるのがまた人間。がんじがらめで複雑、かつ矛盾している状況を取り扱うところに政治がある。


 人間と世界について全知的視点を持っていらっしゃるとでも?さらばそこに政治はない。エセの新興宗教あるのみ。皆似たような考え方をしていると?さらばそこに政治はない。自分の限界を以て、予測不可能のこの世を一歩一歩踏み出していくところに政治がある。


 権力が嫌で、他の人々もまたしかりであろうと?善で自分の存在感を得られなければ、悪を以てでも権能を手に入れようとする人間どもがいる。徒党を組んで勢いを膨らませる哺乳類が人間。そのような人間が一体どこから大量生産されるのかわからないと?生殖を通じた再生産に決まっているではないか。


 有能な人を指導者に選出したのだから一安心、とでも?彼がきっと初志貫徹するとでも?さらばそこに政治はない。時間の人間の見方にあらず。時が経てば権力は腐敗し、権力者は怠惰になってゆく。腐敗と怠惰を呼び起こす時と、いかに闘って勝ちをおさめるかを考えるところに政治がある。


 リーダーは清廉潔白でさえあればよいと?有能なものは危険なのだから、清廉潔白な無能力者をリーダーに選出すると?さらばそこに政治はない。危機が迫ってくると、腐敗ほど無能も嫌うものが人間だ。危機を想像し対応するところに政治がある。


 権力者が腐敗すれば彼を消せばいいと?お弁当爆弾を投げつけて、口に燃え上がる花瓶をぶち込むと解決すると?そこに、英雄はあれども政治はない。その過程で犠牲にされた民間人に対する賠償、テロ―の正当性、爆発の後始掃除、清掃員の正規職雇用を議論するところに政治がある。


 世界を牛耳って名を残したいというものが英雄の野望であり、その英雄の行動こそが政治とでも?政治はそこにだけあるわけではない。平凡に、正しく生きたい普通の人の願望を顧みて実現させるところに政治がある。最小限の人間の尊厳すら、政治を避けては通れない。


 仮初めに生きては終局に死にゆくと?さらばそこに政治はない。仮初めに生きるのはカゲロウのような虫けらであり、人間ではない。未来を考えず、一たびの失敗さえも許さないものは、人間の生にあらず。長期的な生を考えさせうるセーフティーネットを次世代に残さなければならぬ。よりよい選択肢を残すことを考えるところに政治がある。


 ユートピアを築こうとしていらっしゃるか。さらばそこに政治はない。ユートピアは政治的熱望の賜物というよりは、宗教的パッションの賜物である。「塵も積もれば山となる」とでもお思いか?まだ山に行かれたことがないようだ。塵を集めて、さらに少し大きめの塵を作っていくところに政治がある。


 どの物事も当たり前、とでもお思いか?ならばそこに政治はない。この世の中当たり前はない。当たり前かのようにうつっていたものが、当たり前に見えなくなったときに政治がある。当たり前のような現実の陰に、今すぐにでも消えようと危うく存在するものがいる。一見当たり前のように見える異化(defamiliarization)させるところに政治がある。


 どれだけ苦難なものが政治の現実とはいえ、孤軍奮闘さえすればなんとかなるとでもお思いか?さらばそこに政治はない。いかほど奮闘してもだめなことはだめであると認めるところに政治がある。不眠症を思い出し給え。我々が眠りにいくのではない。眠りが我々にくるのだ。「幸せは歩いてこない、だから歩いていくんだね」。政治においては、そのようなことなんか日常茶飯事。くるものを待つこと。あえてこちらから近づこうとすれば、却って遠ざかること。


 嗚呼、かくも小難しくて苦難な途こそが政治とはな。政治を遠ざけたいのです。しかしまことに残念なことながら、産まれたら否でも応でもしなければならないものが、政治である。朝、泣きじゃくりで起きてもしなければならないものが政治である。朝起きれば政治で顔を洗い、政治でご飯を炊き食べて、政治で排泄して、政治だらけの世界に出勤するようになっているのが、人間の現実というものだ。


 政治がどこにいるのか、と?とある日、気がついて目が覚めればこの世に産まれてきていて、産まれたからには正しく生きたく、あれこれ見比べて頑張ってみるが、たった独りの力でできることはなく、他の人と一緒にやろうと思えばまず合意をしなければいけないし、合意しようと思えば相手のことを知らなければで、やっと合意はしたものの合意は守られずして、合意の履行のために規制が必要となり、規制を実践しようと思えば権力が必要となり、権力の濫用を防ごうとすれば自由が必要で、自由を保障するには財産が必要となり、財産を持てば貧富の格差ができ、格差をなくそうとすると資源が必要と判明し、改革を敢行するにも説得を、説得には討論が、討論には論理、納得させるには修辞学が、論理と修辞学を身につけるには学校が、学校の維持には人を雇用する必要が生じて、職場の人は労働をし、労働のなかで死なせないためには人間らしい環境が必要となる。このすべてを考える過程で、突如と自然災害が起きたり、伝染病が流行ったり、外国が侵略してきたりすることなんてしょっちゅうある。共同の生き方のために、必要なものはたくさんで、すぐ解決できるたやすいことなんてどこにもない。このようなことすべてを言い並べるには長すぎて、我々はそれを一括りにして政治と呼ぶことにした。政治は首都にも地方にも、国内にも国外にも、街中にも家の中にもあなたの細き細き毛細血管のなかにもある。体脂肪のように、どこにだってあるもんだ、政治というものは。


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