シン・ヒョンチョル「無情な神と愛の発明」(『人生の歴史』より)

ある価値あるいは制度の再発明を要請する人は革命的である。既存のものは偽りと、本物は別にあるというからである。ところで私は再発明ではなく発明について考えてみようと思う。もうこれ以上壊すものも崩すものも、なにもないところから何かを初めて創り上げる人の、その恐ろしくて勇ましい心について、である。(・・・)

「私でも側にいなければ」(・・・)ふとそのような独り言を発しては、自ら驚いてしまったかもしれない一人の人のことを想う。私の眼の前でべろんべろんに泥酔している人を見つめて、「私でも側にいなければ死ぬ人」という言葉を、「私さえ側にいれば生きる人」という言葉に密かに入れ替えてみたはずの一人。このような瞬間があるはずだ。この人を生き続けさせたいと。私がそうさせたいと腹をくくる瞬間、他でもなくまさにその瞬間、この世には一人の人によって愛が発明されるのである。(・・・)

私は人間が神なしに宗教的でありうる方法はなんだろうを考える無神論者であり、私にとって何よりも宗教的な事件は、一人がもう一人の側にいようと、彼・彼女の側を離れまいと決心することである。私が思い浮かべる無神論者は、神がいない証拠を手に握って喜ぶものではなく、むしろ憂う人である。神がいないがゆえに、その代わりに一人の人間がもう一人の人間の側に居ざるを得ないと、この世に一人は、外の一人に向かう愛を発明する責任があると思うものである。私は神にあらず、この思いを信じる。

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