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『しにたい気持ちが消えるまで』を読みました

この本は当時Twitterで「病理医ヤンデル」さんがおすすめしていたのがきっかけで知りました。「しにたい」という直接的な言葉ではありますが、ひらがなにすることで少し柔らかい印象を受ける本の題名です。

著者は豆塚エリさん。表紙はかわいらしいイラストが描いてあり、セーラー服の女子高生が車椅子に乗ってペンを持ち、指揮をしているような動作をしています。紙が空から降ってきています。

本屋さんでこの本を探し、見つけ、買おうかな、やっぱやめよう、を3回ぐらい繰り返しました。読んだらわたしもつらくなってしまうのではないか、という不安があり、躊躇していました。しかしその後、わたしの日常生活でも何度か苦しくなることがあり、ヒントが得られるかもしれない、やっぱり買おうと思って、やっと買いました。

本当に買ってよかった。

著者の幼少期から飛び降りた日まで、病院や施設での治療、リハビリのこと、自立していくまでのことが書かれています。エピソードの合間に刺さる言葉があって、これが好き。とても読みやすく、すらすら読めました。

身体が生きたがっているから生きる、それは生きる理由になるという考え方はしたことがなかったです。頭でしにたいなあと思っていても、首を絞められたら抵抗するし、自分で呼吸を止めることはできないよな、とは思っていて、「仕方なく」生きるしかないのだ、と後ろ向きに捉えていました。

身体は生きたがっているんだということを実感を持って気づき、それを肯定できるのは、著者が自殺未遂でダメージを受けた身体と、とことん向き合った結果なのだと思います。

死のうとして飛び降りて、死ねずに身体に障害が残った、というのだけ聞いたら、いたたまれない気持ち、かわいそうと思う気持ちを持ってしまいます。しかし著者は飛び降りた日を後悔したことはない、ときっぱり書いています。心からそう思っているんだろうと感じる文章でした。また歩けるようになる・もとに戻ることをわたしが望んでいる前提で話をしないでほしいとも。

「苦しみから逃れるために死ぬ、ではなく、苦しみから逃れるように生きなければならなかった」
考えてみれば普通のことなのに、苦しみから逃れるということがなぜ難しいのかと不思議ですが、それが難しいから「しにたい」になってしまうのでしょう。わたしは苦しみから逃れる行動をしていきたい。

障害の度合いが人によってさまざまだから、人と比べても仕方ないということがよくわかる、という話がありました。障害を持った人だとわかるのに、健常者同士はどうして簡単に比較してしまうのでしょう。学校教育の影響が大きいと思います。

自分を中心に捉えなおし、自分を大切にし、自尊心を高め、楽しく生活する。やりたいことをやる。わたしのことはわたしが決め、責任をとる。楽しむことは罪ではない。自分の人生を楽しんで生きる。

生きていこう、と思える一冊です。

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