「人とつながる」なぜ必要?
いつか、noteに戻ってこよう。
そう思い人生という名の大海原へ。
大波、小波、同じ波はひとつもない。
私は流されまいと、必死にサーフボードにしがみつく。
いろいろな波を経験すれば、するほど
「あの波に乗れたのだから大丈夫」
そんな根拠のあるような、ないような自信が湧いてくる。
noteを書かない約9ヶ月、いろいろなことがありました。
自分の何が変わったか、上手く言葉にならないが、
文章にすることで伝えられたらなと思う。
なぜ、人はつながりを求めるのか。
人はだれでも、ひとりでいる時間って大切なんじゃないかと思う。
だって、ふたりでいると、
関心のない話題にうなずいたり、
その気がなくても、足並みをそろえなければいけなくなる。
「はやく時間が過ぎてくれないかなぁ」
ケータイの電源をON、OFしながら、解放されるのを待ちわびる。
でも、「人のつながりが恋しい」と思うこともある
ひとりは、ひとりでしかない。
でも、ふたりなら
ひとりの人としてだれかが認識してくれる。
ひとりでいると
「わたしは何のために存在しているのだろう」
そんな哲学の世界に迷い込んでしまう。
でも、ふたりでいれば
もしも、わたしが、わたしの存在を否定しそうになっても、
「あなたは、そんなあなたでいいんだよ」と、
感情エキスが漏れだすのを止めてくれるかもしれない。
ひとりだと、漏れていることにさえ気づけない。
つながりが、わたしの器を頑丈にしてくれる
わたしは、いくつかの集団|コミュニティ《》のなかで生きている。
その集団のなかには、
相容れない、近づきたくない、だれかがいるかもしれない。
そのひとは「あなたに傷つけられた」と、
わたしを非難するかもしれない。
「わたし…、そんなにわるいことした??」
いや、でも実際にあのひとは傷ついてるわけだし、
わたしが変わらなければいけないんだ。
「ダメなわたし!!」
今度はわたしが、わたしのことを非難しはじめる。
しかし、もうひとつの集団では、
「えっ、そんなわるいことしてないよ?」
そう慰めではない、慰めの言葉をかけてくれた。
つながりがあなたを支えてくれて、
そんな存在がいると気がついただけで、
今度はわたしが、わたしを支えてくれる。
つながることで、つながる必要がないことに気がつく
こうしてわたしは、つながりの大切さを知る。
でもやっぱり、ずっとつながっているのって居心地がわるい。
ひとりでいることを、もっと大切にしたい。
でも「ひとりでいること」と「つながっていること」
この2つは矛盾しているようで、していない。
「あのひとを大切にしたいな。」
大切なのはこの気持ち。
離れていても、気持ちはつながっている。
わたしもひとりで生きていこう。
また会う日まで。
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