自分が優しい「フリ」をしている人かもしれない話
こんにちは。
長所を聞かれたら「優しい」という答えしか出ない男、ほーらいです。
そんな自分が、もしかしたら「優しい『フリ』」をしている人かもしれないと気づかされたので、自分の考えとそれがどういう風に『フリ』なのかを自分なりの解釈で書いていこうと思います。
きっかけ
きっかけはいくつかあり、まず1つは友人・知人に掛けられた言葉です。
私はそれこそ友人に「優しい」と言われることが多いです。
ただ、それと同じくらい言われる言葉があります。
それは、「あなたがわからない」です。
正直、最近までなんでこんなことを言われているのかわかりませんでした。
今でもすべてが分かっているわけではありません。
しかも、私は友人・知人とは自分の話を含めいろんな話をするのですが、逆に自分の身の上話までしてる人にこれを言われてしまうので困ってしまいます。
そこで2つ目のきっかけ、家族に言われた言葉です。
私は、上記の悩みを家族に相談しました。
すると、こんな答えが返ってきたのです。
「あんたの優しさは、『してやってる』が透けてるからじゃない?」
正直、言われてすぐ心当たりが思いつかないくらい、身に覚えのないことでした。
しかし、家族に対しての反応を考えると、何個かあったのです。
心当たり
まず、家で過ごすときの態度です。
私は、よく考えると物事を進んでやることがないのです。
なにかをやるときは「誰もやる人がいないなら自分がやるか」という気持ちでやり始めます。
例えば、洗濯や風呂掃除は実家では私の仕事なのですが、これもみんながめんどくさがってやらないから「だれもやらないならやるよ」という気持ちでやっています。
あとは、夕飯の残りを次の日の朝に誰も食べないので、「誰も食べないなら食べるよ」となってしまうのです。(その結果の体重…)
そして、もう1つはそれに伴う怒りの感情をたまに発露することです。
その怒りを家族にぶつける時に確かに言ってしまったことがあるのです。
「なんで『やってあげた』のに~…!」と。
先述のことからなんとなくわかると思いますが、私も家族も極端に面倒くさいことを苦手としています。
そんな中でも、おそらく家族からも「こいつがやってくれるだろう」ということを思われていることも事実です。
そんな思いから「やりたくない」の思いを抱えてやることがあります。
例えばそれは、家族旅行の計画。
例えばそれは、外出時の時間管理。
誰もやらないから『やってやっている』という感情が1㎜もないかと言われると嘘になります。
おそらくこういった感情が、友人関係の中にも無意識に出てしまっているのでしょう。
だからこその「わからない」なのだと思います。
優しく見えるのに、全くそれを感じない。
感情があるように見えて、主体性が、全く見えない。
こういった部分じゃないかなと思います。
終わりに
今でも、この解決策はわかりません。
きっとこれは元々の感性や人間性を180度変える必要があるレベルのことだと思います。
でも、これをやらなきゃきっと魅力的な人間にはなれない。
そう感じています。
また、結局友人や知人から言われた「あなたがわからない」の本当の理由はわかりません。
聞いたこともないし、聞く気もないです。
言ってくれる人がいたらうれしいけど、そんな人もいないだろうし。
まだまだ分からないことが多いです。
今回のことで自分が分からなくなっています。
この暗闇を抜けた先には何があるのでしょうか。
これからの人生で、それを考えながら生きてみようと思います。
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