一人称が迷子になっていた話

はじめに

実は最近、旧知の友人から「一人称面白いね」って言われたんです。
ただ、よく考えてみたら友人とかにも、なんでこの一人称になったかって言ったことなかったなと思ったんですよ。
そこで、この機会に「一人称の変遷」と「それに伴う苦悩」をお伝えして行こうかなと思います。
ちなみに今一番多用しているのは、外向きには「私(わたし)」や「自分」、友人などの内向きには「わし」です。

一人称の変遷

まず、生まれたときからしばらく(記憶の中では中学生くらいまでかな?)「」が一人称でした。(①)
それは、それでいいと思ったし、なんで変える必要があるのかなともおもっていたから。
ただ、やはり中学・高校あたりで一度、一人称の壁にぶつかることになるのです。
それこそそのあたりと言えば反抗期・思春期ということで、「僕」という一人称がそのときはなんだか幼く感じてしまいました。
また、周囲に「俺」を使う人も多く、それに変更した方がいいのかとも悩みました。
ただ、自分の顔とかキャラとかで「俺」は違うなと思い、そのあたりから「自分」や「(下の名前)」という一人称を使い始めました。(ただ、後者に関しては今までより幼稚な感じがしたため、意外とすぐに使わなくなりました。)(②③)
そうして成長していくと、リアルでのふれあいよりもインターネットを通じたふれあいが多くなり、その一方でこれまでは同級生との関わりが多かったのが、自分よりも年上の人とも多く絡むようになりました。
そんな折、大人はみんな「私(わたし)」や「私(わたくし)」という言葉を用いてビジネス的に話すのだと知りました。
ただ、それで行こうにも、やはり「わたし」は女性的であるというイメージが抜けず、家の中では「わぁし」(「た」をうまいこと発音しない感じ)と言ったりしていました。
そんな中、だんだんとそれが訛って「わし」と言うようになったのです。
そしてなんだか、その一人称がとても楽に感じたのです。

なぜ一人称に悩んだのか

これはとても簡単で、
「とても他人に流されやすい人だったから」
というのが結論です。
今までの話を聞いていただいたりしてわかると思いますし、旧知の方々から見てもとても流されやすい人間だったなと今さらながら省みています。
ただ、流された結果、この独特な一人称に至ったので今となればあの流され体質も人生の中で必要なものだったのでは?と考えています。

最後に

人生に大事なこと。
それは、
自我を持った上でわかり切った流れに流されること。
それでは、またお会いしましょう。

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