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老子道徳経と中医学的身体観㊲


副題  爲政

中医学的身体観としては、

王侯貴族は心、身体(腎)は自然の法則性であり、無為。

身体と言う枠があるからこそ、心は自由か不自由かの違いが分かる。

身体と言う枠がなければ、人としては存在できず、自由なようで収束できない。

身体と言う枠があるからこそ、個性が出る。

人により、場所により、時の変化によって異なるのも、

枠が人、環境、時間の変化にあるから。

先ずは型を使い、自由、健康とは何かを感じ、考え(守)、

自分なりを見つけ(破)、

自由になる(離)。

鳳凰堂流解釈

型がない自由さを実際に体現する為には、

自然、自由と言う中にある法則性を見つけ、それに従わないとただの『勝手』になる。

自然の法則性に従うと、何もしていないようで、自由でいながら、何ものも阻害する事なく、自由でいられる。


鳳凰堂流意訳

道は無為を根元としているが、何もしていない訳ではない。

王侯貴族がこの道、無為を守れば、あらゆるものが、自身で成長し、事を成し遂げる。

成長の途中で何か手を出せば、必ず諫める事になる。

上に立つものは、自らが自然に適った振る舞いをし、下の者を自由にさせれば全てが安定しながら変化していく。

直訳
道は常に無為にしてなさざるなし。

侯王もしよくこれを守れば、万物まさにおのずから化せんとす。

化して而も作(な)さんと欲すれば、われまさにこれを鎮むるに無名の樸(ぼく)をもってせん。

無名の樸は、またまさに欲せざらん。

欲せずしてもって静かなれば、天下まさにおのずから定まらんとす。

原文

道常無爲而無不爲。侯王若能守之、萬物將自化。化而欲作、吾將鎭之以無名之樸。無名之樸、亦將不欲。不欲以靜、天下將自定。

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