見出し画像

医心方 第二十七 養生篇 大體第一(11)鳳凰堂流解釈



呂不韋は、春秋戦国時代に秦で活躍した人物。今はキングダムで有名になりました。
彼が編纂させたと言われいます。
春秋とは基本は1年間を現していますが、ここでは一生を現していると思われます。

つまり、呂不韋の一生と言う書です。

その呂氏春秋には、

「聖人の養生は性に適っている。部屋が多ければ陰が多く、台が高ければ陽が多い。

陽が多ければ欠けた部分、足りないものがあり、陰が多ければ萎縮してしまう。

全て不適の患いである。味覚を多くの肉で満たすと、気が貫いて本質にまで達しない。

衣服は暑いと体内と外的環境の呼吸、交流を鬱ぎ、塞がると気がうまく巡らなくなる。

これらは全て生を傷つける。

従って聖人が自分の庭を造る際には、展望して形を労るに足る分だけに留める。

樹木は湿気を避ける為だけにしている。

服や乗り物は行動したり冷やさないようにする為だけにしている。

飲食、酒は味を良く感じ、不足を満たすだけであり、声色、音楽はリラックスし、次への活力を得るだけにする。

この5つは聖人が生を養う為にしていることである」と書かれています。

また、「悩ましさ、綺麗な歯、淫らな音等は命を削る斧と呼び、肉、酒は腸を傷める食といった。

靡曼(びまん)とはきめ細やかな肌の美しさであり、皓齒(こうし)とは歯が白く犀の角のように綺麗なこと。

老子は五味が口に満ちてしまえば却って身体を傷つけると言っていた為、爛腸(らんちょう)の食と言っている。」と書かれています。

顔氏の家訓には、「生を養う人は、先ず災いを遠ざけるように思慮し、幸福を求め、身体が健康であるようにしながら本性を全うするものである。

命を保つ事を前提として、その上で生を養う。徒に命を削りながら生を養うものではない。

単豹は内は養ったが外を患い、張毅は外を養ったが内を患った。

前賢が誡めているところである。稽康は養生論を書き記したが、物に奢りすぎて刑を受ける事となった。

石祟は服餌による延命語ったが、貧乏に溺れて災いを受けた。往々にして世の中の人が迷う所である」と書かれています。


養生は極めるものではなく、自分に合わせてコツコツやるもの。

そして、偏らず、やり過ぎず、自分を客観視しながら少しの変化を喜ぶものと解釈しています(鳳凰堂流)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?