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老子道徳経と中医学的身体観㊳
副題 論徳
鳳凰堂流解釈
中医学的身体観としては、
型(徳)も脱力も意識しなくなってからが本物である。
型を守る人は闇雲に型をなぞり、
型を敬い過ぎて型から離れる事を拒む。
型(理)はあくまでも、先人の智恵が小さくまとまったものであり、
人それぞれの工夫がなければ自身の身に纏う事はできない。
鳳凰堂流意訳
本当に徳のある人は徳を意識していない。
徳を意識している人に徳はない。
本当に仁のある人は仁を意識していない。
仁を意識している人に仁はない。
義を守る人は行動で表し、義に基づいていることを意識している。
礼を守る人は行動で表し、礼に応じないと返礼を求める。
道(徳)が失われると、仁が現れ、仁が失われると、義が現れ、義が失われると、礼が現れる。
そもそも礼は忠信が薄れた結果であり、争いの元である。
智は道の端にある華のようなもので、愚の始めである。
このように考えると、仁義礼智を捨て実を取るのが良い。
直訳
上徳は徳とせず、ここをもって徳あり。
下徳は徳を失わず、ここをもって徳なし。
上徳は無為にしてもってためにするなく、
下徳はこれをなしてもってためにするあり。
上仁はこれをなしてもってためにするなし。
上義はこれをなしてもってためにするあり。
上礼はこれをなしてこれに応ずることなければ、すなわち臂(ひじ)を攘(かか)げてこれを扔(ひ)く。
故に道を失いてのち徳、徳を失いてのち仁、仁を失いてのち義、義を失いてのち礼。
それ礼は、忠信の薄(はく)にして、乱の首(はじめ)なり。
前識は、道の華にして、愚の始なり。
ここをもって大丈夫は、その厚に処(お)りてその薄に居らず、その実に処りてその華に居(お)らず。故にかれを去りてこれを取る。
原文
上徳不徳、是以有徳。
下徳不失徳、是以無徳。
上徳無爲而無以爲。
下徳爲之而有以爲。
上仁爲之而無以爲。
上義爲之而有以爲。
上禮爲之而莫之應、則攘臂而扔之。
故失道而後徳、失徳而後仁、失仁而後義、失義而後禮。
夫禮者、忠信之薄、而亂之首。
前識者、道之華、而愚之始。
是以大丈夫處其厚不居其薄、處其實不居其華。故去彼取此。
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