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養生訓巻第一 貝原篤信篇録 総論上 ㉒ 鳳凰堂流解釈


[原文を現代文に改変]
養生の術は、勤むべき事をよく勤めて、身を動かし、氣を巡らすことを良しとする。

勤めるべき事を勤めずして、寝てばかりいて、身を休めるばかりで、怠って動かさないのは養生に非常に害がある。

長時間安坐し身体を動かさなければ、元氣は巡らずに食が滞り、病が起こるからである。

特に横になるのは良いが眠ってばかりはいけない。

食後には必ず数百歩歩行して、氣を巡らせ食を消すべきであり、横になって寝るべきではない。

父母に仕えて力を尽くし、君主を支えてまめに勤め、朝は早く起き、夕は遅く寝ね、四民ともに我が家事をよく勤めて怠らないようにすべきである。

士(さむらい)は、いとけなき時より書を読み、手を習い、礼樂を学び、弓を射、馬に乗り、武芸を習いて身を動かすべきである。

農工商は、各々その家の礼儀作法を怠らずに朝夕良く勤めるべきである。

婦女は特に家内に居るので、氣が鬱滞しやすく病生じやすい為、できるだけ色々な方法で労働すべきである。

風気の娘も親、姑、夫によく支えて養い、折り縫い、生み紡ぎ、食品を良く調える事を職分として、子を良く育て、常に座ってばかりにならないようにする。

かけまくもかたじけなき天照大御神も、自ら御衣をおらせたまい、その御妹稚日女尊(わかひろめのみこと)も、齋機殿(いんはたどの)にましまして、神の御服をおらせ給う事、日本紀に書かれており、今の婦女も皆このような女性を手本として勤めるべき事を勤めるべきである。

四民ともに家業をよく勤めるのは、全て養生の道である。

勤めるべき事を勤めず、長い時間安坐し眠り横になる事を好む、これは大いに養生に害あり。このようにしていれば、病多くして短命なり。戒むべし。

鳳凰堂流解釈
これは江戸期の文化、風習を基礎として、養生に特化して表現している為、現代にはそぐわない面があります。

本来人は助け合って生きていくもの。それがまだ残っていた江戸期は男女の役割分担を身体の違いと精神力の違いから明確に分けていました。

今は助け合わないように、一人だけで生きるように、社会が仕組まれている為、養生を怠ると病の根がはびこるようになっています。

つまり、疲れをなるだけ早く感じ、横になる、早く寝る事は重要になっています。

そして、鳳凰堂は〜すべきと言う表現はできるだけ使わないようにしています。

なぜならそれは無意識に強制力を持ち、個人が行動を制限される元となるからです。

個人が一人で生きている人もいれば、昔ながらの生活形態の人もいる世の中では、それぞれが自身の生活や生き方を振り返りながら選択していく事が大切で、

精神的に疲れている人は運動した後、できるだけ睡眠によって回復し、

肉体的に疲れている人はすぐに回復モードに入りやすいので、食べてすぐは寝ない。
横になりっぱなしは良くないと解釈しています。

その前提として、長時間の同じ動作はできるけ避け、使っていない部位は動かす事です。

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