養生訓巻第二総論下 鳳凰堂流解釈㉓
原文を現代文に改変
養生の術、荘子が所謂庖丁が牛を解きしが如くなるべし。牛の骨筋のつがいは間(ひま)あり。刀の刃は薄し。薄き刃を以て、広き骨節の間に入れば、刃の働くに餘地ありてさわらず。ここを以て十九年牛を解きしに、刀新たに研ぎ立てたるが如しとなん。人の世におる、心ゆたけくして物と争わず、理に随いて行えば、世にさわりなくして天地広し。かくの如くなる人は命長し。
鳳凰堂流意訳
養生の術は荘子の養生主第三、庖丁為文恵君解牛に書かれている庖丁が、牛を解体するように行うべきである。
牛の骨と筋の境目には間がある。
刀の刃は薄い。薄い刃を使って、広い骨や節の間に入れれば、刃が働く余地がありさ害がない。
この要領で十九年牛を解体すると、刀を新しく研ぎ立てているようなものである。
人の世でも、心豊かにして物と争わず、理に随って行えば、世に害がなく天地は広く使える。このように行動できる人は寿命も長い。
鳳凰堂流解釈
荘子・養生主・庖丁為文恵君解牛を引用したお話。
庖丁は今の包丁の由来となる人で、庖は料理人を現している為、丁料理人という意味になります。
この丁さんの包丁さばきは見事で、いつも新しい包丁で切っているかのように、心豊かに、理に適い、誰も傷つけること無く習慣化した動きができているからこそ、牛の解体も何度やっても包丁の切れ味が変わる事がない。
こうして、良い習慣をつくる事こそが、寿命の最後まで身体を維持する秘訣でもあると言っています。
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