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僕たちは何時から大人になるのか.wav

若い時にできることは、何か夢に向かって一心不乱に挑むことができることだとつくづく思うのだけれど、何もそれに限った話ではなく、しょうもない人間関係のこじれに一喜一憂する時間であったり、何も考えることなく惰眠を貪ったりすること。そしてそれもまた一興なのでは?とも。只これはまた、ある人から見ると言い訳なのか?…
そんなこんなでスチューデントアパシー気味な人生を送っています。このブログを書き終えたらクラッチつないでもう1ギア上げようかな、等。

最近2011年で更新が止まっている大学生のブログを見つけた。当時大学2、3年生ということは、単純計算で彼は今31歳頃だということになる。きっとブログの存在も忘れてしまっているのだろう。
ブログには彼女と些細なケンカをしてしまった、とか、アベフトシは本当にかっこいい漢なんだ、といった短文がいくつか残っていた。まるで失踪してしまったかのようにそのブログはパタリと更新が止まっていた。ただ彼のブログにもまた、学校に対する憂鬱、人間関係のこじれに思い悩む姿がいくつも見受けられた。時代は回る、といいますか…

人は何時から大人になるのだろうか。お年玉を金額で理解するようになった時か?サンタクロースの正体を知った時か?消しゴムに好きな人の名前を書いて使い切ったとしても何にもならないことを悟った時か?お酒や煙草を買えるように、嗜めるようになった時か?生活に対して金が脳にこびりつくようになった時か?人間関係が単純なものではなくなった時か?恋が『好き』だけで成り立たなくなった時か?なりたいものに対して現実が牙を剥き、自らその夢を遠ざけるときか?責任が生まれることで振る舞いについて考える様になったときか?考えは尽きません。

僕個人としては、大人ってもんは子どもの自分に『大人』なるヴェールを被せたものなのでは?と思ったりする。
だって責任なんてめんどくさいし、自分の好きなことして好きなもの食って好きなように生きたいものです。きっとみんなおんなじ。ただみんな歳食うことでその年齢らしい振る舞いや佇まいをする必要が生まれるわけです。
だって60近い大人が短パンに仮面ライダーないしプリキュアの服なんて着てたらどうです?ヤバいっしょ。そういうもんなんだと思います。

それ故、大人とはそれ即ち年齢を重ねることで織られていくヴェールを自らに被せることなのでは、と思います。ガキな大人、ってのはこのヴェールが上手く織られていないが為に子どもが露呈してしまっているのでしょう。とはいえ、そのヴェールが完璧なものと信じて疑わないのは、厚く厚く作られているのはそれ又『頑固な大人』が生まれてしまうのではと思うわけですが。

結局童心は忘れてはいけないけれど、童心と大人から逃げるのは違うのだなという仮結論。
きっとブログを書いていた彼も、就活や生活の中で子供の自分や自問自答を通して今があるのでしょう。

僕も頑張ります。彼がいかなる形であっても、幸せでありますように。

P.S.最近観た映画です。

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