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死ねないんだから仕方ない

仕事にはここ1ヶ月以上全く顔を出さず、仲良しからの誘いもお客さんからの誘いも昔からの約束以外はすべて有耶無耶にして断り、夜は人の狂気が怖いからと宣い朝にならないと眠れないような昼夜逆転の毎日を送って、生産的なことは何もできないで燻っている。貯金なんてとうに尽きて、それすらどうだっていいやと無気力でいる。多分SNSだとかインターネットだとか、情報社会に向いてないんだと思う。

目を閉じるとその日得た情報が文字だったり映像だったり音楽だったりでガンガンと反復して、それが怖くて最近は眠れないんです。

自分は刺激中毒だって何度も言い聞かせてるけど、本当は田舎か郊外に移住して、日当たりのいい小綺麗なおうちに住みたい。大好きな本に囲まれて、薄くクラシックをかけて、ハムリオンと、できればチンチラも一緒に、あともしよければ気心知れた友達と、あまりお金を使わなくても幸せな生活をしたい。

朝はどんなに眠くても無理矢理起きたほうが躁転に役立つし、朝はパン半分でもいいからなにか食べて、あったかいお茶を飲めば少し元気が出る。たまにストレッチをしてみたり、頭痛薬を飲まなきゃいけないくらい悪化する前にちょっといいヘッドブラシを両刀使いして頭皮をゴリゴリするとちょっとだけ頭が軽くなるし、部屋と洗濯桶とシンクは綺麗であればあるほどいい。わかるわかる、全然わかってる、ただそれって鬱の時はまったく無意味な言葉だから。

芋虫のようにうごうごと布団を被り、インターネット中の文字と情報を漁り、夜になると不安感でめそめそしながら朝日が昇るのを待つ、みたいなことをここ半年以上永遠に繰り返しててずっと虚しいです。

なんか、人間がずっと伏せているのって人体の構造的にはだいぶよくないらしいですね。骨密度の低下とか筋力の低下とか難しいことはわからないけど、お風呂で足をつるのもディズニー入って十分足らずで吐くのも全身がすぐにバキバキになるのも駅まで走っただけで筋肉痛になるのも、多分異常なんだろうなと思う。

病気だよねそういう特質だよねっていわれたってそんなのは救いにならない、実際そうなりやすかろうと苦しむのは自分自身だから自分でなんとかしないといけない

運動なんて到底できないけど、昼夜逆転治したい時は大量の眠剤と規定量の処方薬で強制的に寝落ちして、朝起きたら処方薬をちゃんと飲んで生活サイクルを整える(という努力をする)、、、ができるとだいぶ違うことに気づいた。
効かねえよなんて放置し続けてた処方薬は、プラシーボ効果もあるかもしれないけどないよりは全然よくて。デパスなんて飲まなくても、リーマスとチラージンを飲んだ日は明らかに多少調子がいいし、コンタックを飲まなくたって、コンサータも最大量のめばなんとなく効いている気がする。それでも日中の眠気は凄まじいものだけど、こういう時に少しでも疲れない範囲で外に出れたりしたら違うのかもしれない。

ちゃんと朝起きて、お湯飲んで、ご飯胃に入れて、定時薬飲んで、SNSじゃなくて本を読むようにして、たまに目を休めて、ストレッチでもして、ホワイトノイズかけて眠るってなんか文字にすると誰でも言ってることだけど、これって自分が心の底から理解しないとなんの効能もないから。でも本当のことだと思う。真理ってその瞬間しか掴めないから今のうちに言葉にしておくね。

ハイになんてならなくていいから、ただ健常者の見ている世界が見たい。

好きな村上春樹の小説の一説に、

ある場合には清潔であるというのは 何よりも大切なことなのだ

というものがある。この文章が中学生の頃からずっと頭に残っていて、なにかきれいにする活動をするときはいつもこの言葉を唱えながらやっている。

ごく稀に到来する気分が乗っている時があれば、今だ、と部屋のゴミっぽいものをあらかた片付けて、掃除機をかけて、洗濯を回す(その服を干す作業が当日中にできたことはないのだが)、その間に軽くシャワーでも浴びる、それだけで世界がだいぶマシになる。

空気のこもった薄暗くて小汚い部屋には絶対悪いものが溜まっていくから。

あとは、安らかな気持ちでハムちゃんのお水を変えて、お皿を洗って、ご飯をあげて、ふわふわのけものをそっと撫でたあとは枕元に大量に積まれた本を本棚に押しやって、布団の上にコロコロをかけて、リセッシュを撒いて、これだけできたら百点満点だ

体調悪くて何も食べれない時はヤクルトと、冷凍フルーツがいいです。それだけじゃお腹が冷えちゃうから、たまにあったかいお湯とか、おじやを胃に入れると、なんかそれだけでご自愛モード

ちょっとずつちょっとずつちょっとずつでいいから、できなくたっていいから、できるときだけでも、ちゃんとできることをしたいです

全部今の苦しみも伏線でありますように

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