【She】彼女が彼女たる呪縛
note、始めました。
せっかくの初投稿なので、私にとってのロックミュージックの価値を実体験を交えてお伝えしたいと思う。
あらゆる理不尽や社会への諦めを「生来の呪縛」とみなすようになってから、多少楽になれたような気がする。同じようなことを考えている人は、おそらく少なくない。
私の場合、「女性であること」の呪縛。
最近、就職活動を緩やかにスタートさせた私は、(まともには)考えたこともなかった「キャリア」を見つめる眼差しをはじめて手に入れて、直後、壁にぶち当たった。結婚する、結婚しない。子どもをつくる、つくらない。当たり前みたいに存在する分かれ道が、女性だから当然なのだけれど、その後数十年の運命を大きく左右する。
息苦しい。
そして最近、恋人と別れた。理由は明け透けに言えば、「性の不一致」。私は性的接触がまったく好きじゃない。
彼から言わせてみれば、恋人関係にあるひとに対して性欲を持たないのは普通じゃない、らしい。旅行に行くたびに何度も喧嘩した。彼が男で私が女だから、付き合うなら性的接触を伴うのが普通。
吐き気がした。
といっても、別れた直後は彼の言う「普通」になれなかったことが悔しくて、おかしいくらい涙が出た。普通のレールから外れることがこんなに嫌だなんて、ロックミュージックのファンとして大丈夫か?とか思ったりもしたけど、やっぱり息苦しいもんは息苦しい。おかしいんだよこの世界は。でもこれは生まれつきの呪いだから、仕方ない。仕方ないとわかっているけど、やっぱちょっとつらい。
しかしながら、このように性に縛られることがどれだけ苦しいか語ったところで、この手の意見は出尽くしているし、チンケな叫びにしか聞こえないのはわかっている。私が言いたいのはそんなことじゃない。別に、現代は死ぬほど男女差別社会だから是正しろ、とか言いたいわけでも全然ない。
ロックバンド「Green Day」の、「She」という曲の一節である。
この曲をはじめて聴いたとき、ああ、ちゃんと分かっている人はいたんだ、と思った。何を?「女性」と一括りにされた人たちのなかには、今にも噴き上がりそうな怒りと苦しみと葛藤を抱える者がいるんだってことを。しかも、そのぐちゃぐちゃの感情が、女性であるゆえのものだってことを。
ここ数年の世の中は多様性を謳っているし、もはや男女で何かを語るのはやめようね、といった雰囲気になってきている。
正しいと思う。
だけど、男性が生物学上の男性であること、女性が生物学上の女性であることからは逃れられないってこと、みんな心の中では分かっているはず。だからきっとこの先も、「生物学上の女性であること」に由来する妊娠や出産で人生が左右されることによる息苦しさとかは、絶えず私たちに付きまとうだろう。当方、生物学上女性なもので分からないけれど、男性だから発生する苦しみも勿論あるんだと思うし、じゃあそこからどうやって抜け出せばいいんだよと言われても何も具体的な策は思いつかない。
だが、私が考えるひとつの答えはこうだ。
「苦しくて叫んでいる人がいる」ってことを誰かが理解していてくれたなら、それに勝る安心材料はない。
今の私にとってはその「誰か」が、およそ30年前のGreen Dayだったというわけである。
親とか先生とか友達とか恋人とか、誰に言われても「はぁ?」ってなっちゃうようなことが、メロディーに乗ると不思議なくらい染みたりする。ここで、今、叫んでいる「私」を知ってくれていること。音楽の価値、とりわけロックバンドの価値はここにあると、少なくとも私は考えている。
「She」だけではない。何か曲を聴いて“ロックンロール”について思いを馳せるときはいつも、反骨精神にまみれていて、荒々しくて雑然としているロックミュージックこそ、かえって世界でいちばん優しいことに気づくのである。
こんなに長く思いの丈を書いたのは初めてなので、支離滅裂だし恥ずかしい。だけど、誰にも言えないことを言えてかなりスッキリしているし、なかなか爽快なこともまた事実。
ロックを聴いて感じたことを、またつらつらと書けたらいいな。
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