質問されるとき、哲学者が考えていること――うまく問う、問いを作り直す

谷川といいます、哲学者してます。大学で哲学の博士論文を書きました。

「哲学者」って肩書、我ながら実にうさんくさいですね……

哲学を専門にする人のあいだでは、「哲学者」でなく「哲学研究者」を名乗る風習があります。

そう名乗ることには様々な理由(知的謙虚さや研究スタイルなど)があるとはいえ、私は、ある理由から対外的にはこだわる理由はなかろうと思って、アウトリーチのときなどは、よく「哲学者」を名乗っています。

理由はちゃんと説明すると長くなるので簡潔に説明すると、知的謙虚さアピールなどは、哲学の専門家コミュニティ内でしか機能しないものであり、むしろ、哲学研究者を対外的に名乗ることは、「こいつは単に重箱の隅をつついているだけで、何も本質的なことをやっていない」、「哲学学者であって、哲学者ではない」、「大学の哲学には何の専門的スキルもいらない」という意味不明な思考を誘発しかねないからです。

残念ながら、そういう人に出会ったことは何度かあります。


鉛筆つきの線


まぁ、それはさておき、表題の件です。

まぁ、個人的な話なんですけど、「〇〇ってどう思います?」と聞かれたときに、哲学者がしがちなことについてツイートしたので、ここに再掲しておきます。

「〇〇ってどう思います?」と一般の人、分野外の人に聞かれると、相手のニーズを明らかにするか、「〇〇」ということで何を指す内容を確認するかしないと、踏み込んだことを何も言えない、いつも。
「友人って作るべきですか?」、「人間を人間たらしめるものは何ですか?」、「私これからどうすればいいでしょう」という疑問を例にすると、「友人」「人間」「これから」「どう」の内実や感じ、そして、それを聞くことで何を満たそうとしているのかということ。
これは、問いを再構成する作業なんだろうな。問いに答えるというより、いい問いを一緒に作り直す作業。
問いがうまくないと、うまく答えがでない。この作り直しのプロセス、相手や時期によってハマる/ハマらないあると思うけど。


万年筆つきの線


この点は、以前、株式会社Filamentでのイベントでお話した、「問いと答えは同じ顔をしている」という論点に通じるものです。

"うまく"問うための条件として、相手が問いながら何を念頭に置いているのかをじっくり質問するわけです。

イベントについては、参加者の赤崎さんがまとめてくださっているので、載せておきます。

こんな風な感想を書いてくれています。

もちろん、モヤモヤが起きないように、日々穏やかに過ごす精神性が持てればそれにこしたことない。ただ、人間だもの。悩むし、悩んだら解決したいし、答えが欲しい。でも、問いの立て方を間違えてしまうと、ずっと答えが出ない。答えがでないどころか、中途半端に言語化することで、自分の言葉で無駄な悲しみや怒りが沸いて、時に自分の心を焼いてしまったりする。


そういえば、「哲学シンキング」という手法で、吉田さんがこだわっているのも、同じく問い方でした。その点で、とても共感的に読みました。


ツイートまとめたかっただけなので、こちらからは以上です。

あ、ちなみに、「友人って作るべきですか?」については、こんなウェブサイトがあるのでぜひ見てみてください。

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?