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「君たちは自分を忘れて、自分自身から逃げようとしている」(『スマホ時代の哲学』より)

『スマホ時代の哲学:失われた孤独をめぐる冒険』という書籍が、2022年11月18日に、ディスカヴァー・トゥエンティワンから発売されます!

こんにちは!
京都市在住の哲学者、谷川です。スマホを持ち歩く私たちの生活について考えた、哲学の入門になるような本を書きました。

今回のnoteでは、「はじめに」のさわりを紹介しようと思います。
以下、本文の冒頭です。



「君たちは自分を忘れて、自分自身から逃げようとしている」

 フリードリヒ・ニーチェという哲学者がいます。ドイツ語で本を書きましたが、たくさん翻訳本が出ていて、何度も著作が訳し直されている人気の哲学者です。名言集が何冊も出ていて、小説や漫画にもしばしば登場する有名人。
 そのニーチェの書いた『ツァラトゥストラ』という本には、寸鉄人を刺すフレーズが出てきます。

君たちにとっても、生きることは激務であり、不安だから、君たちは生きることにうんざりしているんじゃないか? 〔……〕君たちはみんな激務が好きだ。速いことや新しいことや未知のことが好きだ。——君たちは自分に耐えることが下手だ。なんとかして、君たちは自分を忘れて、自分自身から逃げようとしている。
ニーチェ『ツァラトゥストラ』

 スケジュール帳が空白だと自分が無価値に感じられるから必死で埋め、偉くなった感じがするから目先の業績を積み上げる。生きることをこうして「激務」で取り囲もうとするのは、生きることの不安から逃れようとしていることの証左ではないか、というわけです。
 忙しく働いていることを誇らしく思う人は、読者の中にも少なくないでしょうし、休日にたくさんのイベントがあることを、生活の充実だと考える人がいるかもしれません。そういう人にとって、ニーチェの指摘は他人事ではないはずです。
 忙しく予定を詰めて目先のことに気をつかい、誰かと過ごすことにだけ時間を使って、「自分を忘れて」しまう人は、何かのきっかけで、燃え尽き症候群(バーンアウト)に陥ったり、鬱病や適応障害になったりしてしまうかもしれません。あるいは、「自分は結局一人なんじゃないか」と不安に襲われたり、「誰か私と一緒にいてほしい!」とSNSを忙しく更新したり、誰かにメッセージを送ったりすることもあるでしょう。
 さらに印象的なのは、このことが「自分に耐えることが下手」「自分を忘れる」「自分自身から逃げる」といった言葉で表現されていることです。私たち現代人は、生きることの不安を直視したり、それとうまく付き合ったりすることが、どうしようもなく下手だとニーチェは考えていました。哲学に惹かれる人は、多かれ少なかれ、こうした「生きることの不器用さ」に心当たりのある人だと思います。
 日々を忙しくしてしまう、働く人のかたわらにある哲学は、不安に寄り添うものであっていいと思いますし、この本もそのようなつもりで書いています。ただ、あまり悲観的で深刻なトーンで語るつもりはありません。でも、安全でたわいないことを言うわけでもなく、蜂に刺されるような内容が含まれているはずです。
 この本の文字の連なりが、蜂のように刺す鋭さであなたの心に残り、不安と忙しさで硬くなってしまった肩の力を抜く手助けになればいいと思っています。



こんな感じの本です。哲学者ばかりではなく、色々な登場人物がいます。


商品説明

「常時接続の世界」において、私たちはスマホから得られるわかりやすい刺激によって、自らを取り巻く不安や退屈、寂しさを埋めようとしている。

そうして情報の濁流に身を置きながら、私たちが夢中になっているのは果たして、世界か、他者か、それとも自分自身か。
そこで見えてくるのは、寂しさに振り回されて他者への関心を失い、自分の中に閉じこもる私たちの姿だ。

常時接続の世界で失われた〈孤独〉と向き合うために。
哲学という「未知の大地」をめぐる冒険を、ここから始めよう。

・現代人はインスタントで断片的な刺激に取り巻かれている
・アテンションエコノミーとスマホが集中を奪っていく
・空いた時間をまた別のマルチタスクで埋めていないか ?
・常時接続の世界における〈孤独〉と〈寂しさ〉の行方
・〈孤独〉の喪失――自分自身と過ごせない状態
・スマホは感情理解を鈍らせる
・「モヤモヤ」を抱えておく能力――ネガティヴ・ケイパビリティ
・自治の領域を持つ、孤独を楽しむ
・2500年分、問題解決の知見をインストールする
・「想像力を豊かにする」とは、想像力のレパートリーを増やすこと
・知り続けることの楽しさとしての哲学

etc…

関心を持った方は、ネット書店か、大きめの書店で見つけてください!


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