今こうありたい、を貫いていたら変わったと言われた
こんにちは、
いつのまにか年が明けて、梅が咲くようになりました。
(分母が大きくなると時間過ぎるのが早いっていうのをまさに実感している私です)
最近とあるひとに「変わったね」って言われました。
でも全然実感なくて。
だって、
どうなりたいか、考えるの、
やめたんですよ私笑
その記事は
コチラ
もちろんそのあとどうありたいか、考えましたね、
その記事はコチラ
どっちかというと
ずっと先を見据えるより、
その今になにができるか、
誰のために、を大事にしてきました。
その中で、一つ見えたこと。
人のために何かやってることって嬉しいな
っておもいました。
人のために何かやることが
100%人のためかって言われたら
それはきっと違ってて。
誰かのためを思って動いてるときって
圧倒的に高次な思考をしてると思うんです。
その人のことを知ってても
その人が考えること、動くこと、なんて
その人しかわからないし
その人もわからないかもしれない
それなのに、
その人のために
なにをしたら嬉しいか
って考えるってすごく高度じゃないですか?笑
でも不思議と喜んでくれる
相手がハッピーで私もハッピー。笑
自分がどうならなきゃいけないか
その道に立って見ていたときには、
周りの景色に自分がどう溶け込んでいるのか
見えていなかったんだとおもいます。
ふと一歩離れて
自分のずっと遠くの見えない道の先じゃなくて、
そこの道にいる私を俯瞰してみてみました。
そしたらたくさんの周りの人に気づいたんですね。
いつでも自分なのは決して悪いことではないけれど、果たしてそれがなりたい自分?
どうありたいか、考え始めて
できない自分を責めるのも減りました。
いまありたい姿と少し違っていても、
こういう場面にはこうなっちゃうのか。
前だったらできないことを責めていたかもしれないけど今の現状を受け入れる、それもアリだなあと最近は思います。
短いですが、一つアウトプット。
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