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ホツマ標(しるべ)~ホツマ読み解きのへそ~⑥ 「四国九州の謎とアカホヤ大噴火」

<検証誌 131号 令和6年2月>より

 ヒタカミ国を建国したハコクニ神は、その孫神、曾孫神の時代には、東北から北陸、関東中部を経て、中国四国九州全域をその一族で統治しています(「アメカガミとアメヨロヅが親子であるという説に基づく)。『ホツマ標⑤~クニトコタチの八皇子』参照
 ホツマ伝承では、中国地方はシラヒト・コクミの反乱の舞台となり、四国は一時ツキヨミ神の統治下になると伝えますが、その後一切の記述が途絶え、さらに九州は後代まで常に治安が落ち着かない土地柄のように記述されています。
 何故、四国九州は、(はるばる)ヒタカミ系で統治されたのか、何故記述がない、あるいは争乱が絶えないのか、それはホツマ伝承の謎のひとつとされます。

アカホヤの大噴火

 その謎を解く鍵となるのが、縄文時代に日本を襲った「アカホヤの大噴火」ではないでしょうか。
 「アカホヤの大噴火」とは、「鬼界カルデラ噴火」とも呼ばれ、今から約7300年前に薩摩半島の南50㎞ほどの海底で起きた大噴火です。
(ウィキペディアより)


「約7300年前の大規模カルデラ噴火は過去1万年の内では世界最大規模で、火砕流が九州南部にも到達し、九州南部の縄文文化を壊滅させたと推測されている」(ウィキペディア)とあり、降り注いだ火山灰により、九州四国は壊滅的な被害を受けてそれまでの歴史が途絶してしまったのです。
 
アカホヤ大噴火の後の列島寒冷化
 縄文時代は、一般的には16000年前±850年頃に始まるとされています。その頃の日本列島は寒冷期の終わりで温暖化が進みつつありましたが、7300年前のアカホヤ大噴火によって一時的に寒冷期を迎えます。その後、縄文中期に温暖期となり「縄文海進」といわれるように海岸線が陸地を侵食してきましたが、作物の収穫には恵まれました。ですが、今から5000年程前から再度、寒冷化が進みます。アマテルの誕生は、(千葉富三説に拠れば)今から約3300年ほど前となりますが、この再度の寒冷期は天神六代オモタル神の治世頃ではないかと考えられます。

 オモタル治世には、
『オモタルの 末に穂細と なる故に』ホ15
『オモタルの 民 研ぎ優れ 物奪ふ  これに斧以て 斬り治む』23文
 とあるように、穀物の収穫が激減し、素直で平和だった民が、互いに物を奪い合うようになったと記述されています。これは、寒冷化による作付けの悪化とそれによる人心の乱れとも読み取れるからです。

九州四国への入植はヒタカミ寒冷化が原因?

 本論の冒頭で述べたように、ホツマの記述では、九州四国の統治は、ヒタカミ国系の指導者が入植して行っています。ツクシ九州を治めたアメカガミは、天神五代ツノクヰに少し遅れる世代です。ソアサ四国に入植したアメヨロヅは、六代オモタルとほぼ同世代と見ることが出来ます。
 オモタル治世期の寒冷化によってヒタカミは大きな影響を被ったと思われます。一方で千年以上は開拓不能と思われたアカホヤ大噴火被災地(九州四国)は、ようやく入植可能になりつつあったようです。
 このように考えると、大噴火で無人地帯となった九州や南部四国を新天地として、寒冷化が徐々に進み以前の生活様式の維持が困難になったヒタカミ北部の人民を率いて、アメカガミやアメヨロヅは、はるばる移民政策をとったのではないでしょうか。この結果、ハコクニ一族によって日本全土(北海道を除く)は、再度統合されていくことになるのです。
 ただし、元々九州四国に暮らしていた民も全滅していたわけではないでしょう。彼らは、海人族が主流と思われます。海外に避難していた縄文人たちが、世代をまたいで、つぎつぎと「豊かで平安だった故地」に帰還してくることもあったと思われます。
 西方の地から故地に帰還した「元々の九州四国住民たち」にとっては、ヒタカミからの入植者たちは、故地を奪った「招からざる客人」と映ったかもしれません。この事態が、「帰還した元縄文人と入植したヒタカミ系縄文人との軋轢」を後代(縄文晩期から古墳時代)まで引き起こし続けた、そんな古代史を想像させるのです。

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検証誌に不定期連載している「ホツマ標ーーしるべーー」の論考です。
アカホヤの大噴火(鬼界カルデラ噴火)は、日本の古代文明を考える際に重要なファクターです。本稿では、ヒタカミ国と九州四国との関係、ならびに、天照る治世後の九州四国への帰化人増加について考えてみました。


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