ヴィジュアル系インサイドセールスが書く「ホッとする」ノート:泥だらけの就職活動〜壱〜
こんにちは。ホットリンクのインサイドセールス担当、堤です。
今回は就職活動についてお話しします。
就職という多くの人が通る道。そこにはそれぞれのドラマがあると思います。
みなさんには、どのようなドラマがありましたか?
私はホットリンクに入るまでに2度転職しています。
在籍した3社全てで、大切な出会いがあり、挫折があり、学びがありました。
その3社を、3部に分けてお話ししようと思います。
今就職活動や転職活動をされている方、もちろん今の会社で頑張っている方、みなさんに何かメッセージが伝われば幸いです。
それでは第1部。
私がバンドマンを引退して初めて勤めた会社のお話・・。
私はバンドマンのキャリアの終盤、音楽で食べていく事ができなくなりました。
大きな挑戦に失敗し、多額の借金がありました。その日生きるお金に困り、缶ジュース1本買うのも躊躇うような日々・・。
バンドを続けながら、短時間で稼げる仕事を探した結果、高インセンティブの営業会社でアルバイトを始めました。
「契約を取らなければ家賃が払えない・・電気が止まる・・生きる為には、周りの営業マンは全員敵だ・・!」
そんな想いで、必死に営業をしました。
もちろん営業経験はない上に、決して売りやすい商材ではありませんでした。
実際、20名程いる営業のうち結果を出せているのは3名程度でした。
前職でトップ営業だった方が全く売れない事もよくあり、人の入れ替わりも激しかったです。
私はとにかく結果を出せている3人の行動をよく観察し、徹底的に真似しました。
やり方を批判する声もありましたが、数字を取れている人が正解だと思いました。
何より生活が切羽詰まっていたので、手段を選んでいる場合ではありませんでした。
この方法は成功し、私は契約が取れるようになりました。そこから自分の色を足していく事により、更に成績は上がるようになりました。
私はインセンティブをたくさん獲得し、それまで音楽で得ていたよりも多くの収入を手にするようになりました。
当時組んでいたバンドを、私は人生最後のバンドにする意気込みでした。実際、それまで組んだどのバンドよりも、音楽的なレベルが高いメンバーでした。
しかし・・
活動していく内に、私と他のメンバーで決定的なすれ違いが起こりました。
他のメンバーは「良い音楽さえ作っていればいつか売れる」という考えだったのです。
私はそれではダメで、売る為の戦略を考え、プロモーションも自分達で頑張らなければいけないと考えていました。良い曲を作り、演奏が上手いバンドなど他にいくらでもいるからです。
プロモーションにはお金がかかります。
私はそのお金を稼ぐ為にも、営業を必死でやり、更にインセンティブを獲得していきました。
他のメンバーはというと、お金はないが音楽以外の事は何も頑張りたくない。よくあるバンドマンの考え方ですが、まだまだ軌道に乗れておらず、事務所もついていないバンドでした。自分達で全てを運営する必要がありました。
プロモーションをかけたいのにお金が出せない。しかしお金を稼ぐ努力をしている訳でもない。お金を生み出すアイデアを考えている訳でもない。
それならばお金がかからない方法をと、SNSや、自力でチラシを配るなども、私以外は積極的にやりたがりませんでした。
その状況にフラストレーションが溜まっていきました。
かたや、営業会社に行くと、みんな必死に仕事をしています。私と同じような境遇の人が多く在籍していました。
バンドマンや、アイドル、女優の卵・・みんな、様々な事情を抱えながらも必死に生きていました。
次第に私は、営業会社にいる時の方が刺激を感じるようになっていきました。
そんな私に、人生の転機となる大切な人との出会いがありました。当時の営業部長です。
部長は元バンドマンという事もあり、いつも私の事を気にかけてくれました。営業についてはもちろんですが、バンド活動についても、相談に乗ってくれていました。
バンドの方は、活動を止める訳にもいかず、経費を私が立て替えるようになりました。借金がありましたので、実際は1番お金が無いのは私でした。
私のフラストレーションは爆発寸前でした。
しかし、そのバンドが作る音楽自体は確かに素晴らしかった。上手くやれば、絶対に売れるクオリティでした。捨てたくない気持ちがありました。
そんな時に、営業部長から、その後の私の人生を変えるキッカケになる話をされました。
「ずっと話を聞いてきたが、そのメンバーの中で、堤だけが別の次元にいる。逆に、その状況で続けているのは凄いよ。だけど・・
おまえのように、一度ある程度の名声を手にした奴ほど、あの業界は抜けられなくなる。人気者になり、代え難い快感を経験しているから。
だけど、それで食べていけなくなり、落ちていく奴をたくさん見てきた。おまえもそうなってるだろう?
食べ続けていける奴は、更に突き抜けた一握りで、そうなれる奴はとっくにそうなっている」
現実を突きつけられ、目を背けたかった。本当はもうどこかで分かっていたけど、認めたくなかった。だって、音楽だけに全てを捧げて13年間も生きてきたのだから。
しかし、こうも言われました。
「ただ、おまえは一般社会でも活躍できる奴だと思う。実際今、社員よりも数字をあげているのがその証拠だ。だからこそ、今バンドでくすぶっているのが勿体ないと思ってる。
もちろん、どうするか決めるのは自分自身だが、もし音楽以外の道を選ぶ時は、本気で一緒に働かないか?うちの社員になってほしい」
私はもちろんすぐには決断できませんでした。しかしその後、バンドの他のメンバーが「売れるよりも、やりたい事をただやりたい」という考えが変わらない事が決定的になりました。
その考えが悪いとは思いません。しかし、絶対に売れたかった私とは合わず、脱退を決めました。
元々、人生最後のバンドにすると決めていたので、迷いはなくそのまま正社員になりました。
そこからはとにかく仕事に没頭し、それまでとは生活が一変しました。
借金はまだ残るものの、まともな生活を送れるようになりました。
営業部長はもちろん、他にも気心の通じる同僚に囲まれ、苦しくも楽しい、充実した毎日を送るようになりました。
「音楽以外の人生も楽しいもんだな・・!」
私の1社目はこのように
・人生を変えてくれた大切な人との出会い
・バンドマンとしての挫折
・営業としての成功
といったドラマがありました。
そして、何よりもこの会社で得たものは「勇気」です。
私はこの会社でお金を稼ぐ事よりも、自分が認められた事が何よりも嬉しかった。
それまでのバンドマン人生は、もちろん誇りを持っていましたが、常に生活が不安定で、どこか社会からの劣等感を感じ続けていました。
だけど、そんな自分でも努力すれば、他の方と対等、もしくはそれ以上の結果を出す事ができました。
それは、音楽しか知らなかった私が、ビジネスの世界へ転向する「勇気」を持つ、大きな理由になりました。
・・・そんな素晴らしい日々が続いていくと信じていました・・・
〜数年後〜
会社の体制が変わり、様々な事情で、私が慕っていた営業部長は会社を去りました。
いざこざに巻き込まれ、私と部長は連絡が取りづらくなってしまいました。
それからというもの、まるで別の会社のようになり、労働環境は過酷を極めていきました。次々に、同僚達は退職していきました。
それでも私は、初めて正社員になれた会社、人生の転機となった会社に思い入れがあり、残り続けました。
今思えば無知過ぎたのですが、法外な労働を数年間続けた結果、身体を壊し、2度入院しました。
2度目の入院の時に、私も会社を去る事になりました。
それまでは仕事に没頭していたので、バンドマンを引退した事による喪失感は一切ありませんでした。
しかし入院中に、突如その感覚は襲ってきました。
「あれだけ頑張って続けたバンドを辞め、必死に仕事をした結果がこれなのか・・?入院し、職を失い、私はまた路頭に迷うのだろうか・・」
そんな時でした。数年間連絡を取る事ができなかった、あの営業部長から連絡が来たのです。
これが、また私の人生を変えていく事になるのでした・・。
-第2部へ続く-
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